7/28 2007掲載

想い出の映画スター
 
エリザベス・テイラー   Part1   by K.mitiko
 
 
1950年代にエバ・ガードナーと美しさを競ったエリザベズ・テイラーは、
子役からスタートして難しい少女期を乗り越えて大スターとなった女優です。
20世紀のクレオパトラと言われたその人生の、私も1ファンとして接した
前半生をPart1で紹介したいと思います。
 
 
 
エリザベズ・テイラーは子役時代にすでに大人の美しさをもつ
少女として見られていました。イギリスで生まれ、第二次大戦のため
両親とともにアメリカに渡り、母親の強い願いで映画界に入りました。
当時のハリウッドの黄金時代には、スターを育てるのは撮影所でした。
どのようなイメージのスターに育てるかを決定すると、メイキャップと
衣装と写真と宣伝で、魔法のようにつくり上げていきました。
 
 
 
 
幼い頃からハリウッドで育ち、撮影所の学校と自宅の往復だけで、愛する動物
以外他の世界を知らない世間しらずな大人になっていきました。孤独な少女は
思春期になるとその美しさはまわりの注目を集め、撮影所の期待も大きく
実力よりもその美しさだけでスター扱いされる身分になりました。そのころ
日本ではエリザベズ・テイラーも共演した「若草物語」が上映されましたが、
注目を浴びるにはいたりませんでした。このころからエリザベズ・テイラーは
リズの愛称で知られるようになります。
 
 
 
 
1950年の「花嫁の父」の公開によってアメリカでも日本でも
ウエディングドレス姿のエリザベズ・テイラーの目の覚めるような美しさが、
話題になり、現実のエリザベズ・テイラー自身の結婚と重なり映画は
大ヒットしました。18歳でホテル王の息子と豪華な結婚式をあげて、
半年後には別居、離婚となり、生涯8回の結婚の始まりとなりました。
 
 
 
私生活は波乱に満ちていましたが、1951年の「陽の当たる場所」において
演じた令嬢役は、これ以上ない的役で情感に溢れた表現で深い印象を残しました。
当時この映画を見た多くの観客は、エリザベズ・テイラーの美しさに心を奪われ、
フランスのシネモンド誌は「エリザベズ・テイラーは、それが炭素から出来ている
ことを忘れないようなダイヤモンドの美しさを持っているーハリウッドでいちばん
よく燃え、輝く炭素で」と表現しています。
 
 
 
「陽の当たる場所」の撮影と平行して次のロマンスが進行し、20歳年上の
イギリスの俳優、マイケル・ワイルディングと電撃結婚しました。初婚で
傷ついたリズにとって年上の男性の穏やかさが救いになったようです。
 
 
 
リズという女性は、人に愛され、人を愛し、静に落着いて生活したいと
いう面と、華やかで、おおぜいの人たちにちやほやされる大スターの地位を
維持したいと願望する面と絶えず両極を往復していました。2度目の結婚で
引退を考えていましたが、経済的なこともあって静かなイギリスでの落ちついた
生活からハリウッドにもどりました。まもなく男の子を出産してリズは母親に
なりました。
 
 
 
クラシック音楽の効果をたっぷりと取り入れたメロドラマ大作「ラプソデイ」に
撮りかかる直前に事件が発生。パラマント社ではヴィヴィアン・リー主演で
「巨象の道」を撮っていましたが、セイロン島のロケを終えた時、ヴィヴィアン・
リーがノイローゼが高じて倒れて、撮影を中断せざるを得ない状況になりました。
3分の2の撮影が完了しているのに主演女優が倒れてしまったのです。
子ども時代からヴィヴィアン・リーを尊敬していたリズは、急きょ代役にたつ
ことを承諾しました。この映画を見た観客はロングショットにヴィヴィアン・リー、
その他はリズと2大スター共演という楽しみを味わうことになりました。
 
 
 
ヴィヴィアン・リーは精神的な病気でしたが、リズも病気または怪我に
しばしば見舞われました。もともと身体が弱かったのがこれ以降、次々と
病気や怪我をし、そのため撮影延期、中止は絶えず起こり、そのたびに
ニュースが世界をかけめぐりました。後年の「クレオパトラ」撮影中は
エリザベス女王の侍医団までもかけつけるという状況にもなりました。
 
 
 
 
「巨象の道」の完成後次々とメロドラマ大作に主演し、出演料はうなぎのぼりに
あがっていきました。このころのリズは、完璧までのマスクと、数々の華麗な
ドレスに身をつつんだ豊麗な肉体だけが売り物の女優になっていました。
そのころの代表的悪口は「13歳になったまま、精神状態のとまった女。美しい
服を着て画面の真ん中を通るだけのわがままな女」と言われていました。しかし
リズはそれだけの女優ではありませんでした。
 
 
 
 映画「巨象の道」より
 
リズには女優として、本能的な貪欲さがあり、計算というよりは
がむしゃらな激しさで、自らを変身させてしまう底力のようなものが
ありました。第2子出産後出演した「ジャイアンツ」(1955年)では、
3時間を超える大河ドラマの主役として、初々しい娘から孫のいる老け役
まで熱演しました。そこには演技の上手、下手を超えたスクリーンにかける
リズのけなげなさを感じたファンも多かったようでした。
 
 
 
 
「ジャイアンツ」撮影中、共演した当時人気急上層中だったジェームス・ディーンの
事故死があり、親しかったリズのショックは大きく一時錯乱状態になり、撮影が
中断され2週間後に再開されました。
 
 
 
「ジャイアンツ」より
 
「ジャイアンツ」の後、「陽の当たる場所」で共演したモンゴメリ・クリフトと
南北戦争時代を背景にしたドラマ「愛情の花咲く樹」(1957年)に共演
しましたが、撮影が始まってまもなくモンゴメリ・クリフトの運転する車が、
電柱に激突し再起不能といわれる事故をおこしました。兄妹のように仲の
良かったリズはまたもや大きな衝撃を受けました。しかし命に別状なく8週間の
入院で、彼は撮影に復帰しましたが、顔面に受けた傷は、当時最高の治療を
うけても以前のハンサムな表情には微妙な影響が出ていました。
 
 
 
「愛情の花咲く樹」より
 
このころにはマイケル・ワイルディングとの結婚生活にも陰がさし、次の恋人
マイク・トッドの登場で離婚にいたります。離婚の成立と同時にマイク・トッド
との3度目の結婚をしますが、この結婚はマイクの飛行機事故で短期間に終わり
ました。
 
 
「暑いトタン屋根の猫」より
 
リズはこの後も次々と意欲的に映画に出演し「バターフイールド8」と
「ヴァージニア・ウルフなんか怖くい」と2度にわたってアカデミー主演
女優賞を得ます。恋多き女リズは結婚もこの後5回(リチャード・バートン
とは2回)して、通算8回にはただただ驚くばかりです。

Part2では作品を
含めた後半生を紹介したいと思います。

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