インドへの旅立ち・No.8 もりぞのとしこ(文・イラスト)
3月23日
東京から姪が訪ねてくる。トランク一杯のおみやげを持って。
彼女と共に国内旅行に行く計画を練る。
3月26日
朝4時半起床し、6字40分発のジャイプール行きに搭乗す
る。30分で到着。
ジャイプールはラジャスターン州の州都である。「ピンク・
シティー」という別名を持つのは、赤砂岩を使った建造物が多
く、街全体がピンク色に見えるからだ。そのうす汚れたピンク
色の街が、うっすらと埃をかぶって乾いた感じを与えているの
は、タール砂漠に近い街であるからだろう。デリーのおっとり
した感じからすると、この街はアグレッシブな印象を与える。
まず、ランバーグ・ホテルに行く。このホテルはジャイブー
ルのマハラジャ(藩王)の旧邸宅をホテルとして一般に解放し
たもの。周囲には大きな庭園があり、コスモスなどの花が咲き
乱れている。ティールームで軽い朝食をすませたあと、アンベ
ール城へ。
山上の城は、石を積み上げた城壁に取り囲まれている。見張
り塔には兵士が立ち、敵が襲来した時ドラを鳴らして城内まで
知らせたという。
城に上がるには「象のタクシー」があり(往復100ルピー)、
坂道を何十頭もの象タクがのそりのそりと往き来していた。
楽しみにしていた象の背中は想像以上に高く、荷台の綱は緩
んでいるし、おまけに象が切り立った崖の方にどんどん寄って
行くので、今にも落ちるのではないかと気が気ではない。城に
着いたときには、涙と鼻水と恐怖で顔がぐちゃぐちゃになって
いた。
内部はマハラジャの居住部分とマハラニ(妃)たちのそれと
が別れていて、マハラニの城には12人の妻と200人の側室
が住んでいたそうだ。12人の妻には当然権力争いがあったら
しく、お互いが顔を合わせないように、それぞれの部屋と庭を
塀で囲ってあった。大変な努力だ。
ハネムーンの部屋には、ドーム型の天井に丸い小さな鏡を数
え切れないほど貼りめぐらしてある。きらきらと鏡に反射する
ろうそくの光でムードを出したそうだ。また涼しくする工夫も
凝らしてあった。部屋の外に大きな板ガラスを立てかけ、屋上
から引っ張ってきたパイプを通る水がガラスの上を流れる時、
庭からの風が涼風を呼ぶというアイデアだ。庭園にはサフラン
の花を植えて、その香りを楽しんだ。何から何まで贅沢な話だ。
18世紀に、ジャイブールのマハラジャ、ジャイ・シンフ2
世によって造られたといわれる天文台、「ジャンタル・マンタ
ル」を見学した。なんと「秒」まで分かる日時計である。時間
の観念に乏しいインド人がこういう遺跡を持っていることがな
にか滑稽にも思われる。ジャイ・シンフ2世はデリーにも壮大
な「ジャンタル・マンタル」を設計、建造した。
シティパレスはジャイ・シンフ2世がアンベールの山城から
移した(1792年)城。チャンドラ・マハール(月光宮殿)
と呼ばれる宮殿が中央に位置している。ここに今もマハラジャ
の末裔が住んでいる。彼には今や権力はないが、富と名声はあ
る、とガイドは言っていた。
3月31日
カシミールに行く。ヒマラヤに近く気流が悪いためか、飛行
機の揺れが激しい。乗っている間中、ひやひやのし通しだった。
ジャンムー・カシミール州、州都のシュリナガールに近くなる
と、雪を頂いたヒマラヤ連峰が右手前方に見えてきた。圧巻。
エアーポートに着くと、どんよりと暗い空から小雨がそぼ降
り相当の寒さだ。すぐにセーターやジャンパーなどを出して着
る。デリーでは、このところ30度を超える日々が続いている
というのに。
旅行会社からの迎えのアンバサダー(インドの国産車、厚い
鉄板を使用しているためとても頑丈)に乗り込み、一路、山間
の地グルマルグへと向かう。シュリナガールの町はデリーとは
まったく違った趣をもっている。丈の高い、細い木があちらこ
ちらに見られるが、ポプラかそれに属した種類の樹木だろうか。
建物や壁や屋根を淡い緑、オレンジ、レモン色などに塗ってあ
り、どっしりした石造りの家の多いデリーの、ともすれば暗く
感じられるものに比べ、暖かく可愛い印象を受ける。
ミルクのように白い顔に(スラブ系の血も混じっているのだ
ろうか)哀愁を帯びた目鼻だちが美しいというより、この地方
の苦難に満ちた歴史に痛めつけられてか、むしろ弱々しげにみ
える。彼らは自らをカシミール人と呼び、他のインド人と意識
的に区別している。インド人が嫌いなのだ。
シュリナガールの町を過ぎたあたりから、見渡す限りの菜の
花畑が続いたが、車が登り坂のでこぼこ道を進んで行くにつれ、
雪深い山の中に入り込んで行くのだった。3時間ほど走ったと
ころ、一面雪におおわれた針葉樹の森の谷間に、わたしたちが
めざすハイランド・ホテルのコテージが点在していた。雪のた
め、車を降りてレセプションまで10分ほど歩く。凍りつく寒
さに打ちひしがれ、「どうして、はるばるとこんな寒いところ
まで来てしまったのだろう」と後悔しきりだ。やっと暖かいス
トーブのあるバールームで、インディアンティーを飲み、暖を
とる。客はわたしたちだけのようだ。こんな山の中に「ジャパ
ニー」(日本人)がやって来たというので、ホテルの人たちの
愛想がすこぶる良い。
ウエスタン・フードとカシミール・フード(カレー料理)を
取り混ぜた暖かい夕食を済ませたあと、ホテルのサーバントが
わたしたちのコテージに案内してくれた。このコテージは、ボ
ンベイのムービースターが映画撮影のために投宿していた由緒
ある部屋だ、と自慢気に言う。ストーブに薪をくべて、「明日
は何時にお茶を持ってきたらいいでしょうか」と聞いたあと、
「グッドナイト、ハブ ア ナイス スリープ、サー」と引き
上げて行った。
時々青白い稲妻が空を走ると、天地が一瞬にして照らし出さ
れ、その度に、暗いひっそりとした樅の林の中に眠っている雪
に埋もれたコテージが、浮かび上がって見える。それから、よ
うやく地獄の底から響いてくるかのような大音響がとどろき渡
るのだ。
再び、雪が降り始める。
(続く)