8/8 2005掲載

「メアリー・スチュアート」

レポート掲載後の伝言板のコピーを転載します。

レポートを掲載を有難うございます。  [返信] [引用]
編集長さん
私のつたないレポートを掲載していただき有難うございました。どきどきしながら会員便りを開いてびっくり!。黒い背景に浮かび上がる画像、その統一感のある配置に予想もしなかった雰囲気が出て、その上バックミュージックまでついて、とても私が送ったレポートとは思えませんでした。入院などで時間はかかりましたが
こんな形のレポートが発表できて心から感謝しております。自分が関心を抱いた対象の表現を支えてくれる人が居り、こういう形で発表する場があり、受け入れて
くださる方が居られる幸せをかみしめております。
あらためてお礼申し上げます。

 
k.mitiko  ++.. 2005/08/05(金) 13:18 [6307]

 
こうやって掲載されるレポート

「いつでも・どこでも・好きな時に」
オンデマンドで開けるシステムなんて、十年前に誰が
予想したでしょう。

読者あっての発表意欲、今後益々k.mitikoさんの充実
したコンテンツ満載のお役に立つなら、こんなに嬉し
いことはありません。

編集長  ++.. 2005/08/05(金) 14:38 [6309] [引用]

 
重厚で美しく格調高い仕上がりの「メアリー・スチュアート」
完成おめでとうございます。

16世紀イングランドとスコットランドが統合され
ブリテン島住民の悲願であった連合王国が出現する
にあたっては、メアリースチュアートとエリザベス
1世がその生みの親であると知らされました。
歴史を男性が動かし創ってきた事の影に、様々な
女性の業績がある事を知ってほしいと、k.mitikoさ
んが奮闘なさった尊いお気持ちのレポートですね。

今、NHKで話題の「義経」も宮尾登美子の「平家物語」
が戦記ものとして名高い男の世界に女の息吹をこめて
烈しく力強く生きた中世の女性の偉業を語らずには死
ねないという思いから5年の歳月をかけ執筆なさった
そうです。まさにk.mitikoさんの思いと同じですね。

美しい写真に想像力をかきたてられます。

小春ママ  ++.. 2005/08/05(金) 17:44 [6310] [引用]

 

編集長さん 小春ママさん
コメント有難うございます。メアリー・スチュアートと
エリザベス一世は、同時代にライバルとして生きた
人物でしたのでともすればどちらかが敵役になりかち
でした。「華麗なる二人の女王の闘い」の作者小西章子さんは二人の強い個性が非情な歴史の歯車にがんじがらめに組み込まれ、ついに凄絶なクライマックスへと追い
やられたのではと書いています。二人とも実像を知ると魅力的でエリザベスは歴史に名を残し、メアリーは伝説の世界に名を残したと言えるのではないでしょうか。

k.mitiko  ++.. 2005/08/05(金) 19:29 [6311] [引用]

 
編集長どの 小春ママさん

歴史上の数奇な運命を生きた女性達のことを三王システムHPで語りたいのだが、と姉から最初に相談を受けたとき、大賛成すると同時に最初に取り上げる女性として私が真っ先に思い浮かべたのがこのスコットランド女王メアリー・スチュアートでした。

姉もその気は相当あったようですが、マリー・アントワネットと共に”悲劇の”という形容詞が付く高貴な女性としてつとに有名なメアリー・スチュアートのことは一番最初に取り上げるには荷が重いところがあったらしいことと、通常のネット検索では良い画像がなかなか見つからなかったこともあって後回しになったようでした。

そのメアリー・スチュアートのレポートが掲載されることが予測された一昨日、私は仕事に行く直前に三王システムHPの画面に午前9時8分、「悲劇の女王 メアリー・スチュアート」のタイトルの画像入り見出しが登場したときはゾクゾクとするような思いに襲われたものでした。
40枚近くの大量の画像を長文の記述の中の指定された場所に掲載する編集作業は相当時間がかかったことと思われるのにこの迅速な掲載は、前夜、送ってこられた姉のレポートを見た編集長が早くに出勤して編集作業に入られた故と私は想像しました。
そして朝の時点では背景色は通常の白地だったのが、夕方仕事から戻ってきて再度拝見したときは姉があのように感激した重厚な黒地となっているのを見いだしたときは、私は編集長が如何にこのレポートに力を入れて掲載に尽力してくれたかを思い知ったのでした。
本当に有り難く思っております。

