8/8 2005掲載
「メアリー・スチュアート」
レポート掲載後の伝言板のコピーを転載します。
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k.mitiko
さん、リワキーノさん、 イギリス国教会についてはプロテスタントではないと断言してあるのを、どこかで見た記憶があります。私のようなど素人から見てもプロテスタントとは言えないように感じます。 (1)元来ヘンリー8世は敬虔なカトリック教徒で、ルター批判さえ展開した。彼は本当は破門を恐れていた。 (2)ルターのように教会の免償符(免罪符)や聖職者の堕落した生活を批判したり、カルヴィンのように神学上の思想からローマに離反したわけではない。離婚問題や、ローマ教皇の持つ富と権力をイングランドにおいては自分が横取りしようとしたことが国教会設立の動機であった。 (3)ローマ教皇にとってもヘンリー8世にとっても教会至上主義に変わりはない。重臣トマス・モアを死に追いやった問題も、カトリック教会の中での分派を認めるか否かの問題であった。 ツヴァイクはオーストリアから亡命してイギリスに住んでいる時に、メアリー・スチュアートの事を知って興味を持ち、メアリー・スチュアート伝を書いたそうです。彼はその後アルゼンチンに移住したので、僅か1,2年の短期日のうちにあれだけの長編を書き上げたのでしょう。すごい資料収集力、文才、頭脳ですね。 ツヴァイク自身が伝記中にて述べているように、メアリー・スチュアートの人生は25才で終わってしまったも同然でした。私もイングランドの亡命生活を描いた後半はやや退屈で、少しとばし読みしましたので、エリザベスとの関係が良く呑み込めないままでした。それが今回k.mitiko さんの作品を読んで理解できました。どうもありがとうございました。 |
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v. K. ++.. 2005/08/08(月) 13:06 [6323] [引用] |
再びメアリー・スチュアート | [返信] [引用] |