3/26 2003掲載

”TENTSUMA”からのご挨拶
 
今年の一月、日経新聞の「デジタルスパイス」と題された山根一眞氏のコラムで、Tentsuma
なるサイトがあることを初めて知った。
このサイトは、ある駐在員の妻が立ち上げた「転勤妻」のためのホームページで、彼女は
世界中から寄せられる悩み相談の対応に追われ精神的に疲労し、やがてこのホームページ
は休止となってしまったのだが、転勤妻(もちろん日本国内の転勤も)たちを支える場は絶対
に必要という思いから再開を決意。企業からの運営費援助も受け、有給スタッフに管理運営
をサポートしてもらい、昨年のクリスマスにこのホームページは生まれ変わって再開された。
 
このサイトを知った私は、早速過去の投稿を覗いてみた。そしてそのとき、もしこの三王シス
テムのホームページと出会っていなければ、私もそこにいたかもしれないと思った。
 
2000年6月6日、ボストン到着。この頃のボストン近郊は住宅難、夫がやっと見つけてくれた
アパートに入居できるのは6月下旬ということで、しばらくはボストンのアパートに仮住まい。
することもなく、知る人もなく・・・・・
 
ボストンの郊外レキシントンのアパートに移ってからは、夫の会社関係の方が近くにお住まい
だったので、その方の奥様がお買い物スポット等を教えて下さりとても助かった。しかし、その
ご家族は7月末にシカゴへ転勤、私も父の初盆で日本へ。再びレキシントンへ戻ったのが8月
下旬。シカゴへ行ってしまわれた奥様はとてもお優しく親切な方で、ご近所に住むお友だち二人
の電話番号を私に託し 「とてもいい方々ですから、一度お電話なさってみてください。」と仰って
くださるもなかなか知らない方のところに電話する勇気もなく、日は過ぎていった。
 
9月中旬にパソコンを始めた。穐吉さんが私の初めてのメル友!穐吉さんに教えて頂いた浄水
茶寮のホームページを毎日覗くも内容に変化なし。そうこうしているうちに横から覗き込んでいた
夫が 「マウスを持っていってお手手マークのつくところは開けるんだよ」 と教えてくれる。
ヒェ――!!!感動! 星が瞬き、修猷館の校歌が流れ、素晴らしき「よいよい会」のページ!
「これを作った人って天才じゃないかしら・・・・・!」がその時の私の正直な感想。このとき、修猷館
ヨットになんの縁もない私が「三王システム」のホームページを覗く日々が始まった。
 
最初は伝言板を読んでみても、なんのことか話題についていける筈も勿論なくて、会員便りを遡っ
て読む毎日。早速、小春ちゃんをみつけうっとりと眺める。初めて画像を印刷したのが小春ちゃん
のお散歩ショット。こうして「重箱の隅担当」への道を歩み始めたのである。
 
TENTSUMAのサイトの投稿には 「転勤後、三ヶ月経っても友だちがいない」 「誰とも話すことの
ない日々です・・・」といった内容の投稿も多く、それは私も同じだったが当ホームページのお蔭で
日本、それも故郷の福岡と繋がっていられて寂しくはなかった。
 
ある日の会員便りの写真から妹尾編集長夫人、さよさんとのご縁もわかり、年が明けての帰福時
には穐吉さんが編集部へ連れて行ってくださり編集長との対面も叶い、今日に至るまでパソコンの
ことでもお世話になりっぱなし、本当に私を支えてくださった方々、そしてホームページ。
この少し前には森脇さんとの交流も始まっていて、その後は興平師匠、師匠を通してmitikoさんや
はちまるさん、もうその後は枚挙にいとまがない多くの方々との出会いがあり幸せだった。
日本を離れているのに日本に住んでる方々と日々交流できる。今はそういう時代なのですね。
ちょっぴり不思議な気持ちもしている。
パソコンのメリットを享受すると共に、実際にお会いせずに文章だけで気持ちを伝えることの難しさ
をも痛感したこの2年あまりの月日。
 
妹尾編集長が「Yokoのページ」を作ってくださったときの感動も忘れない。このページのお蔭で身近
なことを私の視点で書いてみようかな、という気持ちになり、ほんとに拙い内容ながらも書かせてい
ただきき私のアメリカ生活の記録にもなったこと、編集長のお蔭です。ありがとうございました。
それに穐吉さぁ〜ん!私のメル友になって下さり、そしてこのアドレスを教えてくださってありがとう
ございました。あの日、パソコンの話にならなければ・・・・・カメラの操作を誤ってよかった!
 
アメリカで楽しく過ごすことができたのは、こちらでよい友人たちに恵まれたことのみならずこのホー
ムページの存在があったからこそと、皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。
言い足りないことがたくさんありそうなほど有り難い思いにあふれていますが、もう書いている時間が
なくなってきました。今、夫のオフィスでこれを書いています。彼の仕事もそろそろ終わりそう。
 
ボストン最後の夜は、イタリアン街での友人達との夕食です。一家族は私たちの二日後に本帰国。
もう一家族も夏には本帰国。また日本での再会、交流が楽しみ。またすぐ会えるのにきょうはとって
も寂しい気持ちがしています。ボストン、レキシントン・・・美しくていい町でした。
 
毎年のように転勤という方もいらっしゃるでしょうし、私などは転勤妻としてはまだまだひよっこ。
幼稚園の年中さんぐらいでしょうか? 転妻は契約の関係上自分のマンションには戻れず、しばらく
は社宅住まいです。知らない町での生活、不安はなくて今はワクワク!サスドラのヒロインのように
自治会長にだけはならぬよう・・・・・
 
福岡での生活が始まるhikarikoさん、お元気でご活躍を!さすサラさん、岡山でままかりを堪能して
下さい。くれぐれもママさんを借りてこないように。岡山からのレポを楽しみにしています!
 
もういよいよ時間がなくなってきました。
私如きが場をお借りして申し上げるのも、とも思いましたが、感謝の気持ちをどうしても伝えたくて
投稿しました。本当にこのホームページに関わっていらっしゃる大勢の方々、有難うございました!
今後ともよろしくお願いいたします。
 
                                       2003年3月25日  Yoko
 
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