朝は私のホームページへの転載作業だけをして仕事に行きましたが、夕方帰宅してシャワーを浴びた後、冷たいビールを飲みながら姉の作った「悲劇の女王 メアリー・スチュアート」をためつすがめつ拝見したときの私の至福の思いを是非、編集長と姉を温かく励まし続けて下さったさよさんに知っていただきたく、このようにつらつら記させてもらいました。

メアリー・スチュアートについては今後もまた語らせて下さい。

リワキーノ  ++.. 2005/08/07(日) 08:56 [6314] [引用]
k.mitiko さんのメアリー・スチュアート  [返信] [引用]
k.mitiko さん、

 いずれメアリー・スチュアートのことをご紹介されるだろうと思っていました。たいへんな力作ですね。おおいに読み応えがありました。シュテファン・ツヴァイクの文体は時にくどさを感じることもありますが,その熱っぽい口調に触れると途中で読むのを止めることが出来ず,あたかも自分が歴史の激動の場面に遭遇し,主人公とともに,運命の嵐の中にどんどん引きずり込まれて行くような錯覚を感じます。今回のk.mitiko さんの大作を読むと,かつての興奮が鮮やかに甦ってくるのを感じました。

 k.mitiko さんのお書きになったものを読んだ後はいつも,丁度良い機会だと,登場人物や歴史上の出来事を書物やインターネットで調べるのが常になっています。今回ヘンリー8世について調べていると,彼は横暴で専制的で,自分の都合で妃を次々と死に追いやった悪逆非道な男と思っていましたが,どうもそれだけではないようですね。イギリス国教会を作る前は敬虔なカトリック教徒で,ルターを批判する書物を書いてローマ教皇から賞賛されています。また音楽にも造詣が深かったそうです。

 さらに面白いのはヘンリー8世の妃達の素性で、最初の妃スペイン・ハプスブルク家から嫁いできたキャサリンは夭逝した兄の妻をもらい下げたもの、次の妃でエリザベスの母アン・ブリンはキャサリンの侍女、3番目の妻はアン・ブリンの侍女と手近なところで見つけている。もっともキャサリンについては政略的意味があったのでしょうが。ドイツからめとった妻はあまりにブ○だったので怒ってすぐ離婚している。権力の野心は凄まじかったが女性に関してはどこか抜けています。

 ところでk.mitiko さんが著作中で触れられているプロテスタントとはイギリス国教会Church of England のことでしょうが、同教会は通常プロテスタントには含まれないと思っていました。この点いかがなのでしょう?

 本題に戻りますが、ブラッディ・メアリー、名前に違わず怖い顔、正真正銘の悪役ですか。ボスウェルは護衛隊長の地位にあったと記憶していますが、つまり北面の武士ですか?もっと武闘派的いかつい男を想像していました。

あらためて力作ありがとうございます。次作も期待しています。

 
v.K.  ++.. 2005/08/07(日) 13:14 [6316]

 
v.Kさん
私のつたないレポートに過ぎたコメント有難うございます。若い頃読んだシュテファン・ツヴァイクの「メアリー・スチュアート」から強烈な印象を受けていましたので、とても私ごときが手を出せるものではないと先送り
してました。しかし日本の女性作家のを読んで画像をつければ私でも何とかなるのではと挑戦してみました。

