4/25 2007

 

v.K.のロシア偵察旅行_2 サンクト・ペテルブルグ後編

 

ロマノフ家の本拠地冬宮。現在はエルミタージュ美術館となっています。緑色が印象的です。冬宮前広場では日露戦争中の1905年、血の日曜日事件というのがありました。もちろん1917年の十月革命の舞台になったのもここ。皇帝一家の居室は一部この広場にも面していました。今回ここに来て実感しましたが、広大なロシア帝国の富と権力はこのサンクト・ペテルブルグという一点に凝集されていたと言ってよいでしょう。それは今の東京の比ではない。サンクト・ペテルブルグ以外は田舎。モスクワは偉大なる田舎で、モスクワにいても出世は出来なかった。

 

広場の反対側は旧参謀本部。あまりにも堂々とした建物なので、この広場には当時一般の庶民は入って来れないのかと思っていましたが、そうではなかったらしい。

荒れ地に都市計画して都市を造った点で、サンクト・ペテルブルグと江戸は共通しています。

 

 

広場から見た飛行機雲。

 

冬宮は幾つかのブロックに別れています。その間を流れる小さな運河。向こうはネヴァ川。

この空間を発見して約40年来の課題に終止符を打つことが出来ました。ソ連映画界が世界に誇る大作「戦争と平和」の中に、ここが出てくるのです。あの映画を見たのはたぶん1970年頃でした。二人の主人公、ピエール・ベズーホフ伯爵とアンドレイ・ボルコンスキー公爵が白夜の中、ロシアの将来を論じながら散策するのがこの運河沿いの小径だったことを、今回サンクト・ペテルブルグに来て確認しました。40年にもなろうという昔あの映画を見た時、なぜかこのシーンが記憶に残りました。多分運河のある風景が珍しかったからだろうと思います。今回それが何処か確認しようと、M.v.K.にも言わずそっと心に秘めていました。そしてそれが冬宮沿いのここであったとは! 

 

聖イサク寺院。ロシア皇帝はビザンチン帝国(東ローマ帝国)の継承者を名乗っていたと、どこかで読んだ記憶があります。ロシア正教会の建築は、だから平面が正方形のビザンチン様式が多いのでしょう。この教会も19世紀にネオ・ビザンチン様式に、当時流行していた古典主義様式(ギリシァ神殿風ファサードと塔の部分にもギリシァ風柱列)を加味して建てられています。

 

ついでに言うと、サンクト・ペテルブルグの(ロシアの)建築には、ヨーロッパに見られるロマネスク、ゴシック、ルネサンス様式が見あたりません。その理由はピョートル大帝がこの地でヨーロッパ化を始めたのが18世紀の初め、バロックの後半にさしかかった頃だからです。フランスではルイ14治世末期、神聖ローマ帝国(ドイツ)ではザクセンのアウグスト強王の頃です。

 

私たちの旅行ガイドはしかし、ロシアの後進性を決して認めようとしませんでした。そんな話題を向けると何のかんのと話をそらせて、如何にロシアが大国かという話にすり替えます。また度々感じるのは、ロシアはヨーロッパの一員だと、国を挙げてアピールしている姿です。ということは、半分だけヨーロッパというのが、実情でもあるのでしょうが。

 

聖イサク寺院内部。たいへん豪華です。緑色の石柱は孔雀石(マラカイト)。孔雀石は日本でも採れるそうですが、あんなに大きいのが採れるのは世界でもウラル産地だけだそうです。ロシア皇帝の富と権力の象徴ですね。

ロシアの教会はとにかく聖人の絵が多い。ロシア正教と言えばイコンです。この写真奥に見えるのは普通の肖像画風ですが、前回紹介したキリスト復活教会の中はクラシカルなイコンだらけです。塗った絵とモザイクとあります。

 

ある日の夕食。例によって壷入りスープ。ワインは輸入物かな?黒海沿岸で少し出来るらしいけど。いつも最初からデザートがテーブルの人数分置いてある。この時はエクレア。

 

詰め物をした変わりポークカツにサフランライス。

 

さてここは、大黒屋光太夫がエカテリーナU世に謁見したというエカテリーナ宮殿です。バロック宮殿の様式美というのは横一直線にえらく長くて、これも端から端まで200メートルくらいあるんじゃないかと思います。ここも庭園が美しいです。

 

中は相変わらずバロックとかロココとかのきんきら趣味。観光客の多いこと。

 

有名な琥珀(こはく)の間。壁が全て琥珀のモザイクで装飾されている。琥珀はバルト海で大量採取されます。古代植物の樹脂が石化したものです。第2次世界大戦中この宮殿はドイツ軍の手に墜ちました。ドイツ軍はこの部屋の琥珀を剥いで何処かに持ち去りましたが、そのまま行方不明になり、部屋の再生に当たっては写真を元に新たに作り直したそうです。この部屋は写真撮影禁止なので、本から取りました。詳しく見ると色の違う琥珀を2枚重ねて濃淡を表現したり、緻密で繊細な作品です。

 

