11/18 2005掲載

雲仙の紅葉を訪ねて     川島道子

11月9,10日妹夫婦と紅葉を訪ねて、わが国で最初に国立公園に
指定された雲仙に行ってきました。行きは荒尾の長洲港よりフエリーで
島原半島の多比良港に着き、仁田峠をめざしました。
 
仁田峠から初めて見る普賢岳の荒々しい山容に、1990年の噴火と翌年の大火砕流
による43名の犠牲者を出した山の凄さを感じ、物見遊山の気持ちは消えてしまいました。
 
火砕流やその後の土石流の流れた跡のようで、規模の大きさに呆然と眺めていました。
 
気を取り直して予定とおりロープウエイで妙見岳をめざします。
 
紅葉はこのあたりまではきれいでした。はるか下に駐車場が見えています。
 
下の方の湖のほとりが雲仙の温泉街です。
 
ロープウエイの終点から妙見岳の山頂に向けて登り始めますと、普賢岳の
ドームが少しづつ見えはじめます。
 
妙見神社を通りすぎて展望台に近ずくと山の形がよく見えるようになりました。
 
煙も少し見えています。普賢岳の異様な姿に絶えず視線が行きますので、足元の
注意は怠りません。
 
普賢岳の登山は要注意のようで、私たちは国見岳の方向に向かいます。
 
妹と私が一生懸命にカメラを向けているのは?
 
ブルーベリーのような実の付いた木でめずらしいので写真にとりました。なんでしょうか。
 
目指す国見岳が目の前に現れましたが、下山者の方の話から途中の岩場には
ロープや鎖があると言うことで、私が真っ先に一抜けたを宣言。妹も同調。
 
私の左手の状況ではとても無理でしたので義弟には気の毒でした。
 
ここで恒例により万歳をしました。ここまでは良かったのですが・・・。
 
どの山もそうですが登るより降りが要注意で、足を滑らしたり転ぶと大変なことになります。
 
やっとロープウエイ発着所まで降りてきました。ロープウエイは使わないで歩いて降ります
ので降りはまだこれからです。
 
一歩一歩足元を確かめながら降りていきます。仁田峠の駐車場に戻りましたときは
ほっとしました。
 
雲仙温泉街。今日はここで一泊しますので地獄を散策しました。
 
このあたりの紅葉はきれいでしたが、この日は太陽は出ているのに黄沙で視界が
悪く紅葉の輝きが見られなかったのは残念でした。
 
帰りは島原市に出て水無川を通りましたが、度々の土石流のために埋没した民家を
見ましたときは胸をつかれる思いがしました。
 
埋没した家々を覆った記念館ができており無言で見てまわりました。普賢岳の噴火と
その被害についてはテレビや新聞などで知っていましたが、その被害を目の当たりに
しましたときは衝撃でした。福岡の地震を経験したことも影響したのかもしれません。
 
帰りは島原港からフエリーで熊本に渡りました。前方に見える山は眉山といい
1792年の普賢岳の噴火でこの山が崩壊し、岩屑流が発生して有明海に流れ込み
津波が起こりました。このとき対岸の熊本地方の人々を合わせて15000人が亡くなった
そうです。このときのことを「島原大変、肥後迷惑」と言う言葉が今に伝えられています。
 
23
往復のフエリーの甲板では売店のパンをかもめたちに与える光景が見られ、かもめも
馴れていて楽しい眺めでした。今回の紅葉狩りは普賢岳を見たことで自然のエネルギー
の凄さに圧倒された旅でした。写真は義弟のを使わせてもらいました。

TopPage