ヘンリー8世はおっしゃるようにある時期までは、兄の
妻を大事にし、敬虔とまでいかなくともカトリックの
信仰を持っていたようですが、キャサリンとの間に生まれる子が次々夭折する中で男子の後継者へのあせりが生じ、その離婚がローマカトリックからの離脱につながったようですね。その後次々と妃を変え6人のうち2人も
処刑しているのには専制君主とはいえ非道で、中でもアン・ブリンの場合は濡れ衣でしたので権力の恐ろしさを感じます。4人目のアン=オブ=クレーヴスは
肖像画と違い過ぎると激怒して離婚した後は、アンとは
きょうだいのよな関係で宮廷えの出入りもしていたと
いいますから笑ってしまいます。

ヘンリー8世がローマカトリック教会から離脱してつくうたイギリス国教会は私もプロテスタントなのか疑問
でしたが、日本の作家の作品にプロテスタントと出てきますので、疑問符の意味で新教、旧教としましたが
これはご存知でしたら是非教えていただければ有難いです。イギリス国教会とオランダ、ドイツ、スイスなどとは違うのでしょうね。

ブラッディ・メアリーの肖像画は他にもありましたが
似たような表情をしています。アン・ブリンが処刑されたのはエリザベスが2才8ケ月でしたが、メアリーの母が離婚されてメアリーは庶子の身分に落とされ、母とも引き離されたのは物心ついたころで、その生涯は悲しみ多く幸せとは言えず、それが表情に出ているのではないでしょうか。教養はあったようです。

ボスウェルは読書家で教養があり、メアリーの忠臣でしたが、メアリーの信頼が恋に変わるころ次第に王冠への
野心が芽生え、その実現に突っ走って墓穴を掘り悲惨な
末路をたどったようです。

シュテファン・ツヴァイクの「メアリー・スチュアート」で夫殺しの根拠として取り上げられている「手紙の
小箱」は現代ではその真否が問われているようですので
割愛しました。いろいろとご教示有難うございました。

k.mitiko  ++.. 2005/08/07(日) 20:11 [6317] [引用]

 
v. K. さん

貴兄と姉、k.mitikoさんとのやりとりに私も参加させください。
あの姉のレポートに対して、ヘンリー8世という君主の器量や、イギリス国教会について言及されているところは、さすが半端ではないヨーロッパ通の方のレスだな、と感銘を受けました。

>イギリス国教会を作る前は敬虔なカトリック教徒で,ルターを批判する書物を書い
>てローマ教皇から賞賛されています。また音楽にも造詣が深かったそうです。

このこと、初耳でした。
そうなのですか。あのいけ好かないルターを批判したと言うのならヘンリー8世もまんざら捨てた存在ではありませんね。
何年前だったでしょうか、貴兄とのやりとりで高所にある城塞内の便座にまたがるルターの局部を弓矢で狙った旧教徒がもしいたならば、その後のヨーロッパの歴史は変わったかも知れない、という貴兄のコメントに爆笑したことが懐かしく思い出されました。
”カノッサの屈辱”として史上有名な神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世とは違って、ローマ教皇を敵に回してキリスト教国であるイングランド王国の維持に成功しているのですから、11世紀と16世紀の時代の違いを考慮したとしてもヘンリー8世が並の君主ではないことは確かだと思います。

イギリス国教会がプロテスタントと言えるのかどうかについては、私も昔からどう分類したらいいのだろうと疑問を抱いておりましたが、貴兄の問いかけに出会って初めて真剣に調べてみた結果、下記の”フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』”の記述が参考になるのではないか、と思いました。

「イギリス国教会(イギリスこっきょうかい)は16世紀のイギリスで成立したキリスト教会の名称であり、世界に広がる同教会のネットワーク(アングリカン・コミュニオン)の総称である。英国国教会、アングリカン・チャーチ、聖公会とも呼ばれる。もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマから離れ、独立した教会となった。プロテスタント諸派と異なり、教義的な問題でなく、政治的な問題からローマ・カトリックから分裂したため、典礼的にはカトリックとの共通点が多い。教会の首長が英国の統治者であるということが最大の特徴である。「聖公会」という名称はイギリス国外におけるイギリス国教会の名称の日本語訳である」

