<ヨーロッパ歴史ロマン:エルベ河畔のバロック ドレスデン>12/11 2000

舩津邦比古です.すでに次世代型伝言板に同名の投稿を何回か重ねておりますが,さらに理解を深めていただくために写真を付けることにしました.
 
以下は<エルベ河畔のバロック ドレスデン>に対応する写真です.
d1.jpg 絵画に見る破壊される前のドレスデン
d2.jpg 破壊される前の聖母教会
d3.jpg ドレスデン中心部
d4.jpg ドレスデン修復中の王宮

さらに絵画ギャラリーから
d5.jpg クリムト作 「ブナの林」
d6.jpg ルーベンス作 「酔ったヘラクレス」

 
以下は<ドレスデンに行くことにする>に対応する写真です.
d7.jpg ドレスデンの最高級ホテル「ベルビュー」
<ヨーロッパ歴史ロマン  新装なったヴィーン>12/9 2000
 
森脇「(ヴィーンの)環状通りはエリザベートの時代に建設されたのですか。以外と新しいのですね。ということはベートーベンやシューベルトの時代にはまだ城壁が残っていたということなのですね。」(00/11/24))
金子「ウイーンのハプスブルグの宮廷を見物する事が出来ました。」(00/12/06)
等,御発言がありましたので,また参考資料を提供します.
 
 
オスマン・トルコの驚異が過去のものになった19世紀中葉,皇帝に即位して間もないフランツ・ヨーゼフ1世はヴィーン城壁を取り壊し,その後を広大な環状通り(リンク)とし,その両側に新宮殿(Hofburg),オペラ座,劇場,市庁舎,帝国議会,美術館,教会などを次々に建設して,壮麗にしてモダンなメトロポリス,ヴィーンを造りました.
 
地図を見ると,この都市改造計画の対象となった地域は旧市街を囲む,幅約400メートルの帯状の地域です.古地図では城壁は非常に厚く頑丈で,城壁の外側には100メートルを越す幅の戦術用空き地が確保されています.これはもの凄いものです.トルコの攻撃に籠城して耐え,超大国オーストリアの首都を守るための,他の都市には類を見ない堅固な防壁です.フランクフルトやミュンヘンにも中世の城壁の後は残っています.フランクフルトの城壁址は幅数十メートルの緑地帯です.ミュンヘンのそれはやはり環状道路になっていますが幅50メートル程度です.ヴィーンのリンクはやはり超大国首都の威厳を感じさせるものがあります.
図の遠景にドナウ川が見えます.ドナウ本流から運河を引いて旧市街北面の防衛用壕兼河川交通のヴィーン港として利用していたのが分かります.
 
  ついでにシェーンブルン宮殿内の一光景.オーストリア帝国軍は戦はあまり強くないが,華麗さが女性のあこがれの的でした.挿絵は宮殿内で行われた,皇帝主催の将軍達の晩餐会です.食後は隣室で晩餐会をやっていた貴婦人達と,ウインナ・ワルツです.
 

ヴィーンの観光案内は私が何かつまらぬことを書くよりも,下記URLをご覧になられた方がよろしいかと存じます.
http://www.patrick-schnabel.de/projekte/wien/ 観光案内スタートページ
また映画「第3の男」で有名になった遊園地プラターの案内は
http://www.wiener-prater.at/ です.
 
<ちょっと横道>

鉄道や航空機のない時代,河川はヨーロッパ内陸の重要な交通路でした.ドナウ川一本でドイツ,オーストリア,ハンガリー,バルカン諸国,ルーマニアを結んでいます.ライン川を使えばオランダか山国スイスまで水運可能です.運河や水門が建設されて水路のネットワークは徐々に広がって行きました.1840年か1860年頃ドイツではライン=マイン=ドナウ運河会社というのが設立されました.バンベルク(交響楽団はかなり有名),ニュルンベルク(美しい石の古都,画家アルブレヒト・デューラーの生地,ニュルンベルクの名歌手等)の近くに運河を掘って上記マイン川とドナウ川を結び,北海から黒海までを内陸水路で結ぼうというものです.この計画は100年以上経た1990年頃完成しました.また内陸水路を使って地中海からフランス,スイス,ドイツを通ってバルト海に抜けられるそうです.信じられない? ヨーロッパの貨物輸送に占める内陸水運の割合は今手元に資料がないのですが,安価,燃料消費による公害発生が少ない等の理由で,最近少しずつ利用が増えつつあるそうです.それはそうでしょう,下りの時は流されていけばいいのだから.


<<ヨーロッパ歴史ロマン  日本文化にあこがれたザクセン選帝候>>11/7 2000
 
今日は少し時間がある.明日は飲み会なのでもうちょっと書きます.
 
ザクセン選帝候国(のち王国)の首都ドレスデンは,ベルリンとプラハの中間にあります.ここは文化の薫り高い都.しかし第二次世界大戦で壊滅的打撃を受け,現在再建途中にあります.幸い美術品は疎開して破壊を免れました.双子宮殿,日本宮殿にはおびただしい量の古伊万里コレクションがあります.アウグスト強王は日本から椿の苗木を取り寄せ,郊外の離宮の庭園に植えました.あんな寒い国で日本にもないほど立派な大木となり,今でも立派な花を咲かせています.
 
破壊された聖母教会の前に立つルター像
 
この教会は現在再建中です.写真右下方にマルチン・ルター像が見えます.この写真は中学校か高校の歴史か社会科の教科書に載っていたので,ご記憶されている方もおられるでしょう.教科書の解説には「東ドイツ政府は戦争の愚かさを忘れないために,この教会を瓦礫のまま記念に残すことにした云々,,」とかいてありましたが,なあに,お金がなかったわけですよ.
 
東ドイツ時代のドレスデン市民会館
(編集長,順番を間違えないでね) 判ってますってば!
 
右側のガラス張りの建物は東ドイツ時代のドレスデン市民会館.安っぽい.
東ドイツ時代は市電は運賃5円くらいで,終夜運転だった.
 
マイセン一景
 
マイセンの小径.ドイツ統一後の現在でもこのように古びた建物が,至る所に残っている.
 
(続く)