9/10 2007掲載

「南方録と茶の心」展のご案内
 
立花実山筆 千利休像  東林寺
「南方録」は豊臣秀吉の茶匠として茶道を大成した千利休の茶法を、
その弟子南坊宗啓がまとめたもので、茶書の中でもひじょうに重要な
茶道の古典とされます。
 
 
 
この書はその成立後しばらくはその存在を知られませんでしたが、
これを千利休が亡くなって、百年ほど経った元禄時代に、福岡藩の
藩士立花実山(たちばなじつざん)によって発見されました。
立花実山は福岡藩の家老の家に生まれ、三代藩主黒田光之の側近と
して仕えました。
 
 
「南方録」 立花実山筆    圓覚寺
実山は発見した「南方録」を、実弟寧拙をはじめ身近な四人に伝え
書写を許しました。そのために「南方録」はこの地では長らく秘伝の
書として人の目に触れることがなかったようです。今回、実山の写本、
弟寧拙の写本の両本を一堂に公開するようになりました。
実山はこの業績により、その後の茶道に大きな影響を与えました。
 
 
 
立花実山像  圓覚寺
立花実山は「南方録」を発見したように、茶道に関心が深く、そのほかにも
詩、和歌、書画や学問では貝原益軒に師事した当代の文化人でした。
 
 
 
卍山道白像 東林寺
また加賀、大乗寺の禅僧卍山道白(まんざんどうはく)を招いて
福岡に東林寺ほか曹洞宗の寺院を開創しました。
 
 
 
立花実山作 花入「古老」個人
実山は当時の福岡において文化の中心ともいえる存在でしたが、
このような功績にもかかわらず、当時の福岡藩の藩主を含めた政争の
ためか、実山は幽閉され亡くなるという悲運な生涯を送りました。
 
 
 
立花実山の獄中記「梵字艸」  東林寺
本年は立花実山の三百回忌にあたり、福岡の江戸時代の文化について、
改めて実山の活動、特に「南方録」を通してふりかえってみたいと思います。
                        (記念展資料より)
 
立花実山の墓     東林寺
立花実山は私の所属する茶道「南坊流」の流祖にあたり、「南坊流」は
黒田藩の武士の茶道として、伝えられてきました。毎年命日の11月には
立花実山の墓所である東林寺で立花実山をしのぶ茶会が開かれています。
 

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