インドへの旅立ち・No.9  もりぞのとしこ(文・イラスト


4月1日
 早朝ことことという物音に目覚める。サーバントがベッド・
ティー(英国時代からの影響か、インド人には寝起きに一杯の
紅茶を飲む習慣がある)を運んで来たらしい。昨夜から降り続
いていた雪がかなり積もっていたが、天気は上々だ。
 朝食のあと、皆で、ホテルで借りたスノーブーツとジャンパ
ーを着て、見渡す限りの雪野原に飛び出て行った。子供たちは
雪橇に乗って、丘をめざして進んで行く、雪橇といっても、村
の人が綱を引いてくれるのに乗っているだけ。少々後ろめたい
思いを感じながらも、「ま、いいか、こうやって仕事を作って
あげるのも人助けだ」と自分を納得させながら、わたしも橇に
乗って子供たちの後を追って行った。(インドというところは、
いつもこういうふうに自問自答させられるところだ。)
 「エイホ、アラヨ」とかけ声をかけて、坂を上ったり下りた
りする。この村の人たちはイスラムの信者がほとんどで、かけ
声はアラーの神に助けを乞うているのだそうな。橇がホテルに
もどると、あちらこちらからチップを要求する手が伸びてきて、
あげるまで引っ込まない。
 11時にタクシーが迎えに来た。この別世界を後にするのは
とても残念だ。もう一生ここを訪れることはないかもしれない。
昨日の雪道ではあんなにここに来たことを呪ったのに。ひやひ
やしながら、ノーチェーンのアンバサダーで山を下りる。雪の
森を走り抜ける時、まるで、小さい頃に読んだ「森は生きてい
る」のおとぎ話のなかにワープしたような気分になって、今に
も妖精たちが踊り出て来るのではないかという錯覚に陥った。
 シュリナガール、オベロイホテルにチェックインを済ませ、
遅くなった昼食をとる。
 カシミール・エムポリアムに行く。手作りのペーパーマッシ
ュの小箱を数個おみやげに買う。遠くヒマラヤを望み、ダル湖
を眺める。胡桃の木が丸裸で寒々しい。本格的な春はこれから
なのだろう。

 ダル湖の周辺には、地元の人たちが暇そうにたむろしている。
男たちはグレーの厚手のマントをはおり、片手しか出していな
い。マントの中で「コングル」という小さな手持ち火鉢を持っ
ているのだそうだ。女性は男性より働き者なのか火鉢など持た
ず、刺繍入りのウールの短い上着を着て、頭にスカーフを巻い
ている。車、オートリクシャー、馬車などが頻繁に行き来して
いて、なかなか活気のある町のようだ。

4月2日
 朝食を済ませて荷物をまとめ、町の観光に出かける。ムガー
ル庭園を背に立つと、ゆらりゆらりとボートハウスをたゆたわ
せたダル湖が目の前に広がっている。ムガール朝時代に造られ、
王や妃たちの格好の避暑地として愛されたというこの地にふさ
わしく、美しく広大な庭園である。
 そこここに胡桃の大木が密生した裸の枝を広げて、大男のよ
うにつっ立っている。「おまえたちは彼のムガールの人々が散
策する様子も、そうやってじっと眺めていたのか」と問いかけ
ながら歩いて行った。
 シュリナガールの町の中は小店が並び、人が多く賑やかだが、
湖の対岸はのどかそのものだ。信州の田舎といった趣を呈して
いる。庭先でにわとりが餌を啄み、菜の花畑や野菜畑があり、
羊や山羊の群れを追う人がいる。ここに住んでいる人達は貧し
くても、「素朴な生活の豊かさ」を知っているのではないかと
思った。胡桃を2キロと藤のバスケットを買ってホテルに戻り、
エアポートに。
(続く)