リワさん

人はそれぞれ様々な価値観を持って生きています。
リワさんの病歴のことで、お客さんとの違うという話の中にそれが顕著に表れていると思いました。

リワさんは様々な病気を乗り越えて今があることに幸せの価値を持っています。
一方、お客さんは病気に罹らないことに価値観を持っています。

どちらもその人の幸せ感ですね。

話は変わりますが、私は住友銀行のシステムの仕事に就職しました。
当時の住友銀行はNCRのコンピューターでオンラインを稼働させていました。
一方他の大銀行はIBMや富士通、日立などのコンピューターを使っていました。
住友はNCRが他のコンピューターメーカーよりもかなり格安なので採用していました。

面白いことにNCRとIBM等にはシステムの動き方に大きな違いがありました。

NCRは安いだけに良くダウンします。
しかし、システムのオーバーヘッドが軽いので数十秒で立ち上がって稼働します。
営業店から見ると、ダウンしたのが分からないくらいです。
月に何度もダウンしますが、営業店から見るとノーダウンシステムに感じます。

一方、IBMなどのメーカーは滅多にダウンしません。
しかし、一度ダウンするとシステムが重いので数時間はリスタート出来ません。
営業店からするとその間端末が動かなくなります。
システムダウンが顕著になります。

これとリワさんとお客さんの価値観の違いが似ているように思いました。

リワさんは病気で何度もダウンしたけれども、立ち直っていつも元気に生きてきました。
お客さんは一生病気をしないかもしれませんが、もし病気にかかったら大病になるかもしれません。

私はリワさんの価値観にとても共感します。
自分自身はこれまで病気らしい病気をしなくてこれまで来ましたが、このあと大病にかかったらそれは死ぬときだろう、と覚悟しています。



外交官という名に抱くイメージは洗練された物腰、幅広い教養、冷静な判断
力、相手に友好的イメージを抱かせることなどを身に付けたものと私は思って
いるのですが、今回の中国大阪総領事、および中国アジア局長の物言いと態度
はおおよそ、それらとはかけ離れたものであることは間違いのないところですね。
当然、習近平さんの了解のもとなされているのでしょうが、中国人外交官への
イメージをひどく損なうもので、長い目で見たら中国にとって何一ついいこと
は無いと思います。

その点、6月28日の近畿修猷会の教養講座に講師として来られた元ウクライナ
大使の松田邦紀氏は、こんな外交官が日本にもいたのかと驚くほどの沈着冷静
で人間的魅力にあふれた人柄でした。
著書『ウクライナ戦争と外交』はとても読みやすい内容でウクライナ戦争の現
状をよく書き表しています。

集合写真、左から3人目が松田邦紀氏。


 



私があまりにも幸せな人生を送ってきたと思っていることは案外独りよがりの
発想かも知れません。
と言うのは前にここにも紹介した私の病歴の話を顧客にしたことがあるのです。
このような様々な病気を早めに発見することができて潜り抜けてきた私はラッ
キーな男だと思っています、と言ったところ、「そんな怖い病気や手術を何度
もしてきてどこがラッキーなのですか?」と顧客に言われ、私は言葉に詰まり
ました。
まさに顧客の思うことが当たり前だと自分でも判るのですが、この顧客の言葉
を思い出す度に私は笑いがこみ上げてき、機会があれば人にも紹介したくなる
この私の心理状態がそんな普通の人だったらラッキーとは思えない病歴も肯定
できて、幸せ感を醸し出しているのだろうと思ってます。



k.mitikoさん

それだけ鮮明に記憶に残っているのでしたら礼子姉さんをリアカーに載せて火葬
場に行ったのはお父さんだと思います。

森脇家のたった一人の男子である私の病気の行方が気になるお気持ちはよく解り
ますよ。



リワさん

私の記憶違いがあるかもしれませんが、見送る人もいない礼子の遺体を
リアカーに載せて火葬場に行ったのは、戦後まもなくのことだったのでしょうね。
戦場から復員したお父さんが引いていたのは鮮明に覚えています。誤解だったの
でしょうか。

