インドへの旅立ち・No.7  もりぞのとしこ(文・イラスト

2月14日
 ハイアット・リージェンシーホテルにて、日本人会の婦人部
総会に出席しクチプディ・ダンスを見学する。クチプディ・ダ
ンスは次の三部の構成から成っている。
   1 プールバランガム
       リサイタルの最初に演じられる。踊り手はシバ
       神の祝福を求める。
   2 クリシュナ・サブダム
       この踊りのテーマは愛である。崇高な神ではあ
       りながら好色家のクリシュナを踊り手は賛美す
       る。クリシュナは美と愛と強さの権化である。
   3 タランガム
       この踊りは青黒く描かれているクリシュナを誉
       めたたえるものである。
                  (以上総会資料より)
 目の動き、手あるいは指の動き、首の振り方、それら一つ一
つの動作で感情や情景を表現している。とても激しい肉感的な
踊りだ。

ヒンドゥーの神々
    ヴィシュヌ神・・・4本の手に、ほら貝、円盤、棍棒
             刀などの武器を持つ。10の化身
             となって、世界の救済のために働
             く。(魚、亀、猪、人獅子、こび
             と、釜を持つラーマ、ラーマ、ク
             リシュナ、仏陀、カルキン)
    シヴァ神・・・・・穏和な面とともに、破壊の神とし
             ての恐ろしさと粗暴さを合わせ持
             つ。生殖の原理としても崇拝され
             ている。先住の非アーリアン人の
             多種の信仰と結びついているため、
             多くの性質を持つようになった。
    ラクシュミー神・・ヴィシュヌ神妃。富と幸運の女神。
             仏教の吉祥天はこの影響をもつ。
    ウマー神・・・・・シヴァ神妃。パルヴァーティー
             (山神の娘)の名で知られる。サ
             ティー(良き妻)、ガウリー(輝
             く女神)、ドルガー(寄せ付けぬ
             者)、カーリー(黒き女神)など
             の姿を持っている。
    ガネーシャー神・・シヴァ神とパルヴァーティー妃と
             の子。象の頭。事業や商売の発展
             のために崇拝される。

 おもしろいのは、これらの神々が様々に変身して別の顔を持
つことだ。これらの神々を人々はごく身近に敬愛し、インド的
極彩色の宗教画を飾って崇めている。特にガネーシャー神は商
人に人気があり、店には必ずその像を祭っている。

2月16日
 シルク・コットンツリーが花をつけ始めた。葉のない大木に
深紅の5センチもある大ぶりの花が無数に咲いている。花が終
わったあとに残った実が、3ヶ月ほど経って黒く大きくなった
とき、中から白い真綿がはじけ出して、風にのってフワフワと
飛んでいくのだ。
 この真綿を集めるために樹の下にテントを張って寝て待つ人
もいるそうだ。悠長なこと。
 インドの夏は確実に近づいている。毎日気温が高くなってき
た。

2月25日
 バンコックからの「買い出し部隊」が帰ってくる。3ヶ月に
1度の食料品買い出しを、私たちは「買い出し部隊」と呼んで
いる。ダンボール箱を携えたすさまじい格好といい、その量と
いい、これ以上の適語は見あたらない。わが家の購入品は以下
のようなものである。
 豚フィレ・3キロ、牛ステーキ・3キロ、牛すき焼き肉、3
キロ、ハム・1キロ、まぐろ刺身5さく、平目・10枚、さん
ま・20尾、かまぼこ・5本、ひじき・5袋、かんぴょう・5
袋等々。
 食べ物に関して、これほど苦労をするとは・・・、こういう
苦労は、いくら今の日本の人に話しても理解してもらえそうに
もない。つい3ヶ月前までの物質文明に浸りきった生活から、
極端なシンプル・ライフをせざるを得ない状況に身を置いた今、
不満ばかりではなく、本来あるべき姿が見えてきたような気が
する。

3月5日
 タージ・マハールに行く。初めての遠出だ。
 ムガール朝5代皇帝、シャージャハーンが妃ムムターズ・マ
ハルの死を悼んでアグラノの地に造らせたタージ・マハールは、
1630年から完成までに22年間の歳月を要した。
 インドの大理石、赤砂岩を土台に、世界各地の貴石を使用し、
ペルシア、イタリア、フランスなどから技術者を招いたほどの
大がかりな建造物であった。
 アグラは、16世紀初めローディー朝の都になって以後、
1526年にはムガール朝のアクバル帝が都として造営、16
38年、シャージャハーンがデリーに遷都するまで都として栄
えた。

 タージ・マハール廟は真っ青な空を背景に、白くまばゆいば
かりに輝き、その端正な姿を誇っているかのようだった。その
形は左右対象であり、全面の池に映る姿は上下対象であるとい
う。大門から廟まで100メートル位はあり、真っ直ぐに細長
い池が延びている。日曜日のせいでだろうか、人が多い。イン
ド人、欧米人、日本人など様々。
 廟に上がると靴を脱ぎ、大理石の上を素足で歩く。内部はほ
の暗い。四方至るところに、白い大理石を透かし彫りしたハス
の花やひまわりの花の模様、めのう、マラカイトなどの貴石を
はめ込んだ花束の模様などが見られる。
 奥の部屋に皇帝と妃の仮の墓が2つ設置されている。石棺の
蓋の頭の部分に3センチ位の抉られた跡があった。ガイドの説
明では、そこにはめ込まれていたダイアモンドが、大英帝国植
民地時代にイギリス人によって持ち去られたのだという。その
ようにしてかなりの財宝がインドから持ち出されたらしい。イ
ンドの国にとっては苦々しいことだ。
 地下に降りるとひんやりと淀んだ空気が肌に触れた。目を凝
らして見ると、そこにシャージャハーンと妃ムムターズの墓が
並んでいた。外見の豪華さに比べると、墓の部分はかなり質素
に感じる。
 これだけの権力を持った皇帝も、皇子との内紛に破れアグラ
城に幽閉されたまま74歳の生涯を閉じた。捕らわれの身とな
った皇帝は、どんな想いをもってアグラ廟を眺めたことだろう
か。盛者必衰なり。
(続く)