インドへの旅立ち・No.5 もりぞのとしこ(文・イラスト)
1月24日
翻訳の師である百々佑利子先生から紹介を受けたバーシャ・
ダスさんをナショナル・ブック・トラストに訪ねる。国営の書
籍部といったところだろうか。ダスさんは一昨年のユネスコ児
童アジア会議にインド代表として日本を訪れた人で、インドで
は児童教育において指導的立場にあるらしい。50代の穏やか
なインテリ女性で、英語も優しくきれい。近い将来の再会を約
束して別れる。
1月26日
インドが共和制を開始した記念日。1947年1月26日、
インドは、大英帝国政府による搾取に次ぐ搾取を余儀なくされ
ていた無念の歴史にようやくピリオドを打った。その3年後、
共和国として出発したのである。
式典の始まりを告げる空砲の音が強く大きく鳴り渡った。イ
ンド門から大統領官邸に向かって、まっすぐに延びているラジ
バット通りの両側に、2キロ位にわたって観客が席を埋めてい
る。空砲とともに彼方からヘリコプターが3機並んで飛んで来
て、バラの花びらを観客に振り捲きながら去っていった。ワア
ーっと歓声が上がる。拍手が沸く。官邸のほうからパレードが
始まった。きりっとした軍服に身を固めた歩兵隊が、両手両足
を揃えて規律正しく行進して行く。次々と続く兵隊の軍服が隊
によって様々なのは、地域別、連隊別に分かれているからだ。
馬の軍団、ラクダ、象の行進、戦車、戦闘機、ミサイルと続く。
わたしは、この式典があまりにも効果的に演出されているの
に少なからず驚いた。列を作れないインド人、公衆ルールを守
れないインド人、時間にルーズなインド人、早くもこれらのイ
ンド人的悪習に悩まされ始めていたわたしには大変な発見だっ
た。この国の人たちがもっと教育の場を得て、国民の知的レベ
ルが向上した時、大きな力になるだろうし、脅威にもなり得る
のではないかと思った。
1月28日
わが家のとなりのグプタ夫妻にガーデンパーティーん招かれ、
子供たちと出席した(夫は出張中)。グプタ氏はクラークホテ
ル・チェーンの経営者で、もうとっくに75歳を過ぎていると
思われるが、顔の色つやが良くかくしゃくとした老紳士だ。
朝からホテルのケータリングが来て、庭にテントを張ったり、
タンドールの釜を用意したりするのが、わが家の二階の窓から
覗き見られる。
各国の大使、インド人の医者、弁護士など、招待客の顔ぶれ
は多彩だ。ゆうに百人はいただろう。グプタさんの孫娘2人も、
可愛いパンジャ・スーツで現れ、わたしたちと英語と片言の
日本語でおしゃべりをした。(インドでも日本語熱が高まって
いるらしい。その上インド人は語学に達者な民族なのだ)2
人とも大学生で、1、2年のうちにはヨーロッパに留学するつ
もりだと言っていた。白い肌(母方にアーリア人の血が混じっ
ているのだろうか、少なくとも父方の祖父母の遺伝子の影響で
はないようだ)、彫りの深い目鼻立ち、気だても良く、誰が見
ても幸福を絵に描いたような娘たち。
タンドールで焼いたナーンもタンドリーチキンも美味しかっ
たし、いろいろな人たちとも知り合い、楽しい午後を過ごした。
けれども、こういう桁外れのお金持ちを目の当たりにして、と
ても複雑な気持ちになってしまった。今日1日を生きるのに精
一杯で、道路に車が止まるたびに飛び出してはバクシーシー
(恵みを乞うこと)をする子供たちや、家がなく、道端で野良
犬のように寝ている人たちのことが一層哀れに思われるのだ。
8億4千万人ともいわれる人口のうち、ほんの一握りの上流階
級層は、彼らのような貧困層を踏み台にしてその繁栄を得てい
るのだ。
今日でちょうどインド滞在1か月になった。他のどこの国と
も、その宗教、社会の仕組み、生活ぶり、人種等がまるで違う
国、インドを見るのが興味深かった。頑として自分たちの伝統
を変えない強さを持った国だ。長い歴史に培われた伝統は、イ
ンドをこれから先も変えて行くことはないのだろうか。
(続く)