姉弟仲良くについての貴方の意見は最もです。私は4人の弟妹たちの死に
立ち合い、両親の深い哀しみを目撃していますので、現在も健在している
私たちが、その悲しみの上に暮らせていることに感謝したいと思っている
だけのことです。今度の帯状疱疹後神経痛のことでは森脇家のたった一人の
男子である貴方の健在が、お父さんとかさなりました。それほど子を亡くした
親の悲しみに立ち会った私は、貴方の発病を漫然と見過ごせなかったのです。



k.mitikoさんが記されていた亡き妹は礼子という名で、父が作成した我が家の
過去帳を見ると昭和20年9月24日に4歳で亡くなっているので戦前ではなく、戦
後間もなくです。

父は内地でしたが、招集をうけて出征していましたから戦前だったら礼子姉の
出棺に立ち会うことはできなかったです。

私が生まれる2年前に亡くなっているので私は生前の礼子姉を知りませんが、
母が礼子姉について私に話してくれたいくつかの話を聞いていて特別な思いを
この姉に抱いています。
食事でおかゆしか出せなかったとき、「まだある?まだある?」と尋ねながら
おかゆをすすっていたこと。
生後間もない弟、力(つとむ)の離乳食が無くなっているのに気が付いた母が
「礼子ちゃん、あなたがたべたのでしょう!」と叱ったとき、「お姉ちゃんた
ちも食べた」と泣きながら訴えたこと。

過去帳によれば、礼子姉が亡くなる3日前に弟、力は2歳で亡くなっています。
私たちの両親はどんなに辛い思いをしてきたことかが思いやられ、また私はこ
の4歳まで生きた幸薄い礼子姉への強い哀悼の意を時あるごとに感じながら生
きてきました。



k.mitikoさん

痛みは神経ブロック注射を打つ前から全然、変わっていません。
神経ブロック注射も処方された3種の鎮痛薬も今のところ、効果は無いです。
しかし、医師が止めましょうと言わない限り、しばらくペイン外来への通院を
続けるつもりですし、k.mitikoさんに紹介してもらった漢方薬局からの薬も明
日あたりに届くはずですが、それも併用してしばらく様子を見ることにします。
痛みが治まったらお知らせしますので、それまで見守ってやってください。

寿命がつきるまで命を全うすることが親孝行という話については、それも大事
ことですが、残された子どもたちが仲良く生涯を全うすることの方がより大事
なことのように思います。
長生きしても兄弟姉妹が仲が悪く、憎しみ合うようでしたら親にとってはこれ
ほど親不孝なことは無いでしょう。



リワさん

痛みは少し和らぎましたか。貴方の決意を知り、私もほっとしています。
私たち姉弟7人の私は長女です。現存しているのは私たち3人。
4人もの子を亡くした私たちの両親の悲しみを思うと、生き残った私たち
3人は寿命がつきるまで命を全うすることが親孝行と思います。いかがですか。

戦争末期に亡くなった妹を見送る人もいない中、お父さんが一人リアカーに
遺体を載せて火葬場に向かった光景は忘れることができません。
私の脳裏にこびりついたあの光景。私たち子どもは、その悲しみにむくいる
ために寿命の尽きるまで努力することが、この世に両親はいなくとも大事では
ないかと思います。如何でしょうか。

私は自分の寿命は未来に託します。そして努力はします。



k.mitikoさん
私が長生きするよう祈願いただき、ありがとうございます。
私は友人にも様々な幸運にも、あまりにも恵まれた幸せな人生を送ってきてお
り、帯状疱疹後神経痛となってこの痛みがずっと続こうとも私に与えられた試
練として受け入れるつもりでおり、自分では不満は無いので多分、長生き(95
際まで)はすると思います。
不満を抱くとストレスになるので寿命に影響します。
ミサイルの到来に常に怯えてすごすウクライナやパレスチナの人たちのことを
思うと、帯状疱疹の痛みなんて些細な悩みごとです。

百面相さん
ワクチンを打たれたおかげ奥様が軽症に済んんだとは良かったですね。
軽症で済んだのでしたら5万円のワクチン代は高く無いです。
今は期間限定で、かなり安くなっているようですね。
ただ、私はインフルエンザワクチンを打ってひどい目に遭ったので医師のアド
バイスもあり、ワクチン類は一切受けていません。



怪人百面相さん

今日の「冬夕焼けと三日月」の写真には心打つものがあり、
その素晴らしさに圧倒され、感動しました。我が家の空は
まわりのビルのために狭く、閉鎖的な日常もあり、このような
風景は見るべくもありません。

