11/30 2004掲載 

蛇ー日本の蛇信仰

川島道子 

先日のV・Kさんとの「ザクセンのスイス」を巡る話題の
中で出ましたメデューサがきっかけとなって、古代の日本では
蛇が信仰の対象だったことを少し紹介したいと思いました。
在野の民俗学者として知る人ぞ知る吉野裕子氏の著書
「蛇 ー 日本の蛇信仰」を隋所に引用させていただきました。
 
蛇と言えばほとんどの人が嫌悪感と恐怖心、ある種の畏敬の
念などを持たれていますが、日本民族が縄文時代から蛇を
信仰していたことは事実のようです。古代においては蛇は絶対の
信仰の対象でしたが、時代が下るにつれて人々の認識も変わり
日本民族の蛇信仰の中に、畏敬とは別に強度の嫌悪が含まれて
くるようになりました。
 
畏敬と嫌悪の二つの要素のため蛇信仰は次第に象徴の中へと
埋没して行くようになりましたが、その象徴は今も私たちの周りに
存在し、その由来を知らぬまま信仰の対象になり、生活習慣の
中にいきつづけているようです。
 
*古代に蛇は何故信仰の対象になったのか。
1 蛇の形態が男性の象徴を思はせ、縄文人の露わで激しい
  性に対する憧れ、崇拝、畏怖、歓喜が凝縮されて象徴になっていること。
2 毒蛇、蝮などの強烈な生命力と、その毒で相手を一撃の下に倒す。
これらのことが相乗効果を持って、蛇を祖先神にまで高めていったものと
思はれます。
*日本原始の祭りの形は神蛇とそれを祀る女性蛇巫(へびふ)を中心に
  展開されました。女性蛇巫の役割とは。
1 女性蛇巫が神蛇と交わること。
2 神蛇を生むこと。
3 蛇を捕らえて飼育し祀る。
1は実現不可能なので、円錐形の山の神、蛇の神体に似た樹木、石柱などの
代用物で交合のもどきをすることが考えられ、2、3は実際に蛇を捕らえてくる
ことで実現し厳守されたようです。

写真01土偶
頭上にまむしを乗せた土偶(縄文中期)
弥生時代になると稲作の発達につれて、その収穫を阻害する野鼠の
天敵として田の神の蛇信仰と、それまでに引き継いだ縄文の蛇信仰が
混合し、複雑化していきました。弥生人にとって男性の象徴を思はせる
蛇の形態は男性の象徴ー種神ー蛇ー稲の実りとして、又蛇が成長するに
つれて目や鼻まですっぽりと脱皮するさまは、それなくしては生きて
いけないためにそこに新生と永世を見てとり、縄文人に勝るとも劣らない
信仰の対象になっていったようです。
時代が下るにつれ日本神話の中で描かれている蛇は、嫌悪の要素が
強くなってきて、蛇に象徴されるものやもどきが出現していきました。そして
とぐろを巻く蛇を連想させる姿から円錐形の山や家屋(竪穴式住居)などが
信仰の対象になっていきました。

写真02竪穴住居
縄文時代の竪穴住居

写真03三輪山
大和の大神神社(オオミワジンジャ)のご神体三輪山
秀麗な円錐形の山は人の心に一種の敬虔な信仰を呼びさまします。
蛇信仰に覆われていた古代日本人の目には祖先神の蛇がずっしりと
大地に腰を据えてとぐろを巻いている姿として映ったのではないかと
言われています。大神神社の祭神の大物主神(オオモノヌシノカミ)は
蛇でその妻は、山麓にある日本最古の古墳、箸墓古墳(ハシハカコフン)
の主ヤマトトトヒモモソ姫と言われています。

写真04箸墓古墳
箸墓古墳

写真05箸墓古墳
上空より見た箸墓古墳
大神神社と箸墓古墳の関係は神蛇と女性蛇巫の交わりを
裏付ける伝承として、神と巫女の神婚説話の代表になっています。
吉野氏は前方公円の古墳の形そのものが蛇を象徴しているの
ではと問いかけています。三輪山と箸墓は切り離すことのできない、
日本原初蛇信仰の証(あか)しではないかとのことでした。

写真06佐太神社
佐太神社(本殿(国重文)は三殿並立という珍しいもの。三殿とも大社造です。)
日本各地には蛇が祭神の神社が相当あり、出雲の佐太神社
(出雲大社と並ぶ由緒ある神社)の大祭の神事には必ず海神の
竜蛇が出雲のいずこかの浦にあがるという言い伝えがあり、
現在(この本の書かれた昭和53年)でもこの祭りの際には生身の
海蛇が奉納されるようで、祭神の佐太大神と蛇の関係が推測されます。

