近鉄橿原神宮前駅 |
以後、同行してくれた二人の女性は画像掲載はお断りということですので後姿の写真の
みしか掲載しておりません。
あいにくなことに寒波が到来して、紀伊半島ではあちこちで積雪が生じ、途中寄ってい
く予定だった玉置神社のある玉置山ドライブウエイはおろか、玉置神社に寄らない場合
は直通ルートとして早い時間で行ける国道169号線(熊野街道)は伯母峰トンネルが
大台ヶ原に近いために積雪の度合いも大きいように思われるのでタイヤチェーンが無
ければ通行できない可能性もあり、万全を期して国道168号線(十津川街道)で行くこ
とにしました。この国道の最高度の天辻トンネルは伯母峰トンネルより150メートル標
高が低いことも積雪の可能性を少しでも少なくしてくれると思ったのです。
この選択は正しかったようでして、西吉野村を抜けて天辻トンネルへの道を抜けた当た
りから日陰は雪面で、スリップはしませんでしたが、思いっきり徐行しながら下り道を下
っていったのでした。
大塔村を過ぎ、十津川村に入る頃には間断無しに雪が降り続け、谷瀬の吊り橋あたり
は広重の絵にあるような吹雪の景色でした。この当たりの走行時には新井さんもサトエ
さんも熟睡モードでしたが、起きていたK子さんが「美しい雪景色!子供のころを思い出
します」と賛嘆の声をあげます。せっかく十津川を通るのに谷瀬の吊り橋にも寄れず、
玉置神社にも寄れずにただ通過だけなんて最悪、と思っていた私ですが、K子さんの
言葉で救われる思いでした。牡丹雪なので積雪はせず、道路はスムーズに走れます。
玉置山への分岐地点、折立に着いた頃には雪も止んで晴れ間が出てきたので、ダメも
とで玉置神社に電話したところ、ノーマルタイヤで上ってくるのは無理との返事。完全に
諦めて車を一路本宮に向かわせます。コーヒーを飲みたい、という新井さんの要望で途
中で喫茶店に寄ったのですが、ここで話に花が咲いて、思わぬ時間をとってしまいまし
た。
結局、本宮では温泉にも入らず、和歌山の銘酒「黒牛」を入手しただけで新宮に向かい
ます。新宮市に入るとある交差点で「浮島」の標識があります。「浮島を知ってます?」と
尋ねると3人とも知ってました。「上田秋成の”邪淫の性”に出てきますよね」と文学歴史
に詳しいK子さんが言います。行ってみよう、ということになって浮島に寄りました。
住宅地に囲まれるようにして水の上に浮く密林の島、浮島は独特な存在です。今日の
ドライブで我々が寄った唯一のところでした。
新宮市を抜け、熊野市の長い長い雑木林の防風林が続く沿岸道路を北上し、枯れ木灘
の荒涼とした海岸線を右手に観ながら過ぎると鬼ヶ城の先で国道42号線から311号
線に乗り入れ、急に狭くなった海岸絶壁の上を行く道を走って午後5時半、ついに熊野
の果て、天女座に着きました。私も初めて足を踏み入れる地域です。
崖に段々畑上に家が立つ、その一番上に天女座はあります。
天女座からの眺め
自動車部品工場を改造して作った矢吹夫妻の夢の音楽ホール&カフェなのです。
エントランスはこのよう。京都住まいの長かった夫妻の趣味が伺われます。
天女座の詳しい写真は下記のURLをご覧になってください。
http://www.tennyoza.com/phot/04tenmawari/0404tannyo.htm
http://www.tennyoza.com/date/photo/syasin.htm
※こちらは天女座が改築されたばかりのときで家具調度品は何も入ってません。
お茶を頂いて一休みした後、早速目的のピアノを見ることになりました。
天女座のホールはそれはそれは素晴らしいものでした。手作りの要素がかなり多い、
この天女座ができるまでの物語は毎日新聞に連載され、後に本となった「天女座物語」
に載ってますが、それらは読む人の心を打ちます。
正面の松羽目は紫帆さんが自分の夢のホールを作るときに舞台の背景に是非設置したい
と念願としていたものなのですが、多額の出費を覚悟していた紫帆さんが払った金額は信
じがたいもの!それを手に入れる経緯は感動的なドラマです。この松羽目が以前設置され
ていた伊勢の老舗旅館では宮城道雄さんの琴の演奏がその前でされたとか。
舞台横手のシンセサイザーなどの電子楽器機材も斯様な優雅なカバーが掛けられており、この
舞台で能楽も演じられたのでした。
畳もあちこちの畳屋を走り回ってお古を調達したもの。幕末の大政奉還の場をそのまま再現でき
るくらいの大広間なのです。
「天女座物語」に興味をお持ちの方は下記のURLを参照ください。
http://www.tennyoza.com/column/column.htm
ホールの左横手の壁際にお目当てのニットウピアノが置いてあります。
4オクターブしかない(普通のピアノは7オクターブ)オルガンくらいの大きさのピアノです。
ニットウピアノという名は新井さんも初耳でした。普通のピアノの部品が使えるところは
ほとんど無く、交換修理が必要なパーツは全部手作りとなるようです。
「このピアノの再生は大丈夫です。ただし、通常のピッチ(a440ヘルツ)の調律に耐えら
