9/3 2008掲載

私の沖縄の旅     Part3   川島道子


世界のどの国にも神話や伝説がありますが、琉球列島にも開闢神話として、天帝の命を
受けた阿摩美久(アマミク)という神が下界に下って島々をつくり、一組の男女を住まわ
せました。そのシネリキヨ(男)アマミキヨ(女)から琉球の歴史が始まったと言われて
います。太古以来、沖縄にはさまざまな文化の波が打ち寄せてきましたが、まわりを海に
かこまれた琉球列島にすみついた人々には、毎年海のはるかかなたから神が渡来し、豊穣や
幸福をもたらすという「ニライカナイ」信仰がありました。

久高島の海

沖縄の人々は年の初めには海のかなたのニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、
年末に又帰り、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考え
られていました。古来琉球では、死後7代にして死者の魂は親族の守護神になるという
考えが信仰されており、あの世であるニライカナイは祖先の霊が守護神へと生まれ変わる
場所、祖霊神が生まれる場所として考えられていました。


クボー御嶽(久高島 男子禁制)

島の暮らしをとおして、人々は自分の血族につながる祖先の墓や位牌を大事にすることが、
現在の繁栄につながるという意識がありました。祖先の霊を一族の守護神として敬う
「祖霊信仰」を中心に、琉球の創造神であるアマミクやニライカナイの最高神などが島を
訪れる「来訪神信仰」や、兄(男性)の守護者としての妹(男性の血族としての女性)を
神格化した「おなり神信仰」が混成して形成され、やがて琉球王国時代に太陽神(てぃだ)
を最高神とする「東方信仰」を根幹において琉球の信仰体系が整理統合されていきました。


御嶽でお参りするノロ


琉球では女性の霊力が強いと考えられており、神に仕えるノロ(女司祭)やシャーマン
巫女)であるユタも女性でした。兄=男が世界を支配し、妹=は男を守護し、神に仕える
神女として位置づけられて、俗世を支配する男性を、神に仕える女性が男と社会を霊的に
守護するという考え方がありました。それが政治を男が行い、その男を守護する女が神事を
司り、神託を得て霊的に指導するという祭政一致の体制として琉球王国の支配の要となりま
した。くらしの中では、漁に出る男を守る存在としての妹の霊力(オナリ神)をお守りとして
持って行き、市井では一般人を相手に霊的アドバイスをするノロやユタが活躍するなど、
その信仰は地域のなかに息づいていました。

斎場御嶽(セイファウタキ)(本土 南城市)

人々の信仰のよりどころになったのは、御嶽(ウタキ)とよばれる聖域でした。町や村々に
は来訪神の訪れる場所があり、祖霊を祭る場所として、地域を守護する聖域として現在も
各地に多く残っており、信仰の中心になっています。一方琉球王国時代、中央集権化と祭政
一致により、各地に存在していたノロやユタなどの神女をまとめる神女組織が確立され、
階層化が進みました。その頂点に国王の「おなり神」である姉妹が聞得大君(キコエオオキミ)
として就任し、王国の最高の聖域としての斎場御嶽(セイファウタキ)で国家の安全を祈願
しました。

斎場御嶽


琉球列島の開闢神アマミクが降臨して国造りをはじめ、五穀が初めてもたらさられたと言う
久高島(クダカジマ)は、古来神の島として特別な存在でした。琉球の島々では豊穣や島人
の息災を祈るものから、個々の魂を鎮めるものまで、祭祀の主体は女性で、島人の守護神は
女性=母神となっていました。琉球王朝以前のはるか時代をさかのぼる古代人の心情から
発した琉球列島の祭祀が、現代まで続いているのは、大洋に散らばる小島群という地理的
条件によるものではと考えられています。久高島は豊富な祭祀の形態、内容が今日まで
継承されている奇跡の島です。

聞得大君のかんざし

 
古代から久高島でも魂は不滅であると信じられ、人は死ぬと東の果て、太陽の出ずる
ニライカナイに行き、そこで神となって再び島に帰ってくると考えられていました。
先祖の神々の魂は島の御嶽(ウタキ)にも鎮まっていて、いつも村人たちを守っていると
信じられてきました。琉球王朝は久高島を神の島としてあがめることによって国を治め
ようとし、そのため島は特別な地位与えられ、納税も免除されていました。久高島は
神の島であるべく、数多くの祭りを行い、祈りの生活を送ってきました。島ではこどもが
生まれると「男は海人、女は神人になる」と言われ、男たちは成人して漁師になり、
女たちは神女になりました。

「イザイホー」の儀式


島の女が神女となる儀式「イザイホー」は12年ごとの午年におこなわれますが、そのとき
30歳から41歳の女性が、本祭りだけでも4日間かかる祭祀をへて神女となり、家族の
守護を担い、やがてノロとなって祭祀に参加していきました。沖縄三大奇祭と言われ、
日本文化の原型が今に残るといわれる「イザイホー」は、島に生まれ島の男と結婚した
女のみに参加資格がありました。

「イザイホー」


祖先を大切にする琉球では、先祖の魂と出会う祭り、清明祭り(シーミー祭り、旧暦3月3日)
には国王みずから島に渡ってお参りしてきましたが、本土と久高島の間の海流が早く、波が
荒いため船が何度も難破しました。そのため本土側にある斎場御嶽(セイファウタキ)から
久高島を拝む国王拝礼が行われるようになり、そのときから斎場御嶽は王国最高の聖地と
なりました。

「イザイホー」


久高島では女性神職である神女(ノロ)を中心とした原始母系社会のころの、古い祭祀形態
が島人たちの暮らしの中に色濃く残り、聖地であるクボー御嶽には、今でも男性が入ること
は固く禁止されています。久高島の祭祀は儒教や仏教の影響をほとんど受けずに、女性主体
の祭祀の形を今日まで純粋に守りとおしてきました。しかし、600年以上続いた「イザイホー」
は1978年を最後に、後継者が無く途絶えてしまいました。

斎場御嶽より久高島を望む(国王遥拝場所)

琉球列島の島々では、年中行事としておこなわれる祭祀を通して、島々の歴史、島人の
宇宙観、死生観などが再現され、島独自の思想、文化が継承されていきました。
文書化されたものとしてではなく、祭祀そのものの中で島人の精神の拠り所が連綿と
確かめられてきました。豊かな自然に恵まれ、神の波動を感じ取り、神様と仲良く
話しながらくらしてきた琉球列島の人々の思いがその信仰に反映されて、その中から
沖縄独自の文化芸能が生まれてきました。

参考資料
  日本人の魂の原郷 沖縄久高島   比嘉康雄    集英社新書
  祭りと神々の世界           三隅冶雄    NHKブックス
  沖縄の歴史と文化           松本雅明    近藤出版社

自然に寄り添い、自然とともに生きてきた沖縄の人々の心の拠り所を
求めての私の旅は、その信仰へとたどりつきました。思いの深さは
あっても、資料が未消化でご理解しにくかったと思います。この
レポートを読んでいただいて有り難うございました。

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