10/13 2008

私の沖縄の旅    Part4   川島道子     

  
 王朝文化の華 漆工芸

沖縄は地理的に東南アジア、中国南方、日本との交易の中間点に属して、その生活
習慣や伝統は独特なものがあり、独立した王国でもあったため、庶民の文化から
宮廷の伝統までそろっていました。宗教、文学、音楽、芸能、工芸など多様な文化が
独自の伝統と広がりのなかで花開いていきましたが、その中で王朝文化の華といわれた
琉球の漆芸について紹介したいと思います。


さんさんと照りつける太陽、高温多湿な気候、強烈な紫外線、これらはすべてが
琉球漆器の生産に必要な条件で、琉球は漆器の生産にもっとも適した風土でした。

 
国宝  美御前御揃(ミオンマエオソロイ)

*沖縄の風土は漆の乾燥に理想的であり、特に朱色は強烈な紫外線によって鮮やかさ
 を増し、その鮮明さは他地域にみられないものです。沖縄の近海で採れる七色の変化
 を見せる夜光貝、木地に軽くて堅牢なデイゴやシマタキ(エゴの木)の木の使用などが
 琉球漆器の名を内外に高めました。


国宝  琉球国王   玉御冠(タマノオカンムリ)

*美しい色漆や明るい朱漆、七色に輝く螺鈿(ラデン*)漆器などの作品は、その製作に
 もっとも適した風土の琉球で、15世紀の半ばから廃藩置県まで、およそ500年に
 わたって生産しつづけられてきました。琉球王府内に「貝摺(カイズリ)奉行所」が
 設けられ、その監督下で生産された琉球漆器は中国をはじめとする東南アジアの
 交易品として、また幕府や島津藩への献上品として海を渡り、海外にその名を高め
 琉球王朝文化の華とうたわれました。


「沈金丸櫃(チンキンマルビツ)  沖縄県指定有形文化財  個人蔵
神女が勾玉などの装身具を入れた容器。1500年ごろ製作された琉球漆器の名品中の名品。」
 

*琉球の漆器は14世紀末ごろから作られはじめたと言われていますが、もともと中国や日本
 の技術を習得しつつ、琉球文化の中でさらに独自の技法を生み出し、独特な琉球塗りとして
 成長したものです。15、16世紀になると盛んに製作されて、16世紀にはすでに高度に
 発達した琉球独自の漆芸品をつくっていました。


「螺鈿長箱(ラデンナガバコ)  ボストン美術館(16世紀)貝摺奉行所製品 
琉球工芸史上重要な史料」


*そのころつくられた琉球漆器のなかには、驚くべきことに沈金(*)や螺鈿の技法が取り
 入れられていました。沖縄本島北部で採れるシマタキや南部や八重山で採れるデイゴを木地に
 したことで、気象条件により変形したり割れることのがなく、琉球漆器は世界に通用するもの
 になりました。


「螺鈿卓(ラデンジョク)   浦添市教育委員会(17世紀)
シンプルな中にもクールに計算された格調高い作品。豪華できらびやかな王朝文化の
華やかな一面をしのばせる逸品と言われている。」

*この時代の琉球漆器には、中国元代の鎗金(ソウキン*)にもひけをとらない細密な
 文様をほどこした沈金や、目もくらむほどの鮮やかな朱漆地に大胆に、そしてのびやか
 に模様を描いた螺鈿など、琉球独自の漆芸文化が花開いていきました。


「鮮やかな朱塗りと七色に輝く螺鈿との調和は亜熱帯の明るさがあると言われています。
おもな文様は、文様と地紋で器面をうめつくしたり、花鳥図が多く描かれています」


「花型天目台(テンモクダイ)   国指定重要文化財(16〜17世紀)竜光院蔵
装飾性の強いデザイン的な飾りが、華やかな王朝文化独特の香りを漂わせている
格調高い逸品と言われています」


朱漆沈金天目台(シュウルシチンキンテンモクダイ)   大英博物館(16世紀)

*琉球漆器の朱塗りの色の鮮明さは、他地域に見られない強烈なものです。鮮やかな
 朱色に金箔線が立体的に輝き、器物全体に牡丹や唐草、そして地紋が施されて豪華に
 輝いて他の追随をゆるしません。鮮明な朱色と金箔線は琉球沈金の絶対的な魅力に
 なっています。


「沈金御供飯(ウグファン*)一式  徳川美術館(16〜17世紀)」


*当時の琉球王国は、中国との朝貢貿易を中心に朝鮮、日本、東南アジア諸国との
 国家的貿易と文化交流を通して、経済的、文化的な発達をとげ、独自の王朝文化
 を形成していました。


「大椀1蓋付小椀10を内蔵し、大きな蓋がついた高盆。1609年 島津氏が
首里城宝庫より奪って徳川家康に献上したもの。現存する琉球漆工芸品の中の随一
の優作と言われています。」

*16〜17世紀は琉球漆器の緻密さや大胆さが表現された技法である沈金や螺鈿
 が出現して琉球漆器の黄金期ともいわれています。このころの漆器技術は、すでに
 中国をも凌駕していたものと言われています。