「プロテスタントは、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に福音主義を理念とするキリスト教諸派の総称である。ただし、聖公会(英国国教会)は教義上はプロテスタントだが、儀式・礼拝はカトリックという独自の立場から特に教会一致運動に寄与している。
カトリック教会はそれに属する全ての教会が中央たる一つのカトリック教団(ヴァチカン)によって統一されており、東方正教会は基本的には国や地域ごとに教団は複数に分かれているものの、同じ教義・典礼を共有し、連合体として存在している。これに対し、プロテスタントは特定の教派・教団を指す名称ではなく、神学や教義解釈がそれぞれ異なる多数の教派(主にカトリックから分裂した教派、もしくはそこから更に分裂した教団)を総称して呼んでいるに過ぎず、よってプロテスタントという教派(宗派)は存在しない。主にカトリック分離組を源流としており、東方正教会からの分離組を指す事はない。また、同じ教派と自称していても法人としての教団は異なる事も多い。例:〜ルーテル教団、ルーテル〜教会、○○ルター派××教団(法人が別なだけでなく、交流すらない事が多数)」

政治的な問題ではあってもカソリックから分離したという点では「抗議するものと」いう意味ではプロテスタントであり、教義的、典礼的な意味合いにおいては純粋なカソリックのやり方を踏襲している点から言えば、カソリックと言える、つまり、どっちにも属しているようでいてはっきりとは定義できない、第三者的存在と言えるのではないでしょうか。

リワキーノ  ++.. 2005/08/08(月) 00:08 [6321] [引用]

k.mitiko さん、リワキーノさん、

イギリス国教会についてはプロテスタントではないと断言してあるのを、どこかで見た記憶があります。私のようなど素人から見てもプロテスタントとは言えないように感じます。

(1)元来ヘンリー8世は敬虔なカトリック教徒で、ルター批判さえ展開した。彼は本当は破門を恐れていた。
(2)ルターのように教会の免償符(免罪符)や聖職者の堕落した生活を批判したり、カルヴィンのように神学上の思想からローマに離反したわけではない。離婚問題や、ローマ教皇の持つ富と権力をイングランドにおいては自分が横取りしようとしたことが国教会設立の動機であった。
(3)ローマ教皇にとってもヘンリー8世にとっても教会至上主義に変わりはない。重臣トマス・モアを死に追いやった問題も、カトリック教会の中での分派を認めるか否かの問題であった。

ツヴァイクはオーストリアから亡命してイギリスに住んでいる時に、メアリー・スチュアートの事を知って興味を持ち、メアリー・スチュアート伝を書いたそうです。彼はその後アルゼンチンに移住したので、僅か1,2年の短期日のうちにあれだけの長編を書き上げたのでしょう。すごい資料収集力、文才、頭脳ですね。

ツヴァイク自身が伝記中にて述べているように、メアリー・スチュアートの人生は25才で終わってしまったも同然でした。私もイングランドの亡命生活を描いた後半はやや退屈で、少しとばし読みしましたので、エリザベスとの関係が良く呑み込めないままでした。それが今回k.mitiko さんの作品を読んで理解できました。どうもありがとうございました。

v. K.  ++.. 2005/08/08(月) 13:06 [6323] [引用]
再びメアリー・スチュアート   [返信] [引用]

下記の項目が長くなってしまいましたので別にしました。v. K.さんのおっしゃる
「(2)ルターのように教会の免償符(免罪符)や聖職者の堕落した生活を批判したり、カルヴィンのように神学上の思想からローマに離反したわけではない。離婚問題や、ローマ教皇の持つ富と権力をイングランドにおいては自分が横取りしようとしたことが国教会設立の動機であった。」というあたりが真相のように思います。
その後のヘンリイ8世の言動から推測できるように
思います。そのことが英国国教会すなはちプロテスタントと断言するのにちゅうちょするものがありました。
ヘンリイ8世は敬虔なカトリック教徒だったかも知れませんが、それを上回る権力志向が強く絶対王政をめざしていたのではと思います。その野望のためには手段を
選ばなかったのではないかと思えてしかたがありません。

 
k.mitiko  ++.. 2005/08/08(月) 13:46 [6324]