インドへの旅立ち・No.10 もりぞのとしこ(文・イラスト)
4月12日
本屋で、アングロインディアン(アングロサクソンとの混血
のインド人)の著名な老作家、ラスキン・ボンドの「ザ・ルー
ム・オン・ザ・ルーフ)という小説を買った。かなり前の作品
だが、時代のギャップがなく、日本でも興味を持たれそうな作
品ならば、うまくいけば翻訳できるのではと淡い期待を抱いて。
毎日すごい暑さだ。戸外に出ると熱風に肌がひりひりと痛む
ほどだが、湿気がほとんどないため汗は少ない。家の窓という
窓にチックという布張りの簾を垂らしていると、家の中はさな
がら深海の如くほの暗く、暑さのために動かずにいるわが身は
ひっそりと棲息する深海魚の如し。
サーバント一人一人が家庭問題を抱え、それにいちいち係わ
っていると(こういう人たちは平気で自分の問題をぶっつけて
くる)自分の精神状態がおかしくなってきそうだ。常に彼らの
問題の本質は、金銭的に貧しいということに帰するようだ。
4月18日
昨夜、急に激しい胃痛がし、骨がガクガクして具合が悪くな
る。このところの接待疲れか、あるいは使用人の問題が続いた
せいか。この頃とくにインドが嫌い。夫が国外に出張中のため
心理的負担多し。
4月19日
一日中落ち込んだ気分で過ごしていると、インドでの単身赴
任の「週末の憂鬱」がなんとなく理解できるような気がする。
孤独ではないが何か気が晴れず、これといってすることがない
ため倦怠感に身を持て余す。
「このところ何故インド嫌いがこうじてきたか」と自問。答
はインド人のどうしようもなく狡猾な性格が我慢できなくなっ
たから・・・。
果物屋でも八百屋でも人が見ていない隙に、必ず1つ2つ腐
りかけの物を入れたりする狡さ、外交問題でいえば、捕鯨問題
の採択のときの日本への裏切りにも等しい行為等など。もちろ
ん好ましい人達もたくさんいるのは解っている。例えばオフィ
スのゴウアー氏もナタラジャンも、いつも紳士的で思慮深い人
たちだと思う。しかし、・・・ね。
4月20日
ここでの日々が無駄にならないように生きて行こうと決意を
新たにした。この何年かは若い頃のそれとは重さが違う。貴重
なる日々を前向きに過ごしたい。物事をネガティブに考えない
ようにしよう。
ディフェンス・マーケットのチキン屋さんに行って驚いた。
今までは丸ごと冷凍にして売っていたのが、足1キロとか皮な
し1羽などと分類されて売られていた。大変な進歩だと感心し
た。こうして少しずつ、ゆっくりではあるが商業ペースが作ら
れているのか、今がその過渡期かもしれない。
4月21日
ダスさんが訪ねて来る。「日本のユネスコに勤める田島氏の
新作童話の翻訳権を得たので、講談社の援助のもとにインドの
多数の言語に翻訳して出版することになった」という。そのた
め解らない部分を英語で教えてほしいとの依頼である。
わたしが原本の日本語を口頭で訳してあげるのを、ダスさん
が書き取るという作業をする。原本は韓国人の画家が描いた美
しい挿し絵をふんだんに使い、かなり高級感のある児童書だが、
予算的にカラーのものは出せないし、紙質もずっと落ちたもの
になるが止むを得ないという。
「この本が出版されると、インドの小さな村々に配布され、
子供たちの教科書として使われることになる」とダスさんは嬉
しそうに話した。「国際識字年」のイベントとしてやる、イン
ド政府の大きな計画だそうだ。
(続く)