不思議な玉手箱Ⅱルワンダ編・その7  by もりぞのとしこ

待ち合わせ場所で、それぞれの車から降りて集合した。一行に、イタリア女性とオーストラ
リア人の男性も加わった。ガイドのほかに、ライフル銃を持ったレンジャーが数人同行する
ことになっているらしい。レンジャー部隊は日夜、交替で山の中を見回り続けているのだそ
うだ。密猟者は入っていないか、あるいはゴリラに異変はないか、と偵察しながらトランシ
ーバーで連絡を取り合っている。



ガイドの「レッツ・ゴー!!」の掛け声で出発。畑の脇の道を黙々と歩くこと30分。石垣の
前でストップの号令がかかった。水牛など野生の動物が山から下りてきて、周囲を荒らさな
いように、延々と石垣を廻らしてあるところで、一人ずつ、1.5メートルはある石垣をよじ
登って向こう側に飛び降りる。
石垣の向こう側は、ゴリラの森が奥深く広がっている。いよいよだ。期待に胸は高鳴る。

高く伸びた竹林がうっそうと一帯を覆っているので、森の中はうす暗い。足元にはイラクサ
やアザミが地面を隠すほどに追い繁り、かき分けて進むと、たまにトゲがチクリと厚めのズ
ボンの上から脚に刺さる。
マウンテンゴリラは草食動物なので、たけのこや竹の葉、イラクサや草の根などを食べるそ
うだ。この森はゴリラにとっては食料の宝庫だ。

20分ほど歩いたころ、レンジャーがゴリラの尿を発見。「近くにいるぞ!」みんなワクワク
して色めき立つ。
さらに進んでいくと、竹林に囲まれた場所に草がなぎ倒されている、畳4枚分ほどの空間が
あった。
そこに驚くほど大きなゴリラの母親と赤ちゃんのゴリラが、地面に寝転がってゴロゴロして
いた。人なれしているのか、私たちを見てもちっとも動揺したりしない。赤ちゃんゴリラが
母親の身体に上がったり下りたり、あるいはとんとんと背中を叩いたりしている。赤ちゃん
の甘えぶりはまったく人間の赤ちゃんと変わりない。お母さんのかわいがりようも、愛情た
っぷりで目の中に入れても痛くないと言った様子だ。


藪の中で竹に登ってしならせて遊んでいるもの、座って竹の根っこや草をむしゃむしゃ食べ
ているもの、だが、時々私たちの方を茶色い小さな目でチラリと眺めている。
ときおり「グフグフ」と喉から出す声が聞こえる。
我々は夢中でシャッターを押したり眺めたりして、ひたすら遥か昔の親族との魂の交流を楽
しんだ

実況中継をするとこんな様子だ。
ガイド  「ほら、そこに来た!」
ゴリラがガサガサガサと草をかき分けてやってくる
ツアー客 「子供をだいている」
ガイド  「指さしてはだめ」
ツアー客 「こっちに来るぞ」
ガイド  「後ろにさがって、さがって」
みんな  「さがれ、さがれ」みんなあわてて後ずさりする
ガイド  「さあ、森のキング、ゴフォンダの登場!!」
“Here comes a King of the Forest,
Gofonda!!”
とドラマチックにいう
みんな  「おお、おおきいぞ」「すごい」
ガイド  「グッグッグッ」
と喉を押しつぶした声で鳴き声をまねる。
ゴリラはガイドを見て安心しているのか、近くで草を食べ始める
ゴリラ  バリバリバリ(草を噛みちぎる爽快な音)



どうやってガイドやレンジャーの人たちはゴリラの個体識別できるのか?と不思議に思うが
、それは鼻の形で見分けるのだそうだ。
このサビニョ・グループのボスゴリラは43歳のシルバー・バックで、名前は「ゴフォンダ」
。一般に背中の白い、大人のオスゴリラをシルバー・バックという。かれらは力持ちで、大
きく、ボスとして一族を率いる実力を持つゴリラだ。

ガイドの話によると、ゴリラの寿命は45歳というからゴフォンダは相当の高齢者だ。しかし
、いまだボスとしてファミリーを率いている。身体が大きく筋肉もりもり、まだまだトップ
の座にいてもよさそうだが、若くてハンサムな二番手のオスゴリラが次に控えている。
そろそろボスの座を明けわたす日が近いのだろう。そのときにはこの大きな、たくましいゴ
フォンダもボスとしての地位も権力も失い、(悲しいかな!)リタイアーしたおじいさんゴ
リラとなるのだろう。

私には特別にうれしいハプニングがあった。
ビュービューと木をしならせて遊んでいた2,3頭の子供のゴリラたちが(人間で言うと5,6
歳児かも)、木から下りてきた。驚いて後ろに後ずさりする私たちの前を、とおり抜けざま
に、その中の小さい児が私の膝に手でチョコンと触れて行ったのだ。まるでおどけたように
、「こんにちは」とあいさつをしたようだった。

1時間はゆうに経ったころ、家族と寝そべってゴロゴロしていたボスが(ゴロゴロしている間
も、時々こちらをチラリチラリと見ている)、突然起き上がり、私たちの2メートほど目の前
の草むらにノッソノッソとやってきた。何をするのかと思ったら、お尻をこちらに突き出し
て「ハイ、おしまい」という格好をしたままじっとしている。
すごくおちゃめな挨拶。あきらかに「もう帰ってくれよ。充分だろ」という意思表示だった
ようだ。
それを機にガイドが「さあ、そろそろ帰りましょう」とみんなに声をかけた。

最後にガイド氏とお話しをした。本やテレビの番組で見たダイアン・フォッシーの話をした
ら、遠くに聳える、最高峰のカリシンビ山を指さして、「彼女はあの山にいたのだ。私が子
供のときに彼女のお使いをしたこともあるよ」と話してくれた。その口調はいまもその死を
惜しんでいるように悲しそうだった。この国の人たちの思い出の中に、フォッシーは今も生
きているようだ。

別れ際に、ペイシャントさんは「日本のツナミとエクスプロジャン(原発の爆発)は、どうだ
った?私も衛生放送でずっと見ていたが、たいへんだったね」と親切ないたわりの言葉をか
けてくれた。
日本から遠く離れたこの地にも、日本の惨事に心を寄せてくれている人たちがいるのかとあ
りがたく、感謝の気持ちでいっぱいになった。
ちなみにルワンダ政府から震災直後に、「義捐金」として日本政府に200万円のお金を寄付さ
れたのを、多くの人は知らないだろう。私はその心持の大きさに感動した。

ゴリラのいる森を出てから、ロッジに戻り、『ルワンダ、ゴリラ・トレッキングに参加した
証明書』(Rwanda Gorilla Trekking Certificate)をもらった。
「ゴリラに会ってくるからね」と家族や友人に大見得を切った以上、これが無くては日本に
帰れない!!

とても疲れたが、はかりしれない満足感をもってキガリへの帰路についた。