インドへの旅立ち・ あとがき もりぞのとしこ(文・イラスト)
ここにやっとこの小冊子をまとめ上げることができました。
出来、不出来はともかく、これでインドとわたしの関係にケリ
がつけられたと思います。
これは当時の記録をもとにまとめたものです。四季折々のイ
ンドの情景や生活ぶりを綴ったつもりなのに、図らずもインド
に対するわたしの心の振幅までもにじみ出てしまいました。あ
まりにも愚痴っぽかったり、善人ぶっていたり、センチメンタ
ルだったりして、「一主婦がインドにのめり込んで綴った、あ
まりにも感情的な記録」とでもいうタイトルがふさわしいので
はないかと、途中自虐気味にもなりました。
けれどもデリー行きのエアー・インディアに搭乗したときか
ら、こういう記録ふうなものを残したいと決心して書き綴った
ものだし、何よりもわたしたち一家が真剣に生きた足跡にした
いと気をとり直しては、このまとめ作業に取り組んだのでした。
この記録は1年で終わっていますが、それは最初の1年間の
素朴で新鮮な目を大切にしたかったからです。2年目、3年目
とページが嵩むなかで、さまざまな出来事がインド亜大陸を揺
るがしました。ラジヴ首相の暗殺、リザベーションに端を発し
たカースト問題の再燃化、ウッタルブラディッシュ州の大地震、
イスラム教とヒンドゥー教の宗教紛争、そして中東戦争による
経済的危機を、わたしは一外国人として垣間見てきたことにな
ります。そういった社会の混乱のなかで、わたしの生活は身近
な問題が相変わらず続いたのでした。
いったい、インドの生活は何だったのでしょう。
一夜の悪夢か、はたまた、わたしたちに運命づけられた人生
の荒修行だったのでしょうか。
始めに記した「インドとは自分との対決を迫られるところだ」
というフォスターの言葉は、まことに「言い得て妙」という気
がします。インドという国は「自分」を考えさせられるところ
です。あまりにもそういう心象面に深入りしすぎて、息苦しく
なることもしばしばでした。そういうわたしを慰めてくれたの
は、あのデリーの夕焼けであり、樹々であり、不可思議なこと
の数々だったのです。
また、インド生活のなかでわたしを元気付けてくれたものに、
たくさんの仲間と共に育てた「ボランティア活動」があります。
身近かに貧困に喘ぐ人々を目の当たりにしていて、のうのうと
暮らしていてはいけない、という気持ちがわたしたちを「ボラ
ンティア活動」に駆り立てました。そして気が付いてみると、
誰よりもわたしたち自身が「分かち合う喜び(楽しみ)」によ
って助けられていたのです。インドでの、わたしたちの「ボラ
ンティア活動」というものは、そういったものだったと思いま
す。
今インドのことを想う時、苦悩、軽蔑、憎悪、愛着、驚嘆な
ど、かつてのわたしが味わったすべての感情がとけ合って、暖
かく大きな存在となってわたしの魂の一部になったような気が
してなりません。
先日1年ぶりで訪れたデリーは遅々としながらも、確実に歩
み続けている姿を見せていました。「進歩しながらもその伝統
だけは守り通してほしい。」 勝手な希望かもしれませんが、
インドを愛する者の率直な想いです。
この小冊を今は亡き義父に捧げます。初めてわたしの記録を
読んで、「これに着物を着せ、帯を付けるとおもしろいものに
なるよ」と励ましてくださったことを感謝しています。そして
強力と励ましの言葉をいつもかけてくれた夫と子供たちにも、
心から感謝します。
またインドで係わりのあったすべての方々に、ここでお礼を
申し上げます。その方々の友情なくしては、わたしのインド生
活は語れないからです。
最後に、惜しまず諸々のご協力をしてくださった高木妙子さ
ん、稲葉えつさん、碇知子さん、ワープロの相談にのってくだ
さった桜田伸子さんに心より感謝いたします。
1993年12月7日
マニラにて
もりぞのとしこ
参考文献
Tata Service Limited
Dept. of Economic & Statistics
Statistical Outline of India
1989-1990
Deeoak
Ckopra.M.D.
Perfect
Health
Harmony
Books
浜渦哲雄
英国紳士の植民地統治
ブルーガイドブックス編集部
インド
実業之日本社