インドへの旅立ち・No.12 もりぞのとしこ(文・イラスト)
4月24日
ドグラ夫妻と子供さんが来訪。ドグラ氏とは、夫が23年前
に初めてインドに立ち寄ったとき偶然知り合い、今回日本大使
館に勤務している彼にまたもや偶然再会したという縁のある人
だ。
中流家庭のドグラ家では、子供の教育にとても熱心だ。彼の
家庭のように、家、車を持ち、さらに子供の教育に力を入れる
家庭がインドにも増えてきた。
これらの条件は、かつては少数の上流家庭のものだったのだ
ろうが、現代インドでは「中流階層の台頭」というものが生じ
てきているらしい。これはつい2、3年前から販売されている
「スズキマルチ」という小型車の売れ行きをみてもよく解る。
スズキマルチは日本のスズキ自動車とインドの民間資本との合
弁で製造されている小型車だが、発売以来ものすごい売れ行き
を見せている。
中流が生じたからマルチが売れるのか、あるいはマルチが出
てきたから中流といわれる層が生まれたのか。なかなか興味深
い社会現象である。
一部の人に握られていた富ががんじがらめになっていたイン
ドの社会にも、全体的な所得の上昇や、生活の向上による社会
構造の変化が少しずつ起きているのだろう。
5月4日
バンコックへの食料品の買い出しに行く。
飛行機の中で出た、朝食のオムレツとベーコン、クロワッサ
ン、コーヒー、桃と梨のコンポートに感激。どうということの
ないものだが、常日頃、食料事情の悪さに辟易しているので、
未開人が文明の味に触れたほどの驚きを感じたのだ。この5カ
月間、見えない形でずいぶん我慢を重ねてきたものだ。
インド人がやたら多く乗っていて、うろうろ歩き回ったり、
大声でしゃべったりしてうるさい。実に自己中心的な人種だな
あと、憤りがこみ上げてくる。インドの暮しやインド人を疎ま
しく思うこの頃だ。
5月13日
連日の暑さいよいよ酷く、日中の気温が45度などという日
が続いている。ただ救いは湿気の少ないこと。昼夜を問わず停
電がある。もっとも今のところは1、2時間ですんでいるけれ
ど。
6月2日
午前1時にデリーに到着する。2週間ばかりの日本滞在の後、
心重く帰途についたのだが、わが家に着いてみると、意外にも
ほっとしたのは不思議なものだ。サーバントたちに留守番のお
礼を気持ちよく言って、愛犬オビーの「淋しかったよー」とい
う訴えを聞き、疲れた身体に鞭打ちながら食料品や書籍、衣類
などの入った10個余りの荷物を解く。ダンボール箱や発泡ス
チロールの箱に入れて持ってきた食料品を、冷凍庫や冷蔵庫に
しまい終えたのは朝方近かった。
暑さはピーク。留守番の夫と犬は少々夏ばて気味だった。
6月5日
夜半より風強し。砂嵐が吹き荒れ、チックが風に煽られて、
パタンパタンと壁に打ちつけられる音に目を覚ます。外を眺め
ると、朝方の空は不透明の、黄色味を帯びた不吉な色だ。これ
が有名な「サンド・ストーム」だ。はるばるタール砂漠から吹
き飛ばされてきた黄色い砂がベランダ、ガラス窓を汚し、家の
中にも舞い込み、果てはクローゼットの中までザラザラにして
いる。
カラフルな花をつけて街を飾っていた街路樹が、今は新しい
緑の葉を繁らせている。
街には夕方になると、家のない者やその辺の道端に張ったテ
ントから出てきた者が、ごろごろと道端や公園に寝転がってい
る。そのまま夜を過ごすのだ。家の近くの建築現場にたくさん
の労働者が住みついているらしい。素裸の子供たちが遊んでい
る。ときには道にうつ伏せになって裸のまま眠っている。いつ
も5、6才の女の子が、1才になるかならずの子の面倒を見て
遊んでやっている。
学問を受ける機会も得られず、こういう毎日を送っている子
供たちを不幸な環境にいて哀れだと、わたしたちは思う。しか
し、わたしたちの価値判断をそのまま彼らに当てはめることは
難しい。
(続く)