インドへの旅立ち・No.15 もりぞのとしこ(文・イラスト)
8月28日
やっと雨期らしい様相を呈し、毎日曇天、時に晴れ間、そし
て何度か激しい大雨が降る。涼しくなったが、インドの夏には
パターンがなく、「こういうもの」ということができないと誰
かが言っていたように、このまま長い雨期に入るのかそれとも
セカンドサマーになるのか解らない。
労働者たちは雨が降っても濡れたままで働いている。車に乗
っていて、ずぶ濡れのアンタッチャブルが数人、道端で道路工
事をしているのを見かけた。彼らはなぜあんなに苛酷な一生を
強いられているのだろうか。「輪廻」というものがあるのなら
ば、来世を信じたいと思う彼らの気持ちは察するに余りある。
また輪廻を絶つために、ペナレスの聖なるガンガに身を清めて
祈る、という気持ちも理解できるのだ。
生きることすなわち苦しみ、という人たちがここにはいる。
しかも8億4千万人の大部分がこういう人たちであるというこ
とはインドだけの問題ではなく、全人類にとってたいへん悲惨
なことだ。
8月29日
北の地方の栗、りんご、洋梨、柿と、南の地方のマンゴ、パ
パイア、パイナップル、バナナ、スイートライムなどがデリー
に集中し、良い市場となっている。夏場の野菜の量も種類も今
年は豊富だと、ここに長くいる人から聞いた。これは国内の輸
送システムの向上のためであろうか。
9月2日
日本人学校の創立25周年記念式典が行われた。日本人学校
の前身として、ある駐在員の人が学習塾の如き日曜学校を開い
たのがきっかけで、学校設立の要望が高まったのだという。
創立10周年のとき、校長先生として在職されていた方が鳥
取から、わざわざこの式に出席するために来印された。その方
のお話では、当時のインドが政情不安定で危険であったため、
「大変な国に来た、生きて帰れるのだろうか。」と思われたそ
うである。そういう思いをしてここでの生活をされた方が、そ
の後15年を経て再びこの地を訪れ、記念すべき式典に参加さ
れたことは、その方の人生にとって最も貴重な一コマであった
だろうと思う。
9月6日
オベロイホテルのティーショップで、マサラドーサを注文す
る。マサラドーサはカレー味のマッシュポテトを、クレープ様
の薄い小麦粉の皮にくるんだもの。サンバーというスープとい
っしょに食べる。長さ20センチもある筒状のマサラドーサが
2つも出てきたが、1つ食べるのがやっと。「ポテトのカレー
風味、春巻き」といった感じでホクホクしていて美味しい。
9月13日
街のいきつけの雑貨店で、台所用の殺菌石鹸やダスターなど
と共にトイレットペーパーを買う。いつも言葉を交わしている
店の主人いわく、「奥さん、トイレットペーパーを使うのは汚
いよ。」歪めた顔つきにありありと嫌悪感を表して。わたしは
返す言葉に窮して「そうかなあ。」インドの人に汚いなんて言
われる覚えはないのだけど。彼らは、トイレットペーパーなど
を使う人種をひどく不潔な奴らと思っているのだろう。
インドの「浄」・「不浄」の観念はとても興味深い。流れる
ものは浄、滞るものは不浄だ。どんなに汚れた川の水でも彼ら
にとっては浄、つまり清らかなものなのである。聖なる川で歯
を磨き、沐浴をするのは、そういう観念のもとにちゃんと筋道
が通っているのだ。トイレットペーパーのこと然り、わが家の
ベアラー(給仕人)が流れる水でしか茶碗を洗わないことも然
り。われわれの清潔・不潔というとらえ方とは全く違ったもの
である。縁あってこの国に住んでいる者としては、納得はでき
ないまでも理解はすべきだろう。この浄・不浄のとらえ方が解
ってくると、少しインドが理解できるような気がしてくる。
パーティーにパンジャビ・スーツを着て出席する。だぶだぶ
のズボンに膝丈のオーバードレスを着るため、暴飲暴食をする
とどこまでもお腹が出てくる。上下の色合わせやルパタ(ショ
ール)を合わせて楽しむことができる。
(続く)