10/2 2001掲載
<<ヨーロッパ歴史ロマン: ロマンティック街道/ローテンブルク>>
ロマンティック街道はヴュルツブルクを起点とし、南ドイツの中央を南北に貫く行程約200kmの観光ルートです。その90%以上はバイエルン州を通っています。正式名称を<タウバー河畔のローテンブルク>というこの町は、ロマンティック街道の南の終点にあるノイシュヴァンシュタイン城とならんで、街道中最大のハイライトです。ノイシュヴァンシュタイン城が幻想的で孤高の美しさを讃えられるのに対し、ローテンブルクは中世のお伽の町に迷い込んだような錯覚を起こします。1970年代中頃ホンダ=シビックのテレビ・コマーシャルに登場し、一躍有名になりました。最初に作られた町は市庁舎前広場を中心として、半径約100mのほぼ円形の城壁に囲まれています。町は次第に発展し、人口も増えて三度にわたって外側に城壁が拡張されました。その城壁や門塔が見所の一つです。なお、お見せする写真は例えばミスター・カネコの「コッツウォルズの村」のようにネット上公開を想定して撮影したわけではありませんので、前景に全体の雰囲気を壊しかねない日本人の姿が映っていることが多々あります。この点ご容赦ください。そういうときは目を半開きにして見ていただけば多少ぼやけてよいかと存じます。
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ローテンブルクの位置です。先日紹介したヴュルツブルクと、田舎城主の城館のある町ヴァイケルスハイムも。
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ローテンブルクは深さ40mほどのタウバー渓谷の崖の上に位置しています。晴れた秋の日、タウバー渓谷にゆっくり下りて行くのは、とても美しい散歩です。谷の両側は広々とした台地で、農耕地とその間にローテンブルクのような集落が点在し、渓谷より遙かに広い生活圏が存在しています。これは日本人には見慣れない地形で多少奇妙な印象を受けます。平野が次第に隆起して行くにつれ、川は出来た台地を浸食して低い位置に留まるからです。ドイツではライン川峡谷など、あちこちに見られる地形です。
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渓谷から見上げたローテンブルクの塔と城壁
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ローテンブルクの塔と城壁
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城壁の内側には回廊。城壁の保存には金が掛かる。補修費を寄付した人の名前が回廊に沿って至る所に記録されている。
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ローテンブルク市庁舎(左、ゴシック様式)と別館(正面、ルネサンス様式)
別館の時計の左右の窓には仕掛け人形があって、17世紀の30年戦争時スウェーデン軍に市が包囲されたときの故事に倣って大きなジョッキでワインを飲む。昔はスウェーデンもめっぽう戦争に強かった。当時ワインはグルメファンが賑やかに楽しむものではなく、籠城時の非常用飲料だった。どの城市でも自動車が2,3台入るくらいの巨大なワイン樽があった。
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市庁舎の向かいにある由緒ありそうな「ホテル
鉄兜」
屋号通り鉄兜が入り口の上にぶら下がっている。外から見たら三軒の家だが中はつながっている。ヨーロッパの古い町にはこのような家が多い。所有者が次第に隣家を買い占めて行くうちに、このようになるのだろう。
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「ホテル
鉄兜」前の通り。左奥に市庁舎。歴史の中の時代、この通りに町の重鎮達が居を構えていた。
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ローテンブルクの石畳の通り
どの店も商標をぶら下げている。私の頭上は靴。
画面中央少し奥はミシンか?衣料品店らしい。
その少し奥、右手の黄色地にラッパのマークは郵便局。コンビニもこのような商標を掲げる。ローソンは勿論ミルク缶で。
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ひっそりとした路地もこのようにゴミ一つ落ちていず、窓辺にはベゴニアの花が飾ってある。それはここが観光地だからではなく、ドイツ人の強迫的な民族性向に因る。全く観光とは縁遠い田舎町の裏路地でもこのようにしている。それは日本人には信じ難いことです。
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聖マルクス(マルコ)門
町の拡張に伴い、外側に新しい城壁を作って古い城壁は取り壊し、門だけ残した。
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聖マルクス門をやや遠景から見る
町のあちこちに泉がある。飲料、洗濯、馬の飲料などに共同使用。
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教会の中にあった木彫の祭壇。16世紀の有名なマイスターの作。
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ヴァイケルスハイムという小さな町にある田舎領主の館
あるいはもっと大きな領主の狩猟の館かもしれない。狩猟関係の展示がなかなかすごかった。フランス風庭園は立派だったが、、、
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近寄ると少し荒れているところが、ちょっぴり「荒城の月」風ロマンチック。
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昼食をとったレストラン
上の商標は牛の姿に「牛乳とアイスクリーム」と書いてある。中央にある鳥居のようなのが何だったかはっきり思い出せない。たぶんワイン用のブドウ絞り機。ブドウだけでなく、リンゴも絞ってリンゴ酒を作る。
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この頃使っていた”本格的”あるいは”クラシカル”乳母車。
車台部分は折り畳んで車のトランク・ルームへ。籠部分は娘を寝かせたまま車の後部座席へ固定する。背もたれを立てたり足の部分をはずしたりして椅子式にもなるが、日本では大きすぎて持て余す。
ヨーロッパ歴史ロマン・シリーズは今後も月1回程度続けます.スライド撮影した北ドイツ編は技術上の問題があって困難ですが,ベルギー,オランダから北イタリア,スロヴェニアまで,ある時は歴史読み物で,またある時は豊富な写真で紹介します.乞う,ご期待!