12/11 2002掲載

川島道子 レポート
 
「求菩提山に行ってきました」
 
11月10日恒例の秋の登山に妹夫婦と3人の高齢者トリオで
豊前市の求菩提山に登ってきました。
 
求菩提山は標高782mの円錐形の山で、山中には溶岩が
あらわになった所が至る所にあり、その昔活火山であったことを
うかがわせます。修験道の山としても古い歴史があり、ご存知
の方も多いと思います。
 
 
最盛時には一山五百坊と言われた山も、明治の廃仏毀釈以来
衰退に向う一方のようです。そのため、裏山道も荒れており、足元が不安定で
歩きにくく、息切れします。
資料によりますと信仰の山としての求菩提山の歴史は5〜6世紀に
さかのぼり、平安末期(12世紀初め)に本格的な修験道の山となり
明治元年(1868年)神仏分離令まで天台宗護国寺を中心に
求菩提山は九州を代表する一大修験道の山となったようです。
 
      (求菩提五窟の一つ吉祥窟)
 
求菩提五窟は山の東南に面した八合目の岸壁に大日窟、
普賢窟、多聞窟、吉祥窟、阿弥陀窟と並んであり、山伏の修験の
場になっていたようです。普賢窟から発掘された銅版法華経と経箱は
国宝になっています。
 
   (国宝の銅版法華経が出土した普賢窟)
 
古代から信仰、崇拝の山となってきた証が全山いたる所にあり、
考古学的発掘により次々と発掘され麓の福岡県求菩提
資料館に展示されています。
 
 
  
 
五窟を通ってしばらく登りますと頂上に着きました。
頂上には国玉神社の上宮があり、その社殿近くには巨石が
累々とあり、古い時代の信仰の対象になっていたようです。
そこからは平安時代に埋めた経筒が多数出土したようです。
 
       (頂上の上宮)
 
    (上宮の石段で記念撮影 妹夫婦と私 )
 
ここで出会った中年の男性が、別のルートでの登山中不気味な
感じを受けたと言っていましたが、妹も昔この山で似たような
経験がありました。「求菩提 修験の世界」の著者
重松敏美氏も「上宮に登って静けさというよりは、気味が悪かった
という方が近い」と述べておられますが、修験道の山の霊気や波動の
ようなものがあるのかなと思いました。
 
 
下山は「鬼の鐙」というつま先だちで登るような石段を降りて
行ったのですが苔むしていて滑りそうで鎖を伝わってようやく
下る事ができました。
 
 
石段を降りた所にある国玉神社の中宮は明治の廃仏毀釈により
廃された護国寺跡に建ったもののようです。
 
     (国玉神社 中宮)
 
明治5年の修験道禁止により山伏たちも下山し、現在は無住の
山となりただ一軒の末裔がひっそりと山中に残っているそうです。
 
下山の道すがら目にした朽ちかけた祠や建物、苔むした石段に
前述の重松敏美氏の「不気味な哀感を漂わせている」に
同感しました。
 
今回の登山(3回目)は頂上に登ったという達成感よりは、山岳宗教とは
廃仏毀釈とは修験道とはと様々なことを考えさせらた登山でした。
 
参考資料    「求菩提 修験の世界」
                重松敏美
                山田龍真
                奥村昌祐
 
         「求菩提」 福岡県求菩提資料館  
 

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