2/9 2007掲載
私の人生への贈り物
by K.mitiko
2005年の夏、初めて見た「冬のソナタ」によってヨンフルエンザに
かかった私は、「慢性化して完治しませんから覚悟した方がいいですよ」
という友人の予告通り、ヨンフルエンザが慢性化して現在に至るも
治らず、ヨンゲル係数は増えるばかりです。若いときから大の映画ファンで、
数え切れないほど多くの映画を見てきた私が、こんな状況になるとは自分でも
信じられなくて、ペ・ヨンジュンに何故こんなにも惹かれるのか、その作品だけ
でなく彼に関する本や雑誌、DVD、サイトなどを片端から目をとおしました。
2002年「冬のソナタ」より
Aさん(50代前半)
(写真はファンの友人からそれぞれのベスト3を送ってもらいました)
私は親のすすめるままに見合いをして出会った人と結婚し、妊娠出産、子育て、
両方の親の介護と見送り、夫の介護と見送りと日本の女性としては平均的な人生を
送ってきました。その年月は苦労もありましたが、私の親の世代に比べると
はるかに幸運な道のりであったように思います。人生の義務と責任を一応
果たしてほっと一息ついた晩年に、思いがけない贈り物を受け取りました。
「冬のソナタ」より
Sさん(佐賀 50代)
それが「冬のソナタ」とペ・ヨンジュンの出会いでした。前にも書きましたが
私はブームの盛りが過ぎたころに作品を見、初めはヒロインのチェ・ジウに
惹かれていたのが、身近にいた熱烈なペ・ヨンジュンファンのAさんのおかげで、
あっというまに宗旨替えをして、私もペ・ヨンジュンファンになってしまいました。
「冬のソナタ」より
k.mitiko(70代前半)
内面から滲みでる清潔感、穏やかな笑顔など容姿の美しさもさることながら、
私が一番惹かれたのは彼の人間性でした。数々のインタービューでの発言や
彼の書いたもの、彼をとりまく人々の証言や、なによりも彼の行動を通して、
ペ・ヨンジュンの知性や誠実さ、志の高さに一俳優の域を超えたその人物像に
ひきこまれてしまいました。そして彼のような人物が何故韓国に登場したのか、
何故日本ではなかったのか。(これは明らかに私の差別意識でした)
1999年「愛の群像」より
Sさん(佐賀)のベスト3
人はその生まれ育った社会や風土から、切り離されて生きられない存在ですが、
ペ・ヨンジュンも韓国の歴史や伝統、風土の中から登場した人物でした。
韓国(朝鮮)は600年に渡って儒教を国是とした伝統社会で、それは韓国の
現代社会にも色濃く残っています。何よりも家族を大切にする伝統は、儒教の国
ならではと思います。一方18世紀末から19世紀にかけて広がったキリスト教は、
現代ではフィリッピンについでアジア第2のキリスト教国(国民全体に占める割合)
になっています。
01年「ホテリアー」より
Kさん(50代半ば)
韓国は北朝鮮との分断国家であることもあって徴兵制がしかれ、韓国の男性は
19歳になると徴兵検査を受けます。身体測定や体力測定を行い軍隊の訓練に
耐えうるかどうか判断します。視力が悪い人や病気の人は入隊できません。
韓国の男性にとって兵役を終えることは、一人前の男性として認められることに
なり、企業も兵役をすませたか、免除された人でないと採用しないようです。
03年 映画「スキャンダル」からメイキャップ前
k.mitiko
一方韓国は日本以上に学歴重視の社会として有名ですが、それはひとつには
長い儒教社会の伝統から文を尊ぶ気風があること、現実問題として高卒と
大卒の勤労者の所得格差が大きいということがあるようです。韓国の男性に
とって大学卒であることと兵役を終えることは、一人前の男性として必要条件に
なっています。
04年 写真集のためのトレーニング
Kさん(50代半ば)
韓国は1945年第2次世界大戦の終了とともに、日本の植民地から独立
しましたが、まもなく朝鮮戦争が起こり、その後軍事独裁政権が長く続き
ました。民主化闘争を経て国民が民主主義を手にしたのは1987年の
ことで、それを勝ち取るために多くの人々の粘り強い戦いがありました。