ネフスキー大通り。延々4キロくらい続く、サンクト・ペテルブルグ随一の繁華街。銀座か原宿表参道か御堂筋か。ゴーゴリの小説の舞台にもなった。「ネフスキー通りを1ブロックも歩いてみたまえ。必ず知った顔に出会う・・」なんてことが書いてありましたね。たぶんソ連時代はここも薄汚れていたことでしょう。ほとんど化粧直しを終えて見違えるほど綺麗になったようですが、脇道に入ると未改装の古びた建物もあります。

 

ヨーロッパやアメリカからビジネスマンが大挙来ているようですが、どうも一番多いのはドイツ人のようです。それからアメリカ、イタリアとか。ドイツ人が多いのは歴史的地理的関係ですね。たとえばキャッシュカードでルーブルを引き出そうとすると、(日本では無い)言語選択はロシア語、英語、ドイツ語と、4番目はポーランド語だったかイタリア語だったか。

 

ここもネフスキー大通り。ロシア語ではネフスキー・プロスペクトと書いてある。ロシア語のキリル文字は読みを覚えるのは簡単ですね。カフェとかレストランとかバンクとかトイレとかは、着いたその日に覚えます。でもそれ以上のことはもちろん解るはずないし、忘れるのも早い。

 

左側ビルの上の特徴的な造形物は地球を担いでいるアトラス。ロシア革命前からあるヘラルド・トリビューン(だったかな?)社の社屋。

 

こういう洒落たパサージュもあります。なにせ寒い国だからなんでも屋内にする。

 

レーニンも健在。後方は市庁舎か州庁舎。ソ連崩壊後市の名前はすぐにサンクト・ペテルブルグに戻りました。やはりこの名前、ロシアの栄光の象徴なんでしょうね。いっぽう州にはレニングラード州の名前を残し、革命の指導者への敬意を忘れません。

 

トラム(路面電車)はまだ古いまま。同じ頃国が崩壊したドレスデンのトラムは全て新型車両に変わったのに、これはドイツとロシアの国力の差かな?

 

トラムに加え、トロリーバスが広く使われてます。前回お見せしたネヴァ川に架かる開閉橋の上もトロリーバスが走っていて、開閉部の架線の接点でも火花を飛ばさずスムーズに走っています。そういえば中国でも平壌でもトロリーバス走ってますね。線路敷かないでいい分、建設費が安く着くからかな?

 

所々にこのような建物があります。これは市場または商店街ともいうものです。ずーっと昔はあちこち渡り歩く商人がここに来ては店を出す、公共的建物だったそうです。階上は商人達の宿。昔は皇帝や領主が建物の家主で、時代が下っては市や郡や州の共産党委員会が持ち主だったのでしょうかね?

 

画面中央の自動車に注目してください。後扉になにやら大きく文字が書いてありますが、これは自動車登録番号です。小さくオレンジ色に見えている正規のナンバープレートでは不十分とばかりに、乗用車以外の車両は車体にデカデカとナンバーを表示することが、義務づけられているようです。キリル文字でなくローマ字なので不思議に思ってガイドに尋ねると、案の定ソ連崩壊後全国の登録番号が書き換えられたそうです。「国が崩壊するということは、こういう所にも金が必要になってくるのです」と、ガイドが苦笑いしました。

 

右扉にはサンクト・ペテルブルグを示す78とその下にロシアを示す国際自動車識別表RUSが記されています。つまりロシアの自動車がヨーロッパまで行くことが、ごく普通になったということですね。国際自動車識別表はヨーロッパでは皆車の後部に貼っています。楕円形の中にドイツはD、オランダはNL、イギリスはGB、日本はJなどです。

 

ソ連時代はこのような国営スーパーで日々の買い物をしていたそうです。1階は食料品で、2階は衣料品や日用雑貨。

 

ぶどうは中央アジアがユーラシアの原産地と何処かで読みました。タジキスタン、カザフスタンあたりから買っているのでしょうね。

 

冷凍技術は進歩してないようだ。1年の半分は冷蔵庫より寒い国だから、仕方ないかな。中央のはウサギらしい。ウサギはドイツでもよく売ってます。繁殖の象徴。

 

魚。ロシアで刺身は食べない方がよいみたい。

 

夜はお待ちかね、マリインスキー劇場19世紀中頃出来た、ロシアで最も由緒ある劇場と言ってよいでしょう。ワレリー・ゲルギエフがこの劇場を世界のトップクラスに引き上げました。福岡シンフォニー・ホールでサインもらって握手しましたが、この夜は海外演奏旅行に出かけて不在でした。この夜の出し物はバレエのジゼル。

 

古典主義様式のフォワイエで歴史に浸る。夢かしら。

 

劇場中央の貴賓席。世が世なら皇帝一族しか座れないところなのでしょうに、私たちの切符はなんとあそこでした!今の世の中、貴賓席でも何でもなく、周りは普通の人ばかり。私たちもそうだったけど、記念写真パチパチ撮って、しっかりお上りさんやってました。

 

 

次回「エルミタージュ美術館」に続きます。たぶん。

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