3/10 2007掲載

「『闇の奥』の奥」 ベルギー領コンゴ・・・・・v.K.

 

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以下は最近読んだ本「『闇の奥』の奥」(藤永茂著 三交社)の書評です。

 

映画「地獄の黙示録」はヴェトナム戦争を舞台にした話題作である。しかしこの映画には下地となった著明な英文学作品「闇の奥」があることを、ほとんどの日本人は知らない。「闇の奥」の舞台はアフリカ中央部、コンゴである。作品中にコンゴ奥地で象牙狩りをするベルギー人元軍人が登場する。彼は屋敷の廻りに殺した敵の生首を槍先に刺して晒すなど、恐怖的手法で絶対的支配者として黒人に君臨している。しかしその彼もジャングルの魔力の前で狂い死にする。フランシス・コッポラは「闇の奥」の舞台をヴェトナムに移し、象牙商人を脱走米軍大佐に置き換え、その役をマーロン・ブランドに演じさせて映画「地獄の黙示録」を製作した。

 

子供の頃地図帳を開くとアフリカ大陸西岸の赤道直下にベルギー領コンゴと書かれた地域があった。父の持っていた戦前の地図帳には白領コンゴと書いてあった。白とは白耳義、ベルギーのことである。かなり広大な地域で、ベルギー本国の何十倍もの広さがあった。この王国も大国に混じって領土獲得競争に加わり、しかし小国だからこのように気候風土の一番悪そうなところしか、獲得できなかったのだろうな等と、想像していた。しかしベルギー領コンゴについて、小中高等学校を通じ、教えてもらった記憶はない。

 

アフリカを人はよく暗黒大陸という。それは輝かしい近代文明から取り残されたことを意味したり、そこに住む黒人が捕らえられ、奴隷として売られた悲惨な歴史を指して言うこともある。実際のところアフリカの熱帯雨林は太陽の光が遮られ、地表は常に薄暗い、将に暗黒の世界だという。アフリカは資源の宝庫らしい。しかしその資源を求めて密林へ分け入った文明人達は、魔物のようなジャングルから手荒いもてなしを受けた。数々の伝染病は文明人を介して世界に広まった。ジャングルにはヨーロッパ文明を受けつけない魔力がある。ジャングルの魔力は、人々を狂気へと導いた。

 

写真に掲げた書籍のタイトルにある「闇」とは、ベルギー国王(ベルギー政府ではない)がコンゴで採取される天然ゴムで巨万の富を得るために、そこに住む人々へ搾取と残虐の限りを尽くしたことを指す。ベルギー国王の私兵は黒人達を鎖につなぎ、不自由な姿で作業を強いた。残虐の一例が写真に見られる。彼らは黒人が抵抗すると、容赦なく右手首を切り落とした。そのうち彼らの抵抗の芽を摘むため、子供の右手首を切り落とすようになった。切り落とした手首は、黒人の人口を把握するのに役立てた。

 

「闇の奥」とはベルギー国王領コンゴの悲惨な実態を描いた本の標題である。20世紀になった最初の年に、コンラッドという帰化イギリス人がこの本を著した。この本は高い評価を受け、コンラッドは作家の地位を確立した。そして名作「闇の奥」は英語圏の大学で最も多く教材として読まれている本の一つだそうである。

 

「『闇の奥』の奥」とは、そのコンラッドを人種差別を容認する差別主義者であると糾弾する、この本の著者藤永の声である。

実はコンゴの実態を初めて白日の下に曝したのは、解放された奴隷の血を引くアメリカ人ウィリアムスで、彼は奴隷制度反対を唱える高貴な君主と世に言われるベルギー国王レオポルドU世に公開質問状を出した。その一部を藤永は「『闇の奥』の奥」で引用しているが、ここでも紹介したい。

 

『・・・陛下の政府が原住民に対して遂行した欺瞞、詐欺行為、掠奪、焼き討ち、殺戮、奴隷狩り、そして残虐無慈悲な政策一般にもかかわらず、それに応える先住民の態度は無比の忍耐、辛抱強く寛容な精神の記録であり、これは陛下の政府ご自慢の文明と自称宗教をして赤面させるに十分であります。』

