10/24 2005掲載

こどものいるとこどこへでも
                児童劇団風の子九州20周年

k.mitiko 
 
  20周年記念誌
私の住まいは建てられて今年20年になりますが、建物は長年
子どものための文化運動「子ども劇場」に関わってきた児童、青小年演劇の
専門職業劇団として、小学校、幼稚園、保育園などを公演している
「劇団風の子九州」や「子ども劇場」で出会った友人2人と、建て替えを
考えておりました私どもが寄り集まって、1年半夢を語り合いながら、
協同出資して建てました。土地は私どもが提供しました。
1階に「劇団風の子九州」の稽古場と事務所、お隣は子どもの本屋「えほん館」
2階には「小さい星伝道所」と私どもの住まいとなりましたが、現在は1階には
「劇団風の子九州」、2階に私が住んでおります。
 
 「児童劇団風の子」の機関紙  滝平二郎のきりえ
戦後東京で世田谷の焼野原の子ども会や子ども文庫活動をしていた
若者たちが集まって1950年結成されたのが「児童劇団風の子」でした。
当時子どもたちは食べ物だけでなく文化的にも飢えていました。
「子どもの集まるところ、どこにでも出かける」をモットーに幼稚園、公民館と
いろんな場所にでかけていきました。子どもたちの健やかな成長を願っての
演劇活動は、理想と現実のギャップにぶつかりながら地を這うような努力の
結果、作品は数々の賞を受け社会的にも認められるようになりました。
 
 アニメイム 
 円形劇場
1966年6月、子どもの健やかな成長のために演劇や音楽などの生の舞台
に接する機会をとの願いから、福岡で母親と青年の協力で「子ども劇場」が
結成されました。192名でスタートとしたこの会はまたたくまに全国に広がり
1990年には、685の子ども劇場、会員53万の会になりました。
私も小学校4年生と2年生の息子と入会し、演劇や音楽バレエなどあらゆる
ジャンルの生の舞台に接しながら子育てをして行きました。
 
[宝のつるはし」
 二男の初舞台。右はしです。
そこで出会ったのが「児童劇団風の子」の数々の作品でした。子どもの成長には
学校での教育が主食とすれば演劇や音楽などは副食ではないか、車の両輪の
ようにどちらも必要なのではと実感した母親たちと劇団は手をつないでいきました。
さまざまな舞台に接して成長した二男が「劇団風の子」に入りたいと言い出したとき、
公務員の夫は猛反対で夫婦喧嘩、親子喧嘩になりましたが、二男は譲らず
夫も折れて認めるということもありました。
 
発展を続ける「子ども劇場」や学校の教師とともに子どもをとりまく状況を少しでも
良くして行きたいととの願いから、地域に根付いた活動の拠点として北海道から
九州まで「劇団風の子」の分割が考えられて、1985年福岡に「劇団風の子九州」が
誕生しました。二男の入団にあれだけ反対した夫も「劇団風の子」の作品や劇団の
人々の交流を通して意識が変わり、我が家の新築に際しては稽古場や事務所のため
土地を提供し、やがて後援会の会長になりました。
 
福岡市西新に居を構えた劇団「風の子九州」は「従来の演劇様式にこだわらず
子どもたちの遊びに学び、集会所や野外できる作品を模索する」「これまで行けなかった
山奥の集落、九州・沖縄に点在する離島での公演を積極的に行う」「アジアや環太平洋
諸国での海外公演を視野に入れ、国際交流を考える」などを基に活動がなされてきました。
1990年の香港公演以来韓国、中国、シンガポール、インドネシア、インド、パキスタン
オーストラリア、アメリカ、カナダなどに公演し交流を深めてきました。
 
  海外公演用のチラシ  英語圏  
 日本版 韓国版
その交流の中から韓国の児童劇団サダリから合同公演の申し入れがあり、2002年
日韓合同の作品「マンナムー出会い」が完成しました。2002年は日韓交流年にあたり
サッカーのワールドカップの年でもありました。それは日本の児童演劇界で初めての
日韓合同作品で、日韓双方で公演されました。
日韓の役者が初めは通訳を通しながら、やがてお互いの言葉を覚え
一つの舞台で表現して行く過程は文化を通しての交流そのものでした。
「マンナムー出会い」は2002年の初演から日韓両国で公演されて、現在
最終公演が全国縦断でなされています。
 
「マンナム」の学校公演

 出演は双方の劇団から三人ずつ。せりふは日本語と韓国語がで半々で、文化の違いを
超えて未来を見つめることがテーマになっています。
 




 
全国縦断公演は沖縄の宮古島を終えて韓国で千秋楽を迎えます。
 
 
昨日、劇団風の子九州の20周年記念作品「なるほ堂ものがたり」の初演があり
韓国や東京、名古屋、大阪の遠隔地から佐世保、鹿児島まで満員の観客で
楽しみました。
 

 1次のレセプション会場  左端でギターを弾いているのが二男です。    
公演後のレセプションではおおいに盛り上がり、子どもたちの健やかな
成長を願って新しい一歩を踏み出しました。二次会でも多勢の参加者が
夢や希望を語り、私はそこで大きな夢をみつけました。
二男も「風の子九州」の一員として頑張っております。私のくらしは
「風の子九州」の皆さんに見守られて支えられております。
私にできることで子どものために頑張ることができればと思っております。

なお、劇団風の子」に関心のおありになる方は下記のアドレスをごらんください。
 
http://www.kazenoko-kyushu.or.jp/

TopPage