ホスピスで出会った医師
             
                 川島義幸


親父は肝臓ガンでした。

慢性肝炎→肝硬変→肝臓ガンという流れ。

ウィルス性の肝炎で、どうも注射の打ちまわしから感染したような。
あ、妙な注射ではありません。
数十年前は注射の打ちまわしはフツーに行われていました。
私が小学校のころだって、予防注射を同じ注射針で先生が次から次へうってました。
今考えると冷や汗もんです。
って言うか、まだ無事かどうかわからないんですけどね。
(自覚症状がないだけかも・・・)

何せウィルス性肝炎は自覚症状に乏しく、検査をきめ細かくするしかありません。

で、親父は検査で上手く見つけることができませんでした。

10年以上の時間をかけて、
肝炎から肝硬変に陥りやがて肝臓ガンへ・・・。

その間できることは何でもやりました。

手術もしましたが、病院の先生と意見が合わず退院したりして、
西洋医学を信頼しなくなり東洋医学にのめりこんで、
食事療法のため名古屋まで出かけたり。

しかし手術で肝臓の病変部を切り取らない限り無理で、
しかもそれには限度がある。

名古屋から帰ってきたときの親父には、
明らかに死相が現れていて慄然としたのを覚えています。



これはもう長くはない、何とかしなければということで、
親父は知人の伝でそのころ福岡市にできたばかりの、
ホスピスに入ることができたんですね。

皆さん、ホスピスに入る人は余命がどれくらいかご存知ですか?
ホスピスは長期療養の施設ではありません。
患者に安らかに余命を過ごさせる施設で、
その時の入院基準は余命2週間ということでした。

もちろん奇跡的にそこで1年過ごす人もいるそうですが、
大半は2週間以内に亡くなってしまうということです。

でもその2週間の時間の質をいかに高められるか?
このホスピスを仕切っている先生が本当にこれを実践されていました。

親父は頑固な性格で、それが災いして以前の担当医と衝突し、
返って命を縮めてしまったと思います。
しかし最期に、この先生と出会えたことは父にとって最高に幸せなことでした。

わがままな親父の言うことにいちいちうなずいて受け入れてくれ、
外泊で最期の家族旅行も許してくれ、親父に希望を与えてくれたのです。

豊富な医療知識を駆使して、親父の誤解をやわらかく解きほぐし、
全く無理をすることなく、みるみる親父の信頼を得ていきました。
本当にホスピスに入ってからの親父は温和になっていった!

先生は家族に対しても、絶対に無理は押し付けず、
柔和ににこやかに対応してくれ、
肉親の死に向かい合っている私達の支えとなってくれました。

特にお袋にとっては、これがどれほどの励ましになったことか!



結局親父は2週間以上生き延びることはできませんでした。

が、その最期にこういう素晴らしい先生に出会え、
医療に失った信頼を取り戻して旅立てたことは幸せでした。

これがあのまま不審に満ちた表情で逝ったりしたら、
回りはどれくらいつらかったでしょう。

ちなみにこの先生はいまも施設は違いますが、
ホスピスの運営に関わりながら、後進の指導に当たっています。

トトロのネクタイやガンダムのシャープペンなど、
ファンシーな小物が印象的でしたが、
内情は激務に継ぐ激務だったでしょう(今現在も)

しかしそういう裏側は一切私達には見せませんでした。

ホスピスでは患者と家族の精神の平衡が最優先されることを、
深く認識し自分で実践していたんです。
これは、先生の書いた論文にも書かれています。



人を信じられないままこの世を去ることほど不幸なことはありません。
人生の最後の最後に人を不信から解き放つ。

こんな仕事ができるのはお医者さんだけですよね。