インドへの旅立ち・No.13  もりぞのとしこ(文・イラスト

6月9日
 U夫妻、Y夫妻をディナーに招待する。メニューは洋食フル
コース。(とはいえ大したご馳走にはなり得ない。)
    オードブル       ・メロンとスモークサモン
                ・かにカクテルのパイ皮詰
                 め
                ・きゅうりとチーズ
    グリーンピースのスープ
    トマトのファルシー
    豚フィレステーキ、いんげん、ポテト、にんじん添え
    プラムのゼリー
    コーヒーとクレープ
 貴重なワインを開け、楽しいおしゃべりに花が咲く。締めく
くりがいつも美味しい食べ物の話になってしまうのは、余程わ
たしたちの食い意地が張ってきたせいか。

6月12日
 街の様相はすっかり変わってしまった。これもまたデリーの
一つの顔なのだろう。照りつける太陽、じりじりと焼けた地面、
埃まみれの樹。しかし、人々は案外平静な顔をしている。気候
の変化の激しい、酷しい国ならではの忍耐強さなのか。それと
も諦観から生まれた無我の境地か・・・。
 今美味しい果物・・・・メロン、ライチ、マンゴ、さくらん
ぼ、いちじく。

7月1日
 湿気が多く、いよいよ雨期の到来と思われる。夫は今夜日本
に帰国。駐在員会議のため。

7月2日
 そろそろベッドに入ろうかというときに突然停電。ベッドに
横たわるが、あまりの暑さに眠ることができず、たまりかねて
デス(公営の配電会社)に電話をしてみる。返答無し。仕方な
く、真っ暗い中を車を運転して、近くのデスの出張所まで出か
ける。フレンズ・コロニーの停電はいつまで続くのかとその辺
にいる男に聞く。あと2時間位で、と男が答える。一応納得し
て帰るが、本当に言葉通りになるとは思えない。しかし他に打
つ手はない。4人でとうとう大理石の床に長々と伸びて、電気
がつくのを待つ。アイスノンや濡れタオルで顔や身体を冷やし、
うちわで煽ぐ。結局朝まで停電が続き、子供たち3人とも寝不
足状態で学校に行く。

7月13日
 またまた停電。どうやらわが家の配電盤がショートして燃え
たらしい。デスを呼んで、すったもんだの揚げ句(袖の下をい
くらかあげるかで交渉した結果200ルピーで話がまとまる)、
本線からのラインを一つ確保してもらった。これは本当をいう
と法律違反であるが、背に腹は換えられない状況だ。大家さん
に配電盤を取り替えてほしいと言うと、「替えたければ自分で
やってほしい。こちらは保険を掛けてあるから、たとえ火事に
なろうと平気だ。」と平然。いつもサーバントの少年たちを平
手打ちしたり、がみがみと小言を言ったりしている人のことだ、
こういう返事もあろうことかと一人で嘆く。怒りを分かち合う
夫がいないのが悔しい。それにしてもひどい大家に当たったも
のだ。
 オーバーチャージしないようにできるだけ灯を少なくして、
子供たちの部屋の床の上に布団を敷いて、みんなで寝ることに
した。一番の心配は冷凍、冷蔵している多量の食料品のことだ。
SさんとTさんに電話をしたら、発砲スチロールの箱を持って
品物を取りに来てくれた。2軒のお宅の冷蔵庫に入れてもらっ
たおかげで、どうにか、これから1カ月間食べていかなくては
ならない貴重な食料を守ることができた。感謝。

7月14日
 夫の留守中いろいろあったけど、子供たちが病気にならなか
っただけ良かったなどと思っていたら、夕方、珠貴が泣きなが
ら友達の家から帰宅。39.2度の高熱。ドクター・ダワール
に駆けつけたが、原因は不明。マラリヤ、デング熱などの恐ろ
しい病気の可能性も出てくる。明日血液のチェックに行くよう
にとの指示を受け、解熱剤のみをもらって帰宅する。
 熱が下がっては上がり、断続的にうなされる。水風呂(ルー
クウォーム・バス)につけた時はいいが、またしばらくすると
容赦なく上がってくる。寒い、寒いと訴えるので、毛布をかけ、
そばで本を読んであげる。朝方41度になり、ドクター・ジェ
インに往診を頼む。のどの検査とマラリヤの検査をうける。

7月16日
 珠貴の病気はマラリヤなどの恐いものではなさそうだ。血液
検査ではシロと出る。ひとまず安心。夫、日本より帰印。留守
中の緊張が解けて、深い疲労感が残る。
(続く)