韓国は今年民主化20年をむかえます。日本の戦後62年に比較すると
同じ年月の内容の違いに驚いてしまいます。ペ・ヨンジュンはそういう
国に生まれ、激動の時代に成長していきました。
05年 映画「四月の雪」撮影中ホジノ監督と
Hさん(40代半ば)
小中学校のとき抜群の成績だった彼が大学受験に失敗し、子供のころの
テコンドの練習のさい受けた傷がもとで、両眼のバランスをくずして兵役に
ついていません。ペ・ヨンジュンは大学と兵役という韓国の男性としては、
一人前として見られる大事な場面で大きな挫折を経験しました。
映画「四月の雪」公開にむけて
Aさんのベスト3
05年8月埼玉アリーナで26000人のファンが集う
そのことで自分の進む方向を映画の世界に求め、アメリカで監督の勉強を
するための、資金づくりの場として放送の世界に入りました。そこで見出されて
1994年「愛の挨拶」でデビューし、当時の韓国の男優には見られなかった、
柔らかな知性美の魅力によって認められ、一躍スターの仲間入りをしました。
その時の監督が「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督で、監督のすすめで眼鏡を
かけるようになりました。
同じ場所で
Kさんのベスト3
デビュー以来、努力を重ねて話題作に出演してきましたが、1997年の
「初恋」は視聴率65%と言う新記録をだし、その記録は韓国のテレビ界では
いまだに破られていないようです。自分の限界を知っていたペ・ヨンジュンは、
どんなに誘いがあっても「自分は未熟でお見せするものが無い」という理由で
バラエティ番組にはでず、インタービューにも中々応じませんでした。
ストイックで完璧主義者の彼は作品を選び、10年間に映画2本、テレビドラマ
10本という少なさで、演技に対する執念は先輩の共演女優から「そんなことでは
殉職してしまう」と注意を受けるほど努力をしました。
03年 韓国でのサイン会
Sさんのベスト3
デビューから5年目に、将来監督になるための準備と同時に、時代の感覚を
掴むために、600年の伝統を持つ成均館大学に入りました。念願の大学
生活では、自分よりはるかに年下の若者たちと、勉学にいそしみましたが、
仕事の関係で退学せざるを得ませんでした。テレビ界に復帰しての2作目が
ユン・ソクホ監督の要請で、「初恋」で共演したチェ・ジウと出演した
「冬のソナタ」でした。
06年 雑誌ブロコリ
Hさんのベスト3
韓国ではペ・ヨンジュンは10年前から人気スターで、韓国のファンは彼の成長を
長年見守ってきました。2003年4月3日、NHKのBS放送で「冬のソナタ」
の第1回が放送されると美しい映像、音楽、ロマンチックなストーリー、初めて
見る魅力的な俳優たちが大きな反響を呼び、NHKとしては異例の4回もの
放送になりました。2004年のペ・ヨンジュンの初来日には、羽田飛行場に
5000人ものファンが出迎え、ブームは一挙に加熱しました。
06年7月来日 Aさんのベスト3
髪を伸ばしているのは次回作品のため
「冬のソナタ」の日本での反響の大きさにペ・ヨンジュンは「最近のドラマは、
若い世代のための刺激的で、瞬間的で、感性の有効期間の短いものが主ですが、
「冬のソナタ」は人びとが忘れていた、または忘れて暮らしている、純粋さ、
ひたむきな愛、情熱をもう一度呼び起こしたと思います。このドラマが、
みなさんに再び純粋に、情熱的に生きるエネルギーを与えてくれると信じて
いますし、そのような役割が果たせてとても嬉しいです。人間が純粋に
暖かくなれるというのはとても大事なことですから」と語っています。
04年4月 初めての来日の際の初インタビュー
ペ・ヨンジュンのさわやかな笑顔、インタビュウーにたいして自分の生き方に
信念をもち、自分の考えをしっかり語る姿に、見守るファンは胸を熱くし、
ファンを家族とよび、いつも誠実に向き合う姿は、「冬のソナタ」の主人公と
オーバラップして、新鮮な驚きと感動をファンに与えました。
コマーシャル出演 Sさん(佐賀)のベスト3
