インドへの旅立ち・No.1  もりぞのとしこ(文・イラスト

1988年12月初旬
 一週間もすれば夫の待つニューデリーに行けるというある日、
突然わたしは死の宣告を受けた。余りにもはかなく、余りにも
残酷な運命だと呪った・・・。なにより、夫とまだ母親を必要
とする年齢の子供たちを遺してどうして死ねるだろう。それま
で不真面目な信仰心しか持たなかったわたしだが、御旨のまま
に召されるのがキリスト者の道だというのなら、生きたいがた
めに神を捨てようと思った。

 わたしの生きてきた足跡は何だったのだろう・・・。
 わが人生を振り返ってみて、描き終わっていないままのキャ
ンパスを眺めているような呆然とした絶望感を味わった。あと
に残る家族に何を置いていってあげられるのか。苦悶の日々が
続いた。

 種々の検査の結果、医師は「間違いだったようですねえ」と、
事も無げに言った。たったそれだけで片付けられた悲喜劇だっ
たけれど、わたしには「もっと生きなさい」という神の啓示の
ように思えた。

 そういったいきさつもあって、夫の新しい赴任地であるニュ
ーデリーは、わたしたち一家にとって(とりわけわたしにとっ
て)新生活の第一歩として申し分のない土地であった。

 
 インドは自分との対決を迫られるところだ。
         E・M・フォスター著
            ”インドへの道”より


12月29日
 12時発エアーインディアにて出発。中国南部の山々を飛び
越え、バングラデシュ、チッタゴン、ベンガル湾、カルカッタ
上空を通過、そしてデリーと約7時間の飛行を終えてインディ
ラ・ガンジー国際空港に到着。インド時間では22時30分だ
った。
 着陸前、身を乗り出すようにして窓から眺めると、デリーの
街には侘びしげなオレンジ色の灯火が無数に散らばっている。
 暗く殺風景なターミナル・ビルに、形ばかりの貧弱なクリス
マスツリーが忘れ去られたもののようにしょんぼりと立ってい
た。イミグレーションを出た所に、夫のオフィスのY氏とイン
ド大蔵省の人たちが待っていて
くださった。
 ひとたび空港ビルの外に出てみると、人、人、人でごった返
している。コンクリートの舗道に毛布にくるまってゴロゴロと
眠っている人たちなど、誰も気にも留めていないかのようだ。
「すごい、ここがインドなんだね。」あまりのショックに子供
たちは目を白黒させて、周囲を見回している。
 Sさんご一家が紅いバラの花束を手に、待ちかねた様子だっ
た。S夫人は以前夫の家の隣に住んでいた人で、いわば幼馴染
みだ。9月に催した前任者と夫の交替パーティーの際、奇遇に
も、30年ぶりの再会をしたのだ。(S家は今年8月にJ社の
事務所長としてデリーに来たばかりだった。)
 街は暗い。ネオンサインなどどこにも見当たらない。靄が一
面立ちこめて視界が悪いのが、わたしと子供たちの不安を一層
掻き立てるようだ。オベロイホテル泊。

12月30日
 オベロイホテルにてインド第一日目の朝。
 目の前にこんもりとした萌葱色の森が広がり、窓の大きな一
枚ガラスをキャンバスにして描き上げた大きな風景画のようだ。
鈍色(にびいろ)の朝靄と深い静けさに包まれ、幻想的な雰囲
気が漂う。これが悠久の歴史を持つ「インド」という国なのか。
 野鳥の群れと緑色のオウムが飛び交っているなかを、威張り
くさった頑固親父風の禿鷹二羽が、高い樹のてっぺんから鷹揚
に辺りをへいげいしている。
 朝食のあと、フレンズ・コロニーの新しい家に行く。庭の手
入れが行きとどき、30年も経っている家にしては清潔そうだ
った。グラディオラス、ダリア、ストック、マリーゴールドな
どが、カラフルなカーペットを広げたように一面に咲いている。
ポーチの脇はレモンの木に黄色い実がたわわに実り、その重
さに枝がしなっているのが目を引いた。
 マリ(庭師のこと)が白く長い服をダラリと着て、頭と顔半
分を白い布で巻いたいでたちで(防寒のためらしい)庭仕事を
していた。立派な口髭が、茶褐色の肌に陰りと疲労感を漂わせ
ているかのようだ。インド人のほとんどが、このマリのように
黒々とした口髭をたくわえている。どの人も眉根を寄せて気難
しい顔をしているのは、厳しい生活環境のせいだろうか。
 12月初めに到着していた、日本からの船荷を解く。ラジャ
クマールという名のスイーパー(掃除人)が棚を拭き、床を掃
いてくれた。痩せた小さな男で、悲しい目をしている。
 「とにかくベッドを買わなくては」と、どこかに車で出かけ
た夫が2時間ほどすると帰ってきた。
 数時間後、1人の老人が自転車にくっつけたリヤカーにシン
グルベッド2台とダブルベッドをくくり付けて、ハーハーと息
を切らしながら到着した。老人はあちこち足で蹴ったり、手で
叩いたりしながらネジと釘でどうにかベッドを組み立てて帰っ
て行った。前時代的ともえいる方法で何でもやってしまう根性
には脱帽だ。
 今では先進国の文化人となった我々日本人も、40年前には
こういう生活をしていたのではないか。時代に逆行することを
肯定するわけではないが、あまりにも便利になりすぎた我々の
生活を、たまには原点に帰って見直すのは大切なことかもしれ
ない。

 インドの人は、「イエス」を「アチャ」と言い、頭を「ノー」
というふうに、何度も横に振る。首ふり人形を連想して吹き出
してしまった。慣れないわたしたちには、イエスとノーを理解
するのにしばらくは時間がかかるだろう。
(続く)