れるかどうかが問題であり、かなりピッチを下げての調律しかできないかも知れません」
の新井さんの言葉に、紫帆さんは「この楽器での単独の演奏にしか使いませんからそ
れは問題ありません」と答えるのでした。
音楽ホールには1923年製のヤマハのミニチュアグランドがありました。
ピアネットと響版に銘打ってあります。音の出ないのは見たことがあるが、楽器として今
も使えるピアネットは初めて見る、と新井さんは言います。これも4オクターブしか鍵盤が
ありません。
ホール左横のスタジオにスタインウエイのグランドピアノがありました。
ピアネットと同じ1923年製とのこと。スタインウエイの古楽器となると途端に鵜の目鷹の
目となるKYOTO PIANO ARTの師匠と弟子は熱心に調べ始めます。
鉄骨にはニューヨークスタインウエイと記されてますから私はてっきりニューヨーク製のも
のと思い、紫帆さんもそう思っていたようですが、「これはドイツ・ハンブルク製です。この
頃のドイツ・ハンブルク製は鉄骨をニューヨークスタインウエイから取り寄せていたのです」
私も紫帆さんもビックリ。「どんな特徴でドイツ・ハンブルク製だと判るの?」と私が聞くと、
新井さんはニッコリして「もりさん、一口には言えん、いろんな特徴があるのさ。一目で判っ
たよ」と答えるだけです。
「音色から判断するにハンマーも交換してませんね」と新井さんが言うとアクション部を
覗き込んでいたサトエさんが「新井さん、弦溝がありませんよ。ハンマーは交換してます
」と即座に言います。覗き込んだ新井さんは「ホントだ。交換してるな。しかしどこのハン
マーだろう?レンナー製ではない。もちろん国産じゃない」と言うと今度は「ベヒシュタイ
ンの音に似てません?」とサトエさん。「確かにベヒシュタインの音に似てるな。ベヒシュ
タインのハンマーを使ったのだろうか」と二人のやりとりは続きます。そばで聞いていた
紫帆さんが「すごい、プロフェッショナルな会話ですね」と感嘆します。
やがて一通り見た後、「ドイツの名器ベヒシュタインにいくらか音色が似てますが良い音
のするスタインウエイです」と新井さんが太鼓判を押すと紫帆さんは嬉しそうに、「中古で
500万円。地獄のローンを組んで買ったのです」と言います。「妥当な値段ですね」と新
井さんが応えます。地獄のローンという表現に「ホー!」と声を挙げた私に「そのローン
もあと2ヶ月で終わるのですよ」と紫帆さんは言います。素晴らしい!、と私は思わず握
手したくなりました。他の楽器のコレクションを見ても如何に紫帆さんが音楽にすべてを
注ぎ込んでいるかがわかり、私は何とも言えぬ共感を覚えたのです。
食堂に戻ってみると外は黄昏時となっており、海岸線の上には月も出ています。ご亭主
のトンちゃん(ご主人とは言わないでください、トンちゃんって言ってくださいと言うので
私も以後そう記します)が料理を作ってくださっている間、これも同じくトンちゃんがたて
たコーヒーをご馳走になりながら、紫帆さんと新井さん、サトエさんの談笑が続きます。
ふと気づくともうかなり暗くなった海上の岸壁よりの海面に淡いオレンジ色が漂いだしてい
るのです。
「見てごらん!月光が海面を照らしている」と私がみんなの注意を促すと、「ムーンリバー
が始まりますね」と紫帆さんが言われます。ムーンリバー!映画「ティファニーで朝食を」で
オードリー・ヘップバーンが歌う歌で有名なムーンリバーですが、ムーンリバーが海面に広
がる月の光の輝きを指すとは初耳でした。
「皆さんは幸運です。今日の昼間の雪で黄砂が洗い落とされて空気が澄んでいるところ
に持ってきて海上は凪いでおり、しかも月は満月という最良の条件で見られるのですから」
と紫帆りんさんが言われます。
オレンジ色の輝きは月が高く昇っていくうちに徐々に白色に変わっていき、その帯が向
こうからこちらに向かって延びて行くのです。なるほど、だからリバーというわけなのか、
と私はただただ、魅入られたようにムーンリバーの変化していくさまを見守りました。
ただし、その光景から受けるイマジネーションは「ティファニーで朝食を」のヘップバーン
の歌う歌のものではありません。あの歌は映画のせいでしょうが、ニューヨークの洒落
た街の雰囲気が感じられるのに比べ、この熊野の海岸に広がるムーンリバーはもっと
原初的な雰囲気があり、この世のものとは思われないような現実離れしたものがありま
す。私がすぐに連想したのがファンタジーコミックの「イティハーサ」の世界でした。この物
語はほとんどが山林などの内陸部が舞台なのですが、一箇所だけ、海辺に主人公達が
たどり着くシーンがあります。そのときの挿絵が切り立ったような絶壁をもつ熊野の海岸
を彷彿とさせるものがあるのです。他の人たちが談笑にふけている間、私はベランダに
も出て何度も夜間モードの撮影を試みるのですが買い換えたばかりで慣れないデジカ
メの取り扱い方が悪く、いい写真は残せませんでした。でも私の脳裡にはこの映像の美
しさ、ファンタスティックさんは克明に刻まれております。
下記の画像は雑誌「MOM」2003年5月号で熊野の海として紹介されたものです。一目
見て天女座から撮影したものと判るでしょう?
