インドへの旅立ち・No.11 もりぞのとしこ(文・イラスト)
4月22日
今日は朝から隣りの家のサーバント・クォーターがざわめい
ている。ヒンドゥー教の祭りのなかでも、特に重要なものの一
つである「ホーリー」の日だからだ。この日はカーストの区別
なく、互いに色粉や色水をかけ合って祝福し合うのだ。街では
何日も前から、赤、青、黄、緑などの色粉を山のように盛り上
げて売っていた。
大人も子供も、あちらこちらでキャーキャー喚きながら粉を
かけ回っている。わが家でも子供たちが、友達と朝から色水入
りのゴム風船を作るのに忙しい。バケツに山盛り作ったゴム風
船を、屋上から隣りの家のサーバントめがけて投げたり、門の
前で通りかかる人にぶっつけたり。子供たちにとっては快心の
お祭りだろう。
門の内側で見物していると、頭から顔から赤や緑の粉で染ま
った、サーバントであろうと思われる一団が大笑いをしながら
通り過ぎて行った。なんて楽しそうなんだろう。この人たちは
お祭りを純粋に楽しめる、子供のような人たちなんだ。
今日を境に本格的な夏の到来だそうだ。
4月26日
東京からのミッション21人のパーティーを我が家で。オフ
ィスの夫人方にも応援を頼む。とくに変わったものがないので、
おむすび、チキン唐揚げ、野菜の煮物、味噌汁など、ありきた
りの家庭料理となったが、地方でカレーを食べ飽きた人達には
かえって好評だったようだ。
暑さ一層厳しく。
4月28日
グルモールの燃える朱色は夏の盛りを祝っているかのようだ。
紫色のジャガランダ、黄色のゴールデンシャワーはもう終わり
が近い。
シルク・コットンツリーの実がはじけて、小さな真綿のかた
まりがふわふわと風に舞っている。人々の様子は変わらないが、
昼下がりになると道端で寝ている人が多くなってきた。
夏に備えて海老を買うつもりだったが、もうその気力はない。
ディフェンス・コロニーの、ブータンから珍しい野菜を月に
何度か空輸しているという店に行ってみる。量、質ともに十分
ではないがアスパラガス、アーティチョク、アボガド、レタス、
チューリップ、ブータン米などを売っていた。ブータンで活躍
している青年海外協力隊員の努力が実って、これらの農作物が
できるようになったのだそうだ。そういえば、ヒエやアワを常
食としていたブータン人が米を好むようになってしまい、ヒエ
やアワに見向きもしなくなったという話しを聞いたばかり。
4月29日
一日早い珠貴の誕生パーティーをした。朝から暑く、みんな
の元気がもうひとつ足りない。わたしはわたしで少しめげてし
まった。ケーキを作っても、ホットケーキを作っても、日本か
ら持ってきた小麦粉が古くなったせいか、失敗ばかりしてしま
ったため・・・。
大家のデュアさんの姪のスジャーナという12才の女の子が、
バンガロールから来ていたので誘ってあげた。この子はバンガ
ロールの、家から少し離れたイギリス式のボーディング・スク
ールに入っているという。インドの上層階級の子女は、こうし
た寄宿舎生活をして厳しい躾を受ける。スジャーナの学校は厳
格なヴェジタリアンを教育方針とするところらしく、うちに来
てもミルクだめ、卵だめ、バターだめで、結局クッキーもチョ
コレートも食べられず、果物を口にしただけだった。どうして
そこまでする必要があるのか、わたしには疑問だが、小さいな
がらも自分を律してなかなか健気だ。
いろいろヴェジタリアンをみていると、「あるものを食べる
ことによって汚れるから食べない」ということより、「食べな
いことによって自分に克つ」ということのほうが大事なのだろ
うと思える。
夕方、剛樹とアメリカン・スクールのサッカークラブの打ち
上げにいく。アメリカン・スクールの野球場を開放してのパー
ティーだが、どうしてこうもアメリカと日本のやることに差が
あるのかと情けなくなってしまった。
日本人学校は、やっと新校舎建設の気運も高まってきたとこ
ろだが、完成にこぎつけるにはまだ何年もかかるだろう。今子
どもたちが学んでいる校舎は、20年も前に、まだ子どもの人
数も少ない頃一般家屋を改造したものである。建物がすっかり
古くなってしまい、毎日配電盤の故障による停電があって先生
方も困っておられる。
それに引き替え、アメリカン・スクールはどうしたことか、
デリーの中心地に広大な敷地を有し、広々としたスポーツ・コ
ンプレックスまで持っているのだ。まさに、それぞれの国の国
民に対する姿勢の違いといえるだろう。日本は金持ち国家だと
いわれているが、実は、昨今マスメディアでよく言われている
ように、にわか仕立ての成金国家であり、個々の日本人はそう
いう国の在り方にけっして満足していないだろう。こういう時
つくづく日本の経済発展の薄っぺらさを感じるのである。
(続く)