9/6 2007掲載

想い出の映画スター
 
エリザベス・テイラー   Part3
 
 
1958年の「愛情の花咲く樹」は、南北戦争を背景に、大富豪の令嬢と
理想主義者の青年との恋を描いたメロドラマ大作です。モンゴメリ・クリフト
とは再度の共演になりました。
 
 
母からの狂気を受け継いだヒロインは、幼児期の悪夢のような思い出に
苦しめられ、結婚後も理想を求める夫の足かせになるのではと自責の念に
かられていました。やがて出産を機に精神障害を起こして、子どもを連れて
故郷の南部に行ってしまいます。夫は妻と子どもを探すために、折から勃発した
南北戦争の北軍に志願して戦場をさまよい、やっと妻子を見つけ戦争の終結と
ともに、故郷へ連れて帰ることができました。この撮影中モンゴメリ・クリフトは
自動車事故で重症を負い、一時は復帰も危ぶまれた状態でした。
 
 
 
夫の故郷での穏やかな生活に、ヒロインも落着いたかのようにみえました。
しかし夫が政界への望みを抑えて自分を守るために、一生を捧げようとしている
のを知り、また控えめに前から夫を愛している女性の存在を確認したことで、
ヒロインは自殺という形で夫の前から消えてしまいます。
 
 
「リズという女優はその個人的な不幸や苦悩が、女優としてのうるおいや
艶やかさにプラスする運命をもっている」と言われていますが、リズの演技と
その個性が分かちがたくこの狂気のヒロインを通して、従来にない温かさと
潤いのある美しさを表現していて、リズはこの作品で初めてアカデミー賞の
主演女優賞候補になりましたが、作品のできばえは今ひとつでした。
 
 
 
左 ポール・ニューマン
1958年の「熱いトタン屋根の猫」は、家族の確執を描いたドラマです。
ストーリーの中心はガンで余命の少ない父親の財産を狙う兄夫婦と、
父親と仲の悪い主人公との結婚生活に悩む、妻の「熱いトタン屋根の猫」の
ような焦燥感を描いています。撮影が始まったばかりの時、最愛の夫マイク・
トッドを飛行機事故で亡くし、悲しみのどんぞこにいましたが、見事に立ち直り
リズはこの作品で、2度目のアカデミー賞の主演女優賞候補になりました。
 
 
 
左モンゴメリ・クリフト 右キャサリン・ヘップバーン
1959年の「去年の夏突然に」は1年前に亡くなった息子の母親の依頼で、
死の間際を知る精神不安定の女性に、手術を施して死の真相をさぐる精神科医の
サスペンス映画です。息子を溺愛していた母親が、息子が死んでしまった経緯を
知りたいがために、息子のためなら相手の女性が精神不安定であっても気にしない
非情な母親にキャサリン・ヘップバーン、恋人の死の瞬間の記憶に苦悩する女性と
の間で奔走する、精神科医をモンゴメリ・クリフトが演じて、彼とは3度目の共演
でした。
 
 
 
「熱いトタン屋根の猫」と同じようにストーリーの根底には、当時のハリウッド
ではタブーだった同性愛の問題がありました。それが伏せられているため、
リズの大熱演とキャサリン・ヘップバーン、モンゴメリ・クリフトという実力の
ある演技陣が揃っているにもかかわらず、登場人物の苦悩がからまわりして
心に残る作品にはなり得なかったように思います。リズはまたもアカデミー賞の
主演女優賞候補になりました。
 
 
 
左 ローレンス・ハーベイ
1960年の「バターフィールド8」は薄幸なコールガールを描いたドラマで
”バターフィールド8”で呼び出されるコールガールが、妻子ある男性を真剣に
愛したことから彼女に降りかかる悲劇を描き、リズはこの作品でアカデミー賞の
主演女優賞に輝きました。リズはこの作品を嫌っていましたが、MGMとの契約が
残っていたため仕方なく出演しました。
 
 
 
