7/5 2004掲載

川島道子

「ヨーロッパの母と言われた王妃」
 
先日デンマークとスペインの二組のロイヤルウエディングが紹介され、その華やかな
カップルに魅了された方がいらっしゃったことと思います。
 
私は歴史が好きで洋の東西を問わず色々な歴史に関する本を読むうちに、
歴史に果たした女性の役割に目が向くようになりました。
女性支配者たちの言動に興味惹かれ、女性史をたどることは歴史を多面的に
知ることだと思うようになり、僭越ですが弟の助けを借りてその一部を紹介したいと思いました。
 
皆さんは「ヨーロッパの母」と言われた王妃のことをご存知ですか。
英仏両国の王妃となり、3人の王の母となり娘や孫たちを
各国の支配者に嫁がせ、生前は政治、経済、社会に影響を与え「比類なき女性」と
呼ばれながらも後世の歴史家から非難をあびた王妃のことを。
その王妃の名はアリエノール・ダキテーヌといいます。
アリエノール・ダキテーヌは1137年南フランスのアキテーヌ大公国に生まれ、
吟遊詩人の集う華やかな宮廷で才色兼備の女性に育ちました。その性格は
不遜で大胆不敵と言われていました。父が38歳で亡くなり男子がいなかったので、
アリエノールが15歳で後継者となり、強い後ろ盾が必要という周囲の思惑で
フランスのルイ7世と結婚しました。

当時のフランスは、国王の領土よりも臣従の誓いをしている家臣の方が広い領土を
持つというように、中央集権にはほど遠い状況でして、アリエノールは国王の領土よりも
はるかに広い領土を持参金として嫁ぎました。
 
(ルイ7世とアリエノール)
 ルイ7世との15年間の結婚生活では、信仰心厚く修道僧のようなルイ7世と
激情家で奔放なアリエノールの性格の違いは大きな障害となり、夫妻で参加した
第2次十字軍でのアリエノールの行動にルイ7世が振り回されるということもあって
二人の間には深い溝が広がっていったのでした。
実は、アリエノールの十字軍参加は、初恋の人である8歳年上の叔父アンティオキア公
レイモン・ド・ポワチエとの再会のためでした。
多くの侍女を連れ、野営地で敷く絨毯、何着もの衣装、毛皮、日よけのベール宝石類、
料理用具一式などを多数の荷車に載せ出発しました。
コースも陸路と海路に意見が分かれたのをアリエノールは叔父レイモンの勧める陸路に
こだわりますが、結局このコース選択は大失敗に終わりました。又作戦会議でも
叔父レイモンを後押してルイ7世と対立し、その怒りを買ってしまうのですが、結局
叔父レイモンは戦死するという最悪の事態となって失意の帰国となります。
 
最終的にはアリエノールは2人の女の子を残してフランス王ルイ7世との15年間の
結婚生活に終止符を打ち、離婚しました。
それと同時にアリエノールの持参した領土も返還となりフランスは領土を減らしてしまいました。


そしてアリエノールは電撃的に(2ケ月後)再婚します。
相手はイギリス、プランタジネット王朝の祖ヘンリー2世(結婚後に王位につく)で、
11歳年下の夫との間に男5人と女3人の8人の子を成しました。
ヘンリ2世とアリエノールの結婚は英仏にまたがる広大な領土になり、
二人は相互に補足しあいながら統治していきました。
 
8人の子を成した二人の仲もヘンリー2世が「麗はしのロザモンド」と謳われた
愛人ができたころから亀裂が生じてきました。
実力と行動力のあるアリエノールは、息子たちに父親ヘンリーを裏切らせて
夫ヘンリーを孤独に追いやり、三男、四男、五男と離反させて行きました。
陰謀は成功するかにみえましたが、ヘンリー2世に忠告する者がいて、
逆にアリエノールは捕らえられ塔に監禁されてしまいます。このときアリエノールは
権力、名声、子どもたち全てを失ってしまいました。53歳の時でした。
 

 夫ヘンリー2世が孤独の中で亡くなりアリエノールが自由の身になったのは
67歳の時でした。この間の事を映画「冬のライオン」が描いており、
ヘンリー2世をピーター・オトール、アリエノールをキャサリン・ヘップバーンが演じておりました。
余談ですが三男のリチャード1世の役柄でアンソニー・ホプキンスがデビューしています。
 

自由の身になったアリエノールは諸国を巡行し、全土に様々な決議を公布し
素晴らしい政治を行いました。息子のリチャード1世(獅子心王というあだ名で有名な王)が
第3回十字軍に参加して、その帰国の途中オーストリアで捕虜になった時は、
その身代金集めに72歳のアリエノールは奔走し彼女みずから船に乗り交渉に出かけ
無事息子を解放します。

(リチャード1世)
82歳で亡くなるまで政治の中枢に座りつづけ、子どもや孫たちを通してアリエノールの
血はヨーロッパの王家や公爵家、伯爵家に広がり、ヨーロッパの母と言われるようになりました
 
一方のアリエノールと離婚したフランス王ルイ7世ですが、アリエノールとの離婚後、
三度目の結婚から生まれたのが、かの有名なフランス王フィリップ・オーギュスト(尊厳王)です。

このフィリップ王は後に、アリエノールと英国王ヘンリー2世の間に生まれたジョン王
(兄、リチャード1世の戦死後、王位を継ぐ)との戦争に勝利し、アリエノールの所有していた
フランスの領土を全部フランスのものとしてしまうのです。フランスを初めて大国に押し上げた王
としてフイリップ・オーギュスト(尊厳王)と称されました。
 
自分が譲った実の息子の領土が離婚した先夫の息子に奪われるとは歴史上の
皮肉としか言いようがない出来事です。
しかも自分の息子ジョンは「失地王」という不名誉なあだ名を付けられてその
あだ名で有名になって現代にまで至っているというのですから。
 
すべてをなし終えたアリエノール・ダキテーヌは82歳で亡くなり
その遺体は生前愛した、フランスのフオントブロー修道院の
ヘンリー2世の傍に葬られました。二人並んだ横臥像は有名で
この修道院を訪れる人は絶えないそうです。
 
このレポートを書くために
「ヨーロッパ中世を変えた女たち」 福本秀子 NHKライブラリー
を参考にさせていただきました。
 
アリエノール・ダキテーヌに関心のある方には下記のような本があります。
王妃アリエノール・ダキテーヌ ― リチャード獅子王の母  』 桐生操(著)  新書館 1988 
王妃エレアノール ― 十二世紀ルネッサンスの華』 石井美樹子(著)  朝日選書 1994
 『中世を生きぬく女たち』 レジーヌ・ペルヌー(著) 福本秀子(訳)  パピルス1996
 
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