感動は希望と勇気を与えてくれます。ありがとうございました。



今日の夕焼けです。
とても綺麗に焼けていました。
夕焼けだけでも立派な舞台なのですが、今日はうっすらと三日月を添えていました。
やはり味わいが出ます。

●大舞台三日月を添え冬夕焼




k.mitikoさんの投稿を見て、表題のことをいつものごとく、Copilotで調べて
見たら下記の答えが載ってました。

世界との比較ポイント
- 薬剤の選択肢の違い
欧米では アセトアミノフェン が第一選択薬として広く使われていますが、日
本では長らく NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬) が中心でした。その結果、
副作用(胃粘膜障害など)への対応が必要になり、医療費にも影響しました。

- オピオイドの使用状況
アメリカでは慢性疼痛にも強オピオイドが広く使われた結果「オピオイド危
機」が起きました。一方、日本は麻薬取締法や保険制度の規制が厳しく、オピ
オイドの乱用は少ないですが、逆に「必要な患者に十分に届かない」という課
題も指摘されています。

- 腰痛など慢性痛治療の差
欧米では局所麻酔による日帰り治療や再生医療(PRP、幹細胞治療)が進んで
いますが、日本では依然として「内服で我慢→歩けなくなったら手術」という
流れが多く、技術導入が遅れているとされています。

- 医療DX(デジタル化)の遅れ
北欧や米国では患者データの共有やAI診断支援が進んでいますが、日本はまだ
病院間の情報連携が不十分で、鎮痛医療の効率化にも影響しています。

⚖️ まとめ
- 遅れている点:アセトアミノフェンの普及の遅さ、慢性痛治療技術の導入、
医療DXの進展不足。

- 優れている点:オピオイド乱用防止の規制、国民皆保険制度によるアクセス
の広さ。

つまり、日本は「安全性を重視するあまり、世界標準の鎮痛医療に追いつくの
が遅れている」状況です。ただし、乱用問題を避けられている点は強みとも言
えます。



リワさん

怪人百面相さんのコメントと写真は有難いですね。私の騒ぎすぎかも
知れませんが、この病気の二面性を知っていました私は、隠れた
神経痛の恐ろしさに正気ではおれませんでした。

昨日の漢方薬局へは禁じられている一人歩きをちょうど良い具合いに
居合わせた次男を付き添いに尋ねることができました。

夜の看護師への電話相談で手ごたえのある回答を得られ、貴方の
落ち着かれているのもわかり、今ほっとしているところです。
帯状疱疹後神経痛は医療制度の整っていると言われる日本でも
医療の落とし穴だと思います。

それと日本の医療は痛みにかんしては欧米に大きく遅れていると
いわれたのは十数年もまえのことです。あまり進歩していませんね。

国民皆保険はアメリカよりましですが、老いと過労とストレスは
今なを自己管理の範囲です。このことを自覚されて私より14歳も
若い貴方、これからの長寿を祈っています。



リワキーノさん

後遺症の気分転換に今日の写真を送ります。
1枚は午前中。
もう1枚は夕立です。
どちらも今日の日和にふさわしく穏やかな写真です。


 



リワさん

帯状疱疹の後遺症が続いているのですね。
それほど酷くはないと書いてますが、やはりそれなりに辛いのでしょう。
k.mitikoさんからの思いやりの溢れるメッセージもありがたいですね。
毎日仕事も続けておられることですし、是非無理をされずに過ごして下さい。

私ごとですが、昨年高額でしたが思い切って夫婦で帯状疱疹のワクチンを打ちました。
今年の秋に妻の胸に5センチほどの湿疹が出たので、すぐに医者に行き診てもらったら、恐らく帯状疱疹でしょうと言われました。
医者にワクチンを打っていることを話しすると、ワクチンは感染を止めることは出来ないが、重症化することを抑えるので、これ以上大きくならないと思います、と言われたそうです。
それでも大きくなることを心配しましたが、医者の言う通り3、4日で湿疹は無くなりました。
思い切ってワクチンを打っておいてよかったと胸を撫で下ろしました。



k.mitikoさん

私の帯状疱疹のことを取り上げてくださり、ありがとうございます。
ただ、私に関しては痛みは激痛というほど強いものではなく、何とか日常生活
をやり過ごしていますから私に関する限り、あまり深刻には取らないでください。

