11/2 2007掲載
川島道子
ソフィア・ローレンははっきりした目鼻立ちと、素晴らしい肉体美で
1950年代半ばから1970年半ばにかけて大活躍をしたイタリアの
大スターです。同時代にはジーナ・ロロブリジーダ、クラウディア・
カルディナーレ、シルバーナ・マンガーノなどがいました。
1934年ローマに生まれ、ナポリで貧しい少女時代を過ごし、早くから
女優を志していました。1949年「クオバディス」にエキストラとして
出演し、16歳の時「海の女王」コンテストに入賞したことから注目
されはじめ、そのころ映画プロデューサーのカルロ・ポンティとの
出会いが彼女の運命を変えました。
1954年の映画「ナポリの饗宴」でイタリアで火がつき始め、1955年の
「河の女」でかろやかなマンボのリズムに躍動する、当時21才のソフィア・
ローレンが輝くばかりに美しく、その魅力は爆発的に世界的に広がりました。
それを見た映画監督スタンリ・クレイマーによって1957年「誇りと情熱」で
ハリウッドデビューをしました。
ハリウッドではソフィア・ローレンは「島の女」、「誇りと情熱」、
「失われたものの伝説」「楡の木蔭の欲望」など次々と大作に出演し、
その肉体美だけでなく演技面でも実力をつけ、多くの映画に出演して
アカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞しました。「イタリアの太陽」と
たたえられたソフィア・ローレンが素晴らしいのは、ドラマチックな
演技とともにコメディエンヌとしての才能でした。
イタリアの名監督ヴィットリオ・デ・シーカのもとで、アカデミー賞の
主演女優賞をとった「ふたりの女」や大ヒットした「ひまわり」などに
出演し、そのV・デ・シーカとやはりイタリア人のプレイボーイ的な役を
演じさせたら右に出るものはいないと言われたイタリアの名優マルチェロ・
マストロヤンニの黄金トリオによる「昨日 今日 明日」や「ああ結婚」
では、コメディエンヌとしての才能を発揮し、力強く生きていくイタリア女を
演じたときソフィア・ローレンは最高の魅力を発揮していました。
ソフィア・ローレンは、単なる野性派・官能派女優ではなく、女、妻、母と
様々な役柄において内面的演技も巧みで、女優として寿命が長く、1950年代から
1990年代に至るまで世界のトップ女優・国際女優としての地位が一度も揺らいだ
ことがなく、戦後イタリア映画が生んだ大女優でした。
マルチェロ・マストロヤンニと共演した「ひまわり」は不朽の名作として、多くの
ファンの心に今も残っています。
イタリアの名プロデューサーカルロ・ポンテとの出会いは、ソフィア・
ローレンを成長させ1957年メキシコで結婚し、二人の息子を産み
ますが、メキシコで式をあげたポンティとの結婚は、重婚だったとして
イタリアの裁判所は1962年に二人の結婚を無効とする判決を言い渡します。
その後長い同棲生活の後1966年、二人はやっと結婚することができました。
裁判所でも重婚罪は却下されました。
カルロ・ポンティは、当時21歳のソフィア・ローレンが国際的に知られる
きっかけになった「河の女」をはじめ、ソフィアにアカデミー主演女優賞を
もたらした「ふたりの女」、マストロヤンニと共演した「昨日 今日 明日」
悲恋映画の名作「ひまわり」などを製作し、それ以外にもヴィットリオ・デシーカの
「自転車泥棒」、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」、ピエトロ・ジェルミ監督の
「鉄道員」、オードリー・ヘップバーン主演の「戦争と平和」、デビッド・リーン
監督の「ドクトル・ジバゴ」と数々の名作を製作しました。苦労を支えあった二人は、
固い絆で結ばれてカルロ・ポンティが2007年1月死ぬまで支えあいました。
1955年「河の女」
1957年「誇りと情熱」でケーリー・グラントと共演
1958年の「楡の木陰の欲望」共演アンソニ・パーキンス
1961年の「エル・シド」共演チャールトン・ヘストン
1964年の「ローマ帝国の滅亡」共演スティーブン・ボイド
1963年「昨日・今日・明日」
1964年「ああ結婚」共演マルチェロ・マストロヤンニ
1970年「ひまわり」共演マルチェロ・マストロヤンニ
監督ヴィットリオ・デ・シーカと
ヴィットリオ・デ・シーカ監督は「靴みがき」「自転車泥棒」で知られる
イタリアの代表的な監督ですが、ソフィア・ローレンを主役に「ふたりの女」
「昨日・今日・明日」「ああ結婚」「ひまわり」など作品を世に送り出しました。
ソフィア・ローレンの作品の中で、戦争によって引き裂かれてしまった男女の悲しい
出会いと別れを描いた感動のドラマ「ひまわり」とともに、「昨日・今日・明日」
「ああ結婚」がもっとも私の印象に残っています。
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