「螺鈿伽羅箱 (ラデンキャラバコ)   個人蔵(17世紀
貝摺奉行所製品。最高級の香木を入れる伽羅箱で、琉球螺鈿漆器の代表作。
伽羅とは東南アジアに産する最高級の香木」

*17〜18世紀にかけてこのころの琉球漆器は、螺鈿の技法が発達し、地塗りは日本漆器
 の影響を受けて黒漆が多くなってきます。文様は中国風の山水図や瑞雲や双竜文などの
 おめでたい文様が多くつくられています。


「螺鈿机  浦添市教育委員会(17世紀)
朱塗りの上に螺鈿、箔絵、蜜陀絵と三種類の加飾技法を駆使して全体に文様を
ほどこした絢爛豪華、重量感あふれる作品」


「牡丹と菊は富貴と長寿の象徴、竹は真直自制、そこに 遊ぶ鳥たちは
人間に見立てて蓬莱の国を表現」


「螺鈿大盤   サントリー美術館(18世紀)」

*貝摺奉行所製品の螺鈿製品は、日本への献上品や中国への進貢品として
 量産されました。


15
「中国では竜が権力を象徴し、特に五爪(ゴソウ)の竜は皇帝の位を示している。」


「螺鈿中央卓(ラデンチュウオウジョク)尚古集成館(18世紀)
中央卓は儀式を行う際に使用。重要な場所で使用されるだけあって
格式高く琉球漆器の代表作」


「桃型食籠(ジキロウ*)   浦添市教育委員会(18世紀)
古代中国では桃は不老長寿の象徴であり、聖実として珍重されました。
中国の思想が琉球漆器にも大きく影響していることのわかる作品。
傑作といわれています」


「螺鈿伽羅箱    浦添市教育委員会(18世紀)
蓋身ともに籃胎で朱塗りがほどこされ、籃胎(ランタイ)塗りは琉球漆器には非常に
珍しく、琉球漆器の逸品中の逸品といわれています」


「螺鈿箱      浦添市教育委員会(18世紀)
王朝時代の精緻な技法で念入りに製作された作品で、わずか15cmの小品ながら
大作さながらの迫力を見せた傑作中の傑作といわれています。葵紋からして
徳川幕府への献上品であったのではと推測されています。製作の背景に重要な意味を
感じさせる作品」


「朱漆花形盒子(ゴウス)  浦添市教育委員会(18世紀)」


  
「首里城内正殿の螺鈿玉座、朱漆塗りに琉球近海で取れた夜光貝を
ふんだんに使った椅子」


「首里城正殿内御差床(ウスサカ・・御座所のこと)。須弥壇といわれる仏壇形式の台座には
葡萄や栗鼠文様の彫刻、高欄(*)には唐草文様の沈金、また正面の2本の柱には
琉球工芸の技術の粋を集めた金龍五色之雲が彩られています。」


「世界遺産首里城正殿」


*戦前国宝に指定されていた首里城は沖縄戦によって他の多くの国宝とともに
 戦火で消失してしまいました。そのことは沖縄の人々にいいようのない喪失感を
 もたらし、首里城の再建は県民の悲願でした。「首里城の復元なくしては、沖縄の
 戦後は終わらない」と語られ、粘り強い復元運動が始まりました。それは多くの人
 の尽力と長い年月を要し、昭和から始まった工事は平成にまたがって今も続いて
 います。首里城正殿内の御座所をはじめいたる所に朱漆塗りや螺鈿の漆芸などの、
 琉球漆芸の成果が輝いているのを見ることが出来ます。


*現在では年間200万人が訪れる観光名所になっていますが、首里城は沖縄の歴史と
 文化を象徴する沖縄の人々の誇りの場所になっています。


*沖縄には琉球王朝文化のシンボルとも言うべき「琉球舞踊」や「音楽」、琉球の万葉集とも
 言われている「おもろそうし」に、アジアの壮大な交流を物語る「染め織物・・特に絣」や
 世界遺産に登録されている数々の建造物など日本本土とは異なる文化があります。


*澤地久枝さんが「沖縄は自然的条件による孤島苦と政治的処分の過酷な歴史にさらされた
 亜熱帯の島々は、その辛酸のなかで高い文化を生み出してきた」と言われています。
 悲劇的な歴史を生きた沖縄の人々は、その苦しみを歌や踊りに託しながら乗り越えてきました。
 豊かな自然と楽天的ともみえる人々の人間性に私たちはひきよせられるのではないでしょうか。
 私の沖縄の旅はこれで終わります。長い間私のつたないレポートをお読みくださいまして
 有り難うございました。

  *螺鈿 貝殻の内側の真珠質の部分を薄く研磨したものを、さまざまな模様の
      形に切り、漆地や木地の彫刻した部分にはめこむ手法

   *沈金 漆を縫った器物の表面に文様を彫り、金箔や金粉を塗りこむ方法
  
   *鎗金 沈金の手法を中国では鎗金と呼ぶ

   *高欄 宮殿や社寺、廊下、橋などの端のそりかえった欄干

   *御供飯 高貴な家で用いられた祭祀器具。黒漆塗りは神事、朱塗りは仏事に使用

   *食籠  蓋のある菓子器

   *盒子  香合などの小さな蓋もの類

 参考資料

   沖縄美術全集  漆芸        沖縄タイムス社

   琉球布紀行   澤地久枝      新潮社

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