背中や太腿に発疹が出た友人たちは刃物で切られたような鋭い痛みを感じた例
が多いようですが、症状は個別に違うようです。
帯状疱疹後神経痛になると長い年月、痛みが続く可能性があり、そうならない
ように願っていますが、こればかりはどうなるか判りません。

ただ、有難いことに睡眠時に仰向けになって顔の位置を右に30度傾けるとズキ
ン、ズキンとする痛みは無くなり、鈍い鈍痛だけになるので睡眠は十分取れて
いることです。
おかげで昼間眠気に襲われること無く、仕事をはじめ、日常生活は難なくやり
過ごせています。



このホームページに集うみなさんは、先日弟が載せた
帯状疱疹に侵された顔面を覚えておられることでしょうね。
そのすさまじさに思はず身の凍る思いをしましたのは
姉の私だけで無かったと思います。

病名はよく耳にしますが、この病の恐ろしさはその後にあることを
知っていました私は、危機感を持ちました。案の定あの顔面の背後で
進行していました神経痛が正体を表し、弟に襲いかかりました。どんな
痛み止めも効果が薄く、病人を苦しめました。

帯状疱疹は首から上に出ると眼、耳 頭などの重要な部分に大きな
影響を与えると昔から言われています。弟はそこを直撃され激痛に
苦しみました。ペインクリニックの処置も効果が薄く、その段階に
いたると治るのに5年、10年かかると言われています。

病名に帯状疱疹後神経痛と言われるほどこの病の恐ろしさは、
他の病気にはないものがあり、今弟は、必死に戦っています。
この病気の対策として予防注射がありますが1回5万円とのことで、
だれにも機会があるわけでなく、まず体のどの部分でも湿疹が出ましたら
一瞬の猶予なく病院でみてもらうことです。

どうぞ皆さんこの病気の餌食にならないために行動をおこしてください。
頑張っている弟を励ましてやってください。



k.mitikoさん

過分なお言葉に恐縮するばかりです。
私自身はそれほど立派な人間ではないことをよく認識しております。
ただ、k.mitikoさんのお言葉は、私に対する激励だと受け止めて、これからの人生を真にそのような人物になるように精進していこうと思います。

俳句はあくまで楽しく続けて下さい。
上達しようとすれば必ず壁に当たります。
それよりも毎日のんびりと時間潰しの積りで楽しむのが1番です。
お互いに楽しく俳句を作っていきましょう。



リワさん
百面相さんとの出会いは私にとって幸運なことでした。
馴染みの薄い俳句がきっかけとなり、添削を通してお人柄が
わかり、厚かましくも私の初めてのボーイフレンドになって
くださいました。百面相さんからすれば私は91歳のガールフレンドに
なりますので、お気の毒ですが、俳句をならいたい一心ですので
百面相さん受いれてくださいね。これからが見ものです。



いやぁ~
なかなかに素敵な写真ではありませんか!

今日は少しがっかりすることがあったのですが、お二人の写真を見るとその気分が変わりました。



2人の記念写真です。



k.mitikoさん

出会って語り合うだけで先の見えた老後における希望を見出すとは、百面相さ
んの人柄と知性の素晴らしさをがうかがえますね。

その同じ人が、率直な物言い、書き込みでNGを女性たちから突き付けられるこ
ともあるのですから、個性って本当に不思議なものですね。



リワさん

お師匠さんとの素敵な写真は火曜日にyosiyuki にアップしてもらいますが
お師匠さんとの語らいを通して、人間の生き物としての心身の痛み、苦しみ
悲しみなど不安がある限り、AI がどんなに進歩しようが決して人間を超える事は出来ないものと確信しました。その人間独特の感情は芸術や宗教に昇華されこそすれ逆に生きる力になるのではではないかと実感させていただきました。
お師匠さんとの語らいのおかげで未来に希望がもてるようになりました。
そして私の長年に一人暮らしの貴重がとけ、心が楽になりました。



k.mitikoさん

百面相さんとの出会い、とっても充実した時間だったようで良かったです。
k.mitikoさんの投稿だけでなく、昨日もらった百面相さんのメールからも推察
できます。
百面相さんの了解を得たので、ここに紹介させてもらいます。

昨日、福岡の姉上とお会いしてきました。
想像以上に若々しくお話しも上手な方で驚きました。 
まるで私よりもかなり若い女性と話しているような錯覚までしてしまいました。
とてもフレンドリーに話していただき、お話しをしている間に、もう何十年も前からの知り合いと話しているような思いにもなりました。