 

一方コンラッドは確かにベルギー国王の悪逆非道を世に知らしめた。とはいうものの藤永によれば彼は、コンゴの黒人を「人間ではあるが、我々白人とは決して対等ではない、醜い存在。我々が文明とは何であるか、逐一手を取って教えてやらねばならない、哀れな存在」と決めつけていると鋭く非難し、賞賛はしない。それはまさに白人が有する傲慢そのものだからである。

 

著者藤永茂の経歴が興味深い。満州生まれ。九州大学理学部卒業。専攻は量子物理学。昭和43年(1968年)佐世保にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港した、いわゆるエンプラ闘争の時、彼は九州大学の教官だった。その後カナダの大学に招かれて教授となり、現在は名誉教授。

コンラッドの「闇の奥」は文芸的だけでなく、早くからコンゴ問題を世に知らしめた、糾弾の書としても評価が高かった。しかし藤永は、コンラッドが決してそのような意図を有していなかったことを鋭く見抜いた。当時の文献を丹念に読めば、コンラッドは文芸作品として評価されたことに満足していたことが判ると藤永は言う。 科学者藤永の目はコンラッドを高く評価する幾多の批評を、始めに結論があり、その結論を出さんがために誤った読み方をしたものだと鋭く指摘する。自然科学の領域では始めに仮説があっても結論があることはあり得ない。 藤永は科学者の態度で冷静に「闇の奥」を読み、並み居る先達の誤謬に気付いた。ジャーナリストと呼ばれる人達が書いた本は、往々にして信用してよいものかどうか躊躇する場合がある。残念なことである。反対に藤永は冷静に論理を進める。

 

藤永はコンラッドを批判するが、それ以上に彼が非難するのは(主として英語圏の)批評家達である。なぜなら彼らの「闇の奥」賞賛は帝国主義の白人達が他の人種に対して執った傲慢、悪知恵、横暴、狡猾、残虐、鉄面皮、強奪、卑劣、破廉恥、差別、虐殺など、どの言葉を以てしても言い足ることのない悪逆非道を、肯定することに他ならないからである。

 

分かり易く言うと、彼ら批評家はコンラッドの黒人蔑視の態度を読みとらないばかりか(それは彼らの態度がそうだから)、帝国主義サロンのメンバーで、少しだけ度を超したベルギー国王を悪者に仕立て上げ、自分らの所業にはなんら疑問を持とうとしないからである。黒人を奴隷として輸入したのはアメリカだけではない。イギリスやフランスだってやっていた。しかし黒人奴隷輸入が国益に反するようになってからは、具体的にはイスラム教徒がより廉価に黒人奴隷を供給するようになってからは、大西洋上での奴隷貿易を禁止する法律を作り、人道主義の仮面をかぶってそれを取り締まった。大侵略時代を大航海時代と言い換えた昔から、反共の旗印を掲げ、あるいは大量破壊兵器の存在を口実にアジアの貧しい国々を戦乱の泥沼にする現代まで、彼らの手口は変わらない。これこそ、ヨーロッパ(とアメリカ)が何度となく繰り返してきた狡猾卑劣な偽善でなくて、何であろう?

 

ヨーロッパは興味深い。ヨーロッパが幾世紀にもわたって文明の最先端にいることは間違いないし、私自身ヨーロッパに幾人か友人を持ち、個人的にも教わることが多かった。しかしヨーロッパの傲慢に苦々しい思いをしたことも少なくない。著者藤永が冷静に論理を進めてヨーロッパ(とアメリカ)人の狡猾さを浮かび上がらせた本書を読んで、長年心の奥に潜んでいたしこりが揉みほぐされたような気持ちになった。藤永は「『闇の奥』の奥」に先立ち「闇の奥」も翻訳出版した。垣間見るに藤永の翻訳は非常に上手で読みやすい。今度は「闇の奥」を読んでみよう。

  

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