リズが演技力にめばえたのは「ジャイアンツ」で、それ以後1本の駄作も
なく、連続してアカデミー賞の主演女優賞候補になったのは、リズにとって
この時期女優として一番油がのっていたといえます。私生活では、マイク・
トッドの死、エディ・フィッシャーとのロマンスと結婚、そして病気の連発と、
波乱にとんでいましたが、リズにおいては、スキャンダルがかえって武器になり
輝きを見せ、そこにこの女性の類まれな素質があると言われていました。
 
 
 
 
1963年の「クレオパトラ」は歴史上有名なクレオパトラを描いた作品です。
クレオパトラ役には当時のハリウッドスターの自薦他薦数多くある中でリズに
決定し、シーザーにイギリス出身のピーターフインチ、アントニーにスティブン・
ボイドで、20世紀フォクス社の社運をかけて製作が始まりました。
 
 
撮影に入ると間もなくリズが肺炎になり、生死の境をさまよう状態に「リズ危うし」
のニュースが流れたとき、大西洋を航行中の駆逐艦や、ソビエトの軍需工場からも
激励の電報がよせられ、イギリス女王の侍医ほか11名の医師がつきっきりで看病に
あたりました。それだけ当時のリズは世界の人気スターで、クレオパトラの役を
彼女に替わる存在はいませんでした。そのため撮影は一時休止され、リズの回復まち
になりました。
 
 
撮影が再開されたときには、監督が交代し、俳優も最終的にイギリスの大スター
レックス・ハリスンと同じイギリスのリチャード・バートンに決定しました。
撮影開始直前またもやリズは、前回と同じ重症の肺炎で「リズ死す」のニュースが
伝わるや新聞社1社だけでも3千件の問い合わせがあり、このときは6cmにおよぶ
喉の切開が行われ、窮地を脱しました。ローマ郊外のアンチオ海岸とチネチッタ撮影所に、
アレキサンドリアと古代ローマが再現され、1千名のエキストラが集められて、ようやく
撮影が始まりました。
 
 
左 リチャード・バートン
撮影は順調に進んでいきましたが、リズは共演したリチャード・バートンと
恋に落ち、リズという女性は恋をしたら結婚するというのが信条で、当時
二人ともそれぞれ結婚していましたので、今度はスキャンダル発生。またもや
ひと騒動です。4年がかりの「クレオパトラ」は完成し、豪奢な衣装やセット、
二十数万人のエキストラ、格調高い台詞回しなど、ハリウッドの黄金時代を
象徴する、豪華絢爛なスペクタクル史劇になりました。
 
 
トラブル続きで製作費がかかり、20世紀フォックスを経営破綻寸前に追い込んだ
こともあって、ハリウッドの古代史劇大作がこれでひとまず打ち止めになったとも
言われる記念すべき作品になりました。映画は批評家から酷評されながらも
まずまずの興収をあげますが、莫大な制作費を回収するまでには至りませんでした。
 
 
1966年の「バージニア・ウルフなんかこわくない 」は、夫婦関係の危機に
直面した人々の葛藤を描いて、センセーションを巻き起こしたブロードウェイ・
ヒット舞台の映画化です。結婚したばかりのリズとリチャード・バートンが
映画でも夫婦役を演じました。当時32歳のテイラーが52歳という設定のマーサ役を
演じるには若すぎたので、彼女は役作りのためにインスタント食品を食べて70キロに
まで体重を増やし、酔っぱらったようなしわがれ声で喋るように務めました。
リズはこの作品で2度目のアカデミー賞の女優主演賞に輝きました。
 
 
「バターフィールド8」でアカデミー賞、主演女優賞を受賞
リズが映画界にデビューしてからの長い年月、スターにゴシップがつきものとは
いえ、結婚、離婚、出産、病気、怪我、訴訟、引退声明、国籍問題などリズには
事件がつきまといました。こんなに多くの話題を提供したスターは他にはいません。
エリザベス・テイラーは、なみはずれた強烈な個性で、ハリウッドに輝いた最後の
大スターと言えるのではないでしょうか。
 
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