抹茶を出していただけるということでお伺いしたのですか、お昼の食事まで準備して頂き、3時間半もお邪魔してしまいました。

お話が次々と盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていきました。
お別れするのが残念でしたが、新幹線で帰る日でしたので後ろ髪を引かれながらお別れをしてきました。

姉上は見合い結婚をしたので、男の人とお付き合いしたことが無い、とおっしゃるので私が初のボーイフレンドに立候補しましたよ。
姉上とは俳句の友人からボーイフレンドに昇格させて頂いた日でもありました。



リワさん
昨日は怪人百面相さんが我が家にいらっしゃいました。
私は拙い俳句を詠み、いつもご指導を受けています弟子として
胸をどきどきさせながらお待ちしておりました。
定刻に登場された怪人百面相さんのいきな帽子のかげから伺える
その若さに驚きました。

その生い立ちから始まった百面相さんのお話は、驚くとともに
現在の百面相さんのお人柄の原点に共感すること多く、感銘を
受けました。私の詠む句の添削のおりに常々感じる繊細な優しさに
この方と出会えて良かったと真から思いました。

私が詠み始めました肺句の世界の奥義のようなことも他の話に織り
交ぜながらの話は尽きることなく、いつまでも伺っていたい、遠く
離れているのを残念におもいました。もう先が見えて来ました私に
遅ればせながら俳句の世界を知りましたことは幸運だったと思いました。

師となられる方の繊細な優しさとおおらかさは今の私にとりまして
「私には夢がある」と述べたキング牧師のことを思いだしました。
素敵な写真を送っていただきましたが、私は処理が出来ませんので
火曜日に息子が来ましたら掲載します。



網戸の天辺近くでじぃいっとしています。多分ここから巣立ったかまきりなんでせう。
1週間前に登場したあのかまきりです。産卵したら冬を越すことなくさよならするのでしょう。

何を考えているのか、タダじぃいっとしているだけです。
私も窓越しに見上げ、ただじぃいっと見ているだけです。

雲が流れ陽ざしが出てきました。気持ちも明るくなってきます。
諸行無常もきえていきました。

可愛い女房はお出かけ じじぃはジジとにったりでお留守番、炬燵にはいり可愛い女房のお稲荷さんを食しておりますんじゃ。

やれやれa・l・n



とある畠山さん

投稿をありがとうございます。
私、昨夜は投稿に気づいたのが深夜になりまして返信が遅れたこと、大変申し
訳なく思っています。
畠山家に縁故のある方が私の手記を読まれて投稿をしていただくとは本当に嬉
しく思いました。

ただ、「西吉野の畠山一族」の手記はツル姫さんの要望によって長いこと非掲
載としていたのを数年前に必要に駆られて再び掲載したものですぐに非掲載に
するつもりだったのが私の怠慢でそのままアップされたままになったので、ツ
ル姫さんの承諾を得てはいないのです。

このあたりの詳しいことをここ談話室で語るのは憚られますので、畠山さんは
私に直接メールをいただけますでしょうか。
そうしたら詳しい話をお伝えさせてもらいます。
hisao.moriwaki@gmail.com

こちらこそ、是非、一度お会いしたく願っております。



初めまして。とある畠山です。

2013年の畠山重忠の記事に非常に深く感銘を受けました。
我が家の家系図に「奈良県吉野郡宗檜村」と記載があり、長年なんのことかと思っていたところ、リワキーノさんの記事を読み畠山重忠公のゆかりの地でる土地ということを知れました。
どうしても一言御礼申し上げたく。ありがとうございます。

ツル姫さんの人柄紹介の文章にはとても既視感があり、幼い頃、父や叔父に聞いた祖父の紹介そのものでしたので、畠山家ってそういうものなのかと思いました。

願わくば、リワキーノさん並びにツル姫さんに一目お会いしてお話聞いてみたいと思っています。
我が家系が吉野群においてどの系統だったのか、供養参加してもいいのか‥?など聞いてみたいことがたくさんあります。

・・・

当方まだ38歳と若輩であり不勉強ではございますが、是非お近づきになりたく勇気を出して書き込んでおります。。
現在は岡山に在住しておりますので、関西は足の届く範囲であります。