「冬のソナタ」が公開されるやいなや、「冬のソナタ」とペ・ヨンジュンに
いち早く熱烈な支持をしたのは中高年の女性たちでした。社会でも家庭でも
人生の場から逃れることなく、真面目に責任と義務を果たしてきた中高年の
女性たちは、ペ・ヨンジュンの外見の美しい容貌、優雅な物腰、心癒される
笑顔だけでなく、その内側に秘められた強靭な精神力、ならびに一人の人間と
しての知性と教養を感じとったとき、その人物像に久しぶりにときめきを
覚えて、魅了されてしまったのだと思います。
06年 Hさんのベスト3
クラシックアルバム「Hero」の写真集
たえず自分を律し、禁欲的で自分にもまわりにも誠実であること、
知らないことは知る努力を惜しまないし、相手の意見はしっかり聞く。
そして自分には厳しく謙虚であることなどその生き方から、多くの
女性たちはペ・ヨンジュンによって自分の人生にも意味があることを
知りました。
06年レスリー・キー氏写真展より
Sさんのベスト3
長年、妻として母として家族を愛し、それをベースに自分らしく
生きたいと模索しているときに「冬のソナタ」とペ・ヨンジュン
に出会い、自分の人生が豊かになれて、希望と活力が生まれました。
微笑みから入って、人間性に取り込まれ、生き方に理想像を見たのが、
ペ・ヨンジュンファンの共通点といえるように思います。
上記と同じ Sさんのベスト3
2005年の映画「四月の雪」の完成後の記者会見で、当時問題になって
いた「竹島(韓国では独島)問題」をどう思うかと質問されたとき、
ここはその場ではないと後日「竹島は韓国の領土です。」と自分の立場を
明らかにした上で日韓両国が冷静に理性的に解決することを望み、「私に
与えられた役割があるならば、国家領土の線を引く一言より、アジアの
家族(ファン)たちの心と心の線をつないでいくことではないかと
思います。そしてその仕事に最善をつくしたいです」と答えました。
常に文化の交流を通してアジアを一つにしたいと、念願している
ペ・ヨンジュンの志の高さに私は感動しました。
02年韓国の写真家が撮ったもの k,mitikoベスト3
人は年をとるといろんなことに興味がなくなり、人生の面白さが減って
いくと言われますが、それと同時に何かに感動したり心ときめくという
ことも薄れていくように思います。ペ・ヨンジュンはそういう世代にも
生命の灯をともしたようで、私をはじめ70代80代の多くの女性たちに
ファンが広がっています。こういう俳優に私は今まで出会ったことが
ありません。私には現代の奇跡のように思えました。
03年11月韓国で
初来日直前のファンの集まりで
ペ・ヨンジュンは韓国のような、過酷な現代史がそのまま個人の生き方を
規定してしまう国に生まれ育ち、大学や軍隊をはじめ、内向的な性格など
数々の負い目を克服することによって、現在のペ・ヨンジュンの個性が
できあがったようです。戦後のぎくしゃくした日韓関係の親善に大きな
交流の灯を点したペ・ヨンジュンは、現代の朝鮮通信使と言えるのでは
ないでしょうか。
06年 次回作「太王四神記」で高句麗の広開土王
私の人生の老年期に思いがけない贈り物を貰って、私の生活や考え方は
大きく変わりました。「冬のソナタ」とペ・ヨンジュンのお陰で、私も優しい気持ちと
エネルギーを貰い、元気が出てきました。そしてこの贈り物のおかげで、日々を心から
幸せに思ってくらしています。
写真を送ってくださった5人の方たちは、仕事に子育てにそれぞれの場所で、頑張って
いらっしゃる素敵な大人の女性たちです。皆さんの心の共同作業で、このレポートが
出来ました。皆さんご協力有難うございました。内容はこれで良かったでしょうか。
参考資料
「冬のソナタから考える」 高野悦子 山登義明 岩波ブックレット
「ペ・ヨンジュンという生き方」 カン・ヒボン 新幹社
「冬のソナにはまった私たち」 林香里 文春新書
「なるほどこれが韓国か」 李泳采 韓興鉄 朝日新聞社
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