トンちゃんが作ってくださった料理は本当に美味しく、鶏肉で味付けして豊富な種類の
野菜を入れた鍋物などは女性たちがレシピを聞いて帰ったら作ってみようと思わせる気
にさせるほど美味でした。
お酒も進み、女性たちがお風呂に行く頃までは私は記憶があるのですが、その後、例
の如くうつらうつらとなりだしたため、紫帆りんさんらに勧められて皆さんより早く寝所に
引き上げ、早々と寝てしまいました。
ただし、翌日の未明に尿意を催して目覚めたことからとんだハプニングに出会うのです
が、それはちょっとここでの公表は憚られますので割愛いたします。
15日は8時に起床。紫帆さんに勧められて漁船による熊野の海岸巡りクルージングに
出かけました。それは想像以上に素晴らしいクルージングでした。
十数年間、熊野に通ってますが、いつも内陸部ばかりにしか眼が行かなかった私に本当
の熊野の海岸線の美しさを教えてくれました。誰もが車で近づける国道沿い観光の名所、
鬼ヶ城などとは比べものにならないくらい美しく、雄壮で、自然の織りなす造形美の連続
と言った風な熊野の海岸線でした。
船を操る漁師さんの腕前は見事で、狭い入江や洞窟の中まで入っていくのです。
真ん中の亀裂のところが入江で、船はそこにスピードを落とさず入って行きます。
入江の行き止まり直前まであわやというスピードで接近していき、空手の寸止めみたいに
直前でピタッと船を泊めるのです。スリル満点でした。
真上はこのように。
再び、外に出て後方にその岸壁を見ます。
そしてクルージングから戻ってきて出発までの間に聴かせてもらった紫帆さんとトンちゃ
んの演奏は本当に心に染み入る素晴らしいものでした。
私はここに来るまで知らなかったのですが、矢吹紫帆さんの演奏はすべてオリジナル曲
であり、即興演奏を得意とされることです。広い音楽ホールの部屋に私たち4人だけが
観客として座布団の上に座り、矢吹さんの即興演奏と、トンちゃん、こと矢中鷹光さんの
即興演奏を聴くのは、それはそれは贅沢な音楽会でありました。紫帆さんは即興演奏を
するとき、聴衆から曲のタイトルを募るのを常としているそうですが、K子さんが「お母さん」
をリクエストしたところ、そのお母さんのタイトルに応えた即興演奏は深く私たちの心を打ち
、K子さんは幸せとは言えない人生を送ってきた母のことが思い出されます、と言って涙ぐ
んでました。
私もリクエストを促されましたので「見返りを求めぬ愛」と言いました。最近読んだ美輪明
宏さんの「愛の言葉、幸福の言葉」を読んで深く感銘を受けた美輪さんの愛に対する認
識を思ったからです。しばし瞑想された紫帆さんが演奏する「見返りを求めぬ愛」はゆっ
たりとしたテンポの荘重な響きを奏でる厳かな音楽で、私の心に深く深く響き、目頭が
熱くなってきました。
「如何でしたか?」の紫帆さんの問いかけに、「私の疑念が解けたわけではありません
が、音楽は深く心に響き、感動しました」と正直に答えました。
矢中鷹光さんは自身が作られたリラという楽器(竪琴によく似た形状)による伴奏で即
興の歌を聴かせてくれるのですが、人間の声とは思えないような草笛のような、あるい
は電子オルガンのようなものに似た音をしばらく奏でて、やがて低いバスの声でお経を
読むような朗読調となり、やがてはイタリアカンツォーネを歌うようなテノールの声で西
洋風な歌を歌い、そしてこれが驚きなのですが、カウンターテナーのような高い音域の
声、それはもう女性のソプラノに近いような声で朗々と歌い続ける得体の知れない、と
言うのか、どの民族音楽に属すのか不明というような様々な声音、旋法を駆使してまさ
に幻想的な歌唱を繰り広げていくのです。聴いている4人は金縛りにあったようにただ
ひたすら圧倒されました。
このお二人の音楽を聴いたとき、この人達はいろんな意味で本物の芸術家である、と思
ったものでした。
先述の雑誌「MOM」に載っていた矢吹夫妻の演奏装束を付けての姿です。
天女座の音楽は下記のサイトから試聴できます。
やがて私たちは天女座を後にして熊野を発ちました。
途中、北山村を通って玉置山のコースを通り、玉置神社の神木も見学し、橿原神宮前に
着いたのは午後7時前でした。
神代杉ではないが、和歌山県下で最大の幹の太さを誇る杉。