蛇足ですがピアノの音色がとても好きです。
父は趣味でジャズピアノ弾いてます。
僕はおさわり程度です。ギターは弾けます。




ゴーヤは好きですね。
日よけに茂らせているのですか。
いや、結果的に日よけになったのでせうか。

今日、友人と顧客から年始挨拶辞退のハガキが届きました。
いずれも故人の享年は100歳とのこと。

私は95歳を目指しています。
6歳年上の家内よりは長生きすると約束したので95歳なのです。
完璧なアナログ人間の家内を置いて私が先に世を去ることはできないのであり
ます。

100歳まで生きたら周囲に同世代の友はもう誰もいないですぞ、怪盗殿。



日除けのゴーヤ、繁ったってもんじゃーありません。100円と200円の苗、大人しかわからない苦ぁあ~い実を結び、
夏の日差しを遮ってくれました。  可愛い女房”陽が差さないから早くかたずけて! 寒いっしょ!”

今朝、炬燵に入り、久々の太陽に窓を見上げると、簾をカマキリがそろそろと登ってます。
お腹のおおきなメスのかまきりです。産卵するのでせうか、なんと、簾のてっぺんまで登り、

4本の足で簾の横さんを掴み、鎌で空をかいてなおも上を目指しています。
何故か里山の道の中央にはカマキリがうろついています。メスにたべられたり、車に牽かれたりしたしたのも、、、。

しぜんにみをまかせることなくあらがいせいにしゅうちゃくもくひょうひやくごえa・l・n



私が少年時代に本で読んだ外国での話です。

ある城が敵方に攻められて落城寸前になったときに城は降伏を申し入れるので
すが、敵将が示した条件は「女は許す。持てる荷物を持っての城外へ去るよう
に」というものだったのです。
そして城から続々と出てきた女性たちは荷物ではなく、夫や子どもや兄弟を背
負っていたのです。
敵将はその女性たちの心意気に感じて許したそうですが、このエピソードは実
話でしょうか。

私は上記の質問をチャットGPTが出たころに質問したのですが、そのときの回
答は「史実では見当たりません」というものでした。
ただし、私がチャットGPTに質問したの3年前。今では違う回答が出てくると思
います。

それをつい今日、Copilotで質問したのですが、下記の回答でした。

このエピソードは、実話というよりも「寓話」や「伝承」として世界各地に語
り継がれているもので、特定の実在の出来事として確認された記録は見つかっ
ていません。ただし、類似の話は複数の文化圏に存在します。

よく知られる類似の逸話
この話にはいくつかのバリエーションがあり、以下のような形で語られること
が多いです

- 古代ギリシャの伝承:ある都市が包囲され、降伏条件として「女性は持てる
だけの荷物を持って退去してよい」とされた。女性たちは夫や父、兄弟を背負
って出てきた。敵将はその知恵と忠義に感動し、全員の命を助けた。
- 中世ヨーロッパの逸話:ポーランドやチェコなどの民話にも似た話があり、
女性たちが「荷物」として家族を背負って出てきたという筋書きが見られま
す。
- 中国の故事:明確に一致する話は少ないものの、戦乱の中で女性が家族を守
るために機転を利かせる話は多く存在します。

物語の性質と意義
このような話は、以下のような価値観を象徴的に伝えるために語られてきたと
考えられます:
- 家族愛と忠誠心:女性たちが命をかけて家族を守る姿は、普遍的な感動を呼
びます。
- 知恵と勇気:戦の中でも冷静に条件を読み解き、機転を利かせる知恵が称賛
されます。
- 敵将の寛容さ:敵であっても人間的な感情を持ち、相手の心意気に敬意を払
う姿勢が描かれます。

結論
この話は特定の史実に基づいたものではなく、道徳的・感情的な教訓を含んだ
寓話として、さまざまな文化で語られてきたものと考えられます。リワキーノ
さんが若い頃に読まれた本も、おそらくこのような伝承を紹介したものだった
のでしょう。
もしご希望であれば、この話をもとにした短編小説や詩の形にしてみることも
できますよ。



談話室に投稿される皆様
談話室の掲示板ですが、主催する私が管理用ページにアクセスできなくなりま
した。
原因を今、探っているところですが判らない状態です。

どんな障害があるかと言いますと、皆さんが投稿する際に編集キー(記事を編
集・削除する際に使用)を記入せずに投稿し、後でその投稿を削除したいとき
に以前はこちら管理人で削除できたのができなくなりました。
そのため、投稿されるときはイの一番に「編集キー」を記入してください。

