11/22 2005掲載

「冬のソナタ」に想う
                         川島道子
日本中をにブームを巻き起こした「冬のソナタ」を今頃私もやっと見ました。
ヨン様ブームを冷ややかに横目で見ていた私でしたが、あれだけ評判になった
ドラマを見ておくのもいいかなと軽い気持ちで友人に声をかけましたところ
20回分のビデオが届きました。しかし見る時間がとれずいったんは返すつもり
でしたが、お盆明けに1巻だけでもと見始めましたら、次々と引き込まれるように
して見出し、その魅力にすっかりはまりこんでしまいました。
 
お盆明けからえんえんと見続け5回も見てしまい、繰り返し見ていますうちに音楽の
素晴らしさに気づき音楽も聴きたいと言いますとCDが届き、BGMに流しながら1日
家事やパソコンをするという事態になりました。また私の要望に関連する本や写真集も
届き、私の生活は「冬のソナタ」一色になってしまいました。
 
私がこんなにドラマに夢中になったのは50年前に見た「ビルマの竪琴」(モノクロ版)
以来でした。二つの作品に共通するのは音楽の素晴らしさぐらいですが、人の心を
捕らえてしまうということでは同じように思いました。
 
「微笑みの貴公子」と言われたぺ・ヨンジュンや清楚なチエ・ジュの魅力とともに
過剰な暴力シーンや性描写がなく、抑制の効いた愛情の表現、節度のある親子関係などを
横軸に波乱にとんだストーリーが韓国の美しい冬景色を背景に展開されて、何度みても
飽きるということがありませんでした。
 
批判の目で見れば矛盾はありましたが、そんなことは少しも気にならず毎晩
(昼は忙しくて見れませんので)「冬のソナタ」を見るのが楽しみでした。
何度もみているうちに韓国語の発音の美しさに気がつき友人に話しますとフランス語の
ようだと言っていました。見るたびに発見がありまた見たいという気持ちにつながっていきました。
 
見出してまもなく登場人物たちが連れ立って酒を飲みに行ったり、コーヒーを飲みながら
話あっているシーンが出るたびにうらやましいなあと思うようになり、そのうちそれは私が孤独
だからということに気がつきました。私の周りには家族や妹夫婦、離れていても心の通う弟が居り、
友人も居て登山したりお茶会に行ったりパソコンしたりと日々結構忙しく楽しくくらしているつもりが、
日常に食卓をかこむ相手がいないということに思い至りました。でもこれはないものねだりです。
 
孤独だからこそ人の情けや優しさ思いやりが身に沁み、それが喜びや感謝につながり
生きる力となるのではないかと思いました。人の痛みにも敏感になり私にできることを
と考えが深まるように思います。私がこんなにも「冬のソナタ」に魅かれたのは
登場人物たちの抑制された表現に、見る側の想像力が広がり感情移入ができたから
ではないかと思います。「冬のソナタ」を見たことで私の内部に楽しさ、喜び、せつなさと
プラスの感情が積み重なって、私をとりまく多くの方からたくさんのプレゼントを頂いている
という幸せを実感しております。「冬のソナタ」からはまだまだ卒業できそうにもないようです。

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