<穐吉>
はい。
母の実家は伊万里の製陶所で、博多で水炊きなど鳥料理の店をやっていた父に嫁ぎました。
わたしは子どものころ母の里によく行ってたんで、窯に火が入るのを見たりして、
焼き物ができる世界を肌で感じていたように思います。そういうこともあって、
器を鑑賞するのは若いころから好きでした。
−料理の世界に身をおくゆえの器への思い、というのがあるでしょう。
<穐吉>
あります。まず、料理とそれを盛る器は一体だということ。
器は料理そのものです。
日本料理にあうものを大切に使います。
磁器に限らず、陶器などいろんなものを織りまぜて出すんですよ。
茶道具屋さんから古いものを買ってきたりして。有田、唐津、萩、志野、織部…。
食器顆はむしろ昔のものの方が安く、味わいもいい。感じてくださるお客さまだと、
「これは?」と質問される。
十七世紀、中国が清朝の時代になり、中国磁器の輸出が止まったことがあります。
このとき、有田はオランダ東インド会社の注文で輸出用の食器などを作りましたが、
そういった当時のものも骨董品店で求め、料理を盛って出します。
−そこで大切にしているものは。
<穐吉>
自分に妥協しない。甘えない。
わたしはこの道に入るとき、東京・銀座の日本料理店「吉兆」に住み込み、修業させてもらいました。
調理場はぴ−んと張り詰め、気合の入った料理を作ろうという雰囲気が満ちあふれていました。
ご主人の湯木貞一さん(創業者、故人)が言われていたのは「とにかく後世に残る料理を作るように、
一生懸命努力しなさい」ということ。
「うまい」という感じ方ではなく、それを超えたものを追求する。
そういう世界でした。
その後、仕事を通して陶芸家の方々とも交遊が生まれましたが、
自分を厳しく律し、妥協しない道は同じ。
いいものを作られた人の話を聞くと、壮絶です。
−有田を含めて焼き物産地の状況は厳しい。
食と器をめぐる環境の変化をどう見ますかをどう見ますか。
<穐吉>
食事をいただく決まったスタイルというのがありますよね。
例えば、はしの使い方。使い方を見れば家庭のしつけがわかる。
それがいま、はしを使えない人も多くなっています。
スプーンにフォークの食生活のせいでしょうが、はしは日本の文化。
日本料理に欠かせないものなのに…。
こうしたことが、ひいては食器への関心をなくさせていく。
日本の伝統文化を感じながら器に料理を盛る。
おいしいものを作り、、おいしいものを食べて、感性を磨く。
伝えていかなければいけません。
(福岡市中央区)