10/8 2007掲載

宗像大社の献茶と沖ノ島
 
 川島道子
 
先日、宗像大社秋の大祭(10月1日〜3日)の最終日に
行われる、南坊流の献茶に行ってきました。宗像大社は
古くから海上安全・航海の守護神として知られていますが、すべての
道をお守りする神様への献茶が、昭和7年から地元の南坊流の方
たちによって続けられ、親から子へと引き継がれてその儀式が
守られてきました。
 
 
 
10月とはいえ暑さの厳しい午後、参拝客の多い中、そこだけはしずまり
かえって、緊張感がただよっておりました。重要文化財の拝殿で、
献茶式は厳かにつつがなく執り行われました。
 
 
 
(宗像大社ホームページより)
その直前には地元の玄海中学校2年生の女子生徒による
「浦安の舞い」が奉納されていました。
 
 
 
献茶までのひとときに地元の友人の案内で訪れた境内奥の高台に
「高宮」があり、社殿がなく塀の近くにござが並べられて蚊取り線香が
置いてあり不思議に思いました。帰宅してサイトで調べましたら、
奈良時代以前は、神社には社殿が無く杜や山や島などを聖なる所と祀られて
いたそうですが、宗像大社ではこの地を古神道の在り方を踏まえ社地、
参道等を整備したそうです。今日では数少ない古神道の聖地として奈良の
大神神社(おおみわじんじゃ)の神体山、三輪山などと共に広く知られて
いるそうですが、私は初めて知りました。
 
 
(宗像大社ホームページより)
島をご神体に見立てるということでは、現在宗像市が官民あげての
世界遺産登録運動の原点になっている、宗像大社の沖津宮、沖ノ島です。
この島は島全体がご神体になっていて、何人も許可なく立ち入ることが
できません。祭神が三柱の女神様なので嫉妬されてはということで
女人禁制です。沖ノ島では古墳時代から平安時代(4世紀〜10世紀)にわたり
国家の安泰と海路の安全を祈って、大和朝廷による重大な祭祠が
行われてきました。
 
 
 
国宝の金製指輪(古墳時代後期のもの)
 
 
国宝 金銅製龍頭
(宗像大社ホームページより)
 
玄海灘の絶海の孤島、沖ノ島は島のいたるところに古代からの
祭祀跡があり、23ケ所から各種の銅鏡、金銅(銅に金メッキ)製
の馬具類のほか、土師器、三彩陶器、滑石製品、玉類、刀剣類、
ペルシャ・ササン朝製と見られるガラス椀などが大量に発見されました。
国宝324点、重要文化財12万余りとその内容、規模の大きさから「海の正倉院」と
言われています。
 
30年前に神宝館を訪れました時、国宝のあまりの多さに驚き、
それ以来沖ノ島に関心を持ち続けていましたが、今回宗像大社の
献茶のため再訪しましたことで、福岡県には世界に誇れる素晴らしい
遺産があることを、あらためて認識しました。日本の重要文化財の
半分はあるといわれる神宝館をもう一度訪れてみたいと思っています。
 

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