インドへの旅立ち・No.16  もりぞのとしこ(文・イラスト

9月14日
 夕方のデリーが好きだ。夕焼けの中に佇む遺跡と、暗い陰影
を擁した樹々との調和は完璧といえる。それを見るたびに、時
を超えた雄大な空間を感じるのだ。生きるための壮絶な戦いが
くり広げられている(と思うのは自分がそうだからかも)ここ
インドにあって、この安らぎのひとときは神の贈り物ではない
かとさえ感じる。天国と地獄が共存する国といっても言い過ぎ
ではない。街の貧しい人々を眺めていると、彼らのささやかな
幸せは一体何だろうと考える。

9月20日
 コックのジョゼが朝食の準備を放り出したまま、自分のクォ
ーター(部屋)に戻ってしまった。「調子が悪いので今日は休
む」と置き手紙を残して。様子を尋ねに行くと、すぐれない顔
つき。話を聞いてみると、どうやらホームシックにかかったら
しい。いったい40才を過ぎた大人の男のすることかと思った
が、辛抱ということをしない人たちなのだから仕方もないだろ
うと諦める。「家族を呼び寄せたいのなら、そうした方がいい
のではないか。ただし責任はもてないけれど・・・」と言って
おいた。しかし彼にその気がないのはわかっている。ヒンディ
ー語も英語もしゃべれない家族がこの都会に出て来たとき、ど
んな混乱と破綻が待っているかは目に見えているからだ。
 ジョゼはケララ州から単身出稼ぎに来ている。いつもよれよ
れのシャツを着て、毎晩仕事のあとに安酒をあおり、揚げ句の
果てには隣のサーバントとけんか、ということが今まで何度か
あった。そのたびに、酒を飲み過ぎるのは止めるようにと注意
したが、破滅型の、弱い男の典型だとしまいにはわたしも諦め
てしまったのだ。
 ケララ州はインドで一番識字率の高い州であり、彼も高校卒
業の学歴を持っている。コックとしての腕は優秀で、英語のレ
シピを渡せばたいていのものを作ることができる。彼の五目寿
司や野菜の煮物などはゲストにも評判が良いのだ。英語がよく
話せることもあって、わたしが台所に一緒にいるときはケララ
の話や家族のことなどをしゃべったりして結構仲良くやってい
たつもり。しかし、わたしがジョゼをある程度同等の人間とし
て扱ったのが、結果として間違いだったのではないかと感じる。
 こういった人たちをまともに人間として扱うべきか、あるい
はそれ以下として扱うべきか・・・。インド社会では「安直な
ヒューマニティー」は通用しない。人間的な付き合いをしよう
とすると、ときたまそれを利用して足をすくわれることもある
のだ。なぜなら彼ら自身、わたしたちから人間的な扱いを受け
ようなどと期待もしていないから。もともとそのように生まれ
ついているからだ。

9月23日
 オフィスの運転手のクマールが、地方に出張中の夫を迎えに
飛行場まで行ったが、飛行機が欠航になったと帰って来る。急
行列車で明日帰ってくるのだろうかと懸念していたら、午後
11時過ぎによれよれになって帰って来た。汽車に飛び乗った
らしい。出張はボパールのパイプラインの視察だったが、行き
は汽車からアンバサダーに乗り換えて7時間。山奥のゲストハ
ウスはいつものことながら清潔ではない上、食べ物も不自由で
大変な所だったらしい。翌日帰るつもりが、飛行機が飛ばなく
て1泊、そしてその次の日にも飛行機に振り回されてしまった。
いつものパターンだ。

10月8日

 今日から3日間「デュセラ」という祭りである。「マハーバ
ーラタ」と並んでインド2大叙事詩の1つとして、この国で語
り継がれてきた「ラーマヤナ」の物語から生まれたものだとい
う。
 3人の悪者に略奪された王女を、ランカ(今のスリランカ)
まで助けに行き、めでたく王女とともに帰ってきたラーマ王子
の武勇を讃える祭りである。3人の悪者の大きな張り子の人形
を作って公園などに飾り、その後燃やすのだ。珠貴も幼稚園で
ラーマ王子の人形を作り、持ち帰って飾っている。

10月14日
 大使館のS氏の「インドのカースト名と地域」という講演を
聞く。今まで、カースト制の仕組みが今一つ理解できなかった
のだが、S氏の説明により納得ができた。日本では江戸時代に
士・農・工・商という身分制度があったが、その概念に通じる
ものとしては「ヴァルナ」と呼ばれる制度がある。これはブラ
ーマン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、ヴァイシャ(商人)、
シュードラ(農民)、アンタッチャブル(不可触民、ハリジャ
ンともいう)と大まかに分類されたものである。

 もう1つのカーストは、先祖の出身地、血族、職業、宗教な
どに分類され、地域ごとに存在している「内婚集団」である。
それぞれの集団が部族集団でもあれば、職業集団でもあり、そ
れぞれが地位を表す姓を持つのだ。これを「ジャーティー」と
いう。
 たとえば、ベンガル地方のブラーマンは、ベネルジー、チャ
タルジー、ムカルジー、ゴングリなどという姓を持つ。この地
方のブラーマンは、7世紀に王がハナウイという地域から連れ
てきて移住させたものだ。グジャラート州のブラーマンはデサ
イという姓。デサイは10個位の村が集まったなかの長であっ

 インド人の姓は、かつては所属する身分のアイデンテティー
のためであった。そして現在も変わりはないのである。
 日曜日の新聞には、かくして、こういう広告がごく当たり前
のこととして掲載される。                


  当方ブラーマンの
  エンジニア26才、
  ブラーマン出身の
  色白な女性を求む。

(続く)