写真07諏訪大社
雪の諏訪大社上社本宮拝殿
諏訪神社では元旦の祭事として、土を掘り起こして冬眠中の蛙を取り出し、
それをその年最初のお供え物として、諏訪の神に供えるということをしています。
これは諏訪の神に蛇の性質を見ていることができそうです。
又蛇のトグロを連想させる円錐形家屋として、竪穴住居に似た土室を祭事に用いた
『土室神事』(ハムロシンジ)は、ご神体の蛇を土室の中にこもらせる神事で、
実際にこの行事は十二世紀まで諏訪大社に伝承されていたと言われています。

写真08大元神写真09 大元神
写真10大元神の神事
神社だけでなく島根県邑智郡(オオチグン)一帯では大元信仰により、わら製の蛇が
信仰の表徴とされ、この藁蛇は「託綱(たくつな)」といわれ、神懸かりがあったとき、
大元神が憑いた人がこの綱に手をかけて託宣を行っていました。託宣とは神職が
来年の作柄や災難の有無などを聞き出すことだそうです。
 
日本の神話の中に活躍する蛇は、三輪山の神蛇とともに須佐乃男命に
退治された八俣大蛇(ヤマタノオロチ)、海神の娘豊玉姫などがあります。

写真11八俣大蛇
八俣大蛇の場合、大蛇の尾から出現した剣は正真正銘の蛇の精と言われ、
書紀に天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)と記され、鏡と並んで皇位象徴の
神器になっている事実は、日本古代人における蛇信仰の根強さを証する
ものではないでしょうか。鏡も蛇の目にはまぶたが無いため、まばたきの
ない目は「光る」ものとして受けとられて畏怖されてきたこと、蛇の古語
「カカ」から「蛇(カカ)の目(メ)」ー「カカメ」が「カガメ」−「カガミ」に転化して
丸くて光る鏡になり、三種の神器の筆頭になたのではないかと考えられて
います。

写真12八俣大蛇
海神の娘、「豊玉姫」は蛇体となって「ウガヤフキアエズノミコト」を
産み、その皇子はそのおばの「玉依姫(タマヨリヒメ)」との間に後の
神武天皇をもうけることになります。「豊玉姫」が竜蛇であるならば、
その妹の「玉依姫」の正体もまた当然のことながら竜蛇と推測されます。
初代天皇の生母が竜蛇であることは、女祖先神としての蛇を考えて
いる思想のあらわれであって、この神話は天叢雲剣に劣らず、古代
日本人の蛇神聖視を示していると言えます。

写真13大神神社
大神神社(オオミワジンジャ)の拝殿としめ縄
時代が下るにつれて蛇はうとましく思はれるようになり、神話の表面
から隠されて行きました。八俣大蛇は悪の象徴とされ、三輪山の神も
豊玉姫も、ともにその正体を恋人の前にさらすその瞬間が永遠の別離に
なっています。悪徳の象徴とも言うべき大蛇の精髄の剣が天皇の位の
しるしとされ、蛇体の豊玉姫、同じように推測されるその妹の玉依姫が、
ともに皇室の女祖先となっている事実は、蛇信仰の根深さを後世に
実証していると言えます。

写真14銅鏡
平原遺跡(ヒラバル福岡、糸島)出土の日本最大の鏡
日本民族が縄文時代から蛇を信仰していたことは明白な
事実ですが、知能が進むにつれ畏敬とは別に強度の嫌悪
がふくまれてきましたのは、始めに述べたとおりです。
畏敬と嫌悪の二要素のため、蛇信仰は象徴につぐ象徴として
存在し続けることになりました。

写真15大神神社
大神神社のしめ縄
象徴の中でも際立っているのはしめ縄で、長時間におよぶ雄雌の
「蛇の交尾」の造形がしめ縄となり、最も神聖視されて神社の
一番目立つところに飾られています。お正月のしめ飾りもその流れに
あると言えます。又お供えの鏡餅は、鏡は蛇の意味であり二段重ねの
餅はトグロを巻く蛇の姿であり、上から見れば大小2重の輪であって
それはまさに「蛇の目紋」であると言われ、小餅も蛇の卵の象徴と
考えられています。日本人にとって正月のしめ縄と餅は祖霊の象徴
としてなくてはならない物になっているといえます。

写真16大神神社
大神神社(オオミワジンジャ)拝殿(複数の鏡が見られる)
神社には蛇の目である鏡が祭られ、しめ縄がはりめぐらされ、
家ではお正月になると床の間には祖霊の鏡もちが供えられ
戸口にはしめ飾りをして、神社にお参りをするという日本独特の
信仰形態が現在もつづいています。
写真17石見神楽の蛇
吉野氏は「日本人にとって蛇信仰はけっして単純なものでなく、
蛇に対する畏敬と嫌悪は「忌み」という言葉で何とか統一しえた
宗教感情であり、他方、「象徴化」という行為で克服しえた信仰
でもあった。」と明言しています。
「そうしてこの象徴化は、二者の緊張が強ければ強いほど、
より高度に芸術化され、洗練されていく傾向を持っていた。」
その流れが日本文化の底流として現代に続いているのでは
ないでしょうか。
 
引用した文献   「蛇ー日本の蛇信仰」  吉野裕子  法政大学出版局

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