次に迷惑投稿があったとき、それを削除できないことです。
不快な投稿、あるいはポルノ画像が投稿されても(過去にあったのです)それ
を削除できないのです。

何とか解決策を探していますが、今、談話室は上記のような状態であることだ
けはご承知おきください。



写真俳句 頑張る夕焼け

昨夜は随分夕焼けが頑張ってました。
昨日は、前日ほどではありませんでしたが、まだ雲の多い日でした。
それでも休養十分だったのか、夕焼けはかなり派手に頑張っているように感じました。

●休み明け派手な装ひ秋夕焼


  



百面相さん

確かに地味で、とりたててコメントしたくなるような画像では無いです。
しかし、このような地味な秋空にもそれなりの美しさを感じられる感性には感銘
を受けます。



今日は雲が多くスッキリした秋の空ではありませんでした。
それでも地味な秋の空にもそれなりの美しさを感じられました。

●秋の空地味で静かで大人しく


  



アメリカ大リーグワールドシリーズ 【返信】
 リワキーノ
 2025/11/03 17:00 No.2030
ロスアンゼルス・ドジャースが優勝しました。
日本人の野球ファンの多くが喜んだことでしょうが、私は敗れたトロント・ブ
ルージェイスとファンたちへの強い哀切の念を感じています。

30チームあるアメリカ大リーグの中でカナダのトロントというアメリカ国外に
本拠地を持つ唯一の球団へのトロント市民だけでなく、カナダ国民の思い入れ
は強く、32年ぶりのワールドシリーズ制覇を願って死闘と言ってもいい7戦を
闘ってあと一歩というところで敗退していったブルージェイズ。

ブルージェイズの本拠地ロジャースタジアムでの試合を見た人たちでしたら誰
も感じたでしょう、あのブルージェイズのファンたちの応援ぶりの切実さを。

大谷翔平がホームランを打ったときに静まりかえるスタジアムと、ブルージェ
イズの選手が得点するかも知れないという打席のときには全員立ち上がって見
守るボックス席の観客の様子。

第7戦の9回裏、ブルージェイズが一打さよなら勝ちのチャンスのときに山本由
伸が出てきて抑えきり、その後も続投して最後に勝利投手となったこと。

大谷選手は大リーグ入りするとき、ドジャースかブルージェイズかの選択肢が
あったのがドジャースを選んだため、シリーズで大谷選手が打席に立つと凄い
ブーイングが起きたこと。
これはフェアなマナーではありませんが、それほどブルージェイズのファンた
ちは大谷選手の獲得を熱望していたことの裏返しという現象のように思えます。

その後、山本由伸、佐々木朗希という日本を代表する投手がドジャースに入団。

ブルージェイズのファンたちはどんなに思ったことでしょう。
この3人がいなければ絶対にブルージェイズが勝ったと。

敗軍の将、ジョン・シュナイダー監督のコメント(要約)

選手への称賛:「自分たちの野球はできた。彼ら(ドジャース)は確かにいい
チームだけど、僕はこのチームの26人、世界中のどのチームより誇りに思う」。

敗戦の悔しさと感謝:「本当に激しいシリーズだった。自分たちが最後まで勝
ち残れなかったのは残念だが、デーブ(ロバーツ監督)とそのスタッフ、そし
てチームの皆に心から祝福を送りたい」。

-シリーズ全体の振り返り:「両軍、すべての選手が正しい意図を持ってプレ
ーしていた。選手たちが今日のようによく戦ってくれたことには、心から感謝
している」。
(いずれもCopilotから)

そしてジョン・シュナイダー監督はこうも述べています。
「選手たちのことを思うと勝てなかったことは本当に辛い」

来期は是非ともブルージェイズにワールドシリーズ制覇を成し遂げて欲しい思
いです。

しかし、シリーズを通して私は心理的にブルージェイズを応援しましたが、私
が応援するとろくな結果にしかなりません。

日本のプロ野球でのパリーグの優勝争いでは私は福岡市出身なのにソフトバン
クではなく、日本ハムを応援しました。新庄監督のファンなので。
日本シリーズでは阪神を応援しました。
大リーグではブルージェイズを応援しました。
いずれも敗退。
私は疫病神なのかも知れず、来季の大リーグの試合はあまり見ないことにします。