11/7 2001掲載

<<ヨーロッパ歴史ロマン:南ドイツのバロック教会(付)エリザベートあれこれ>>



#1 ツヴィーファルテンのベネディクト派修道院教会

最初に紹介するのはバイエルンの西、シュヴァーベン地方にある修道院教会で
す。シュヴァーベン地方は隣のバイエルンが平坦なのに対し、土地がなだらかな
起伏に富んで景色のよい地方です。またシュヴァーベン人は勤勉で頭がよいと言
われています。高級車メルツェデス・ベンツや名車ポルシェを産んだのはシュヴァー
ベン人です。

ポルシェ本社のあるシュヴァーベンの中心都市シュトットガルトから南東方向に
あまり高くない山々を左右に見ながら晩秋の日射しと乾いた空気の中、大半落葉
して見通しのよくなったブナやカシの森を抜け、牧草を食む牛や羊を横目に見な
がらドライブすること一時間半、峠を越えたところで眼下に盆地が広がり、集落
の中にひときわ高く二本の教会の塔がそびえているのが見えてきました。

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ここが今日の目的地ツヴィーファルテンという小さな村にあるベネディクト派修
道院です。村は日曜日なので余計な人影もなく、教会のミサも終わってひっそり
していました。例によってマルクト広場に行って一番郷土色のありそうなレスト
ランに入り、昼食です。ここあたりはいかにもファミリアルな写真しか残ってま
せんので省略して建物の説明を簡単にします。2本の塔の頭には丸っこい冠が付
き、全体としてもそれ以前のロマネスク期の塔は要塞の塔のようにがっしりと堅
固であったり、ゴシック期の塔は先鋭さを強調して高さを誇ろうとするのに対
し、優雅な印象を与えるものになっています。

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この写真は正面ファサードですが、壁面は平面ではなく緩い局面を描いていま
す。また下の部分は左右各々2本ずつの柱や中間の屋根で豪華さを与える装飾と
なって上の部分より前方に張り出しており、全体として奥行きが生じています。
左にある修道院の建物−外来者と接触のある教会管理部門か?たぶん木造でファ
サードは平面的でさっぱりして、切妻の曲線がルネサンス的−と較べるとよく解
ります。

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教会内はこうなっています。柱にはイタリア産の紫がかった大理石を用いていま
す。ゴシックでは柱は直線的に長いですが、バロックでは柱は比較的短く、天井
の穹窿に自然に続くように、またここに見られるように、梁などで出来る面の区
切りを越えるようにして装飾が施されています。

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修道院の庭に止めた、この頃乗っていた中古のフォルクスワーゲン・パサート。
ある日シュトットガルト市内でガキン!と大きな音がして急にガタガタ揺れだ
し、幸いすぐ近くにVWサービス工場があったので、慌てて駆け込んだ。どこか
の歯車が折れたとかで、20万円近くを保険は効かず、自腹切って払った。


#2 パッサウの大聖堂 聖シュテファン教会 エリザベートも仰ぎ見た

ドイツの中でも南ドイツはバロック建築の多い地方です。それはバロック発祥の
地イタリアに近いことが第一の理由ですが、さらに南ドイツはカトリックが多い
のに対して北ドイツでは装飾は簡素で控えめなプロテスタントが多いこと、北ド
イツは石材に恵まれず建築は煉瓦を用いたものが多く、また北ドイツのバロック
はやはり煉瓦建築が主流のプロテスタントの国オランダから入って来たものであ
ることなども関係しています。

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南西ドイツ、シュヴァルツヴァルト山中の水源を発したドナウ川は南ドイツを東
北東に流れ、パッサウを過ぎるとオーストリア領内に入ります。オーストリア皇
后となったエリザベートがドナウ川を船で下って輿入れしたことはよく知られて
いますが、今日でもパッサウからヴィーンまでの船旅行があって結構評判がよい
ようです。3-12 Y.O.嬢さんが乗って途中メルク修道院に立ち寄ったのもこの船
でしょう。エリザベートがミュンヘン市北端の凱旋門で歓喜の声に送られて出立
するところを描いたリトグラフがあります。私はてっきり東下りは全行程水路に
依ったものと思っていました。ミュンヘンからイザール川を下って国境の町パッ
サウまではバイエルンの船で、そこでオーストリアの船に乗り換え、フランツ=
ヨーゼフが迎えに来たリンツでもう一度彼の船に乗り換えてヴィーンに着くのが
馬車に揺られるよりもはるかに楽な行程に思えます。でも記録によると彼女は
レーゲンスブルクから船に乗ったとあります。

そこでまず、レーゲンスブルクの写真です。
#2.1 帝国自由都市レーゲンスブルク エリザベート輿入れ船旅の始まり

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レーゲンスブルクは神聖ローマ帝国時代は帝国自由都市として栄えました。近代
に入ってはレーゲンスブルクの領主トルン・ウント・タクシス家は全ドイツの郵
便制度の権益を手中に収め、莫大な富を得ました。エリザベートの姉で元々フラ
ンツーヨーゼフの見合い相手だったヘレーネはトルン・ウント・タクシス家と結
婚をしていますので、エリザベートの結婚によってトルン・ウント・タクシス家
とハプスブルク・ウント・ロートリンゲン家は姻戚関係になりました。今日レー
ゲンスブルクは第2次世界大戦の戦災にも遭わず、ひっそりとした古都です。

レーゲンスブルクを紹介する写真を一枚挙げると、この位置からのものになりま
す。旧市街はドナウ川の南岸に位置し、北側から入城するときはこの橋を渡りま
す。橋の向こうに市の城門が見えます。中央に見える教会はゴシック式の大聖
堂、聖ペーター教会です。城内は多少ひなびた趣もある古い街並みで、城内の市
庁舎には神聖ローマ帝国当時の帝国議会の間が現存しており、観光コースになっ
ています。城門左手、河岸の低い部分は昔の船着き場で、眼前の大きな建物は当
時の倉庫です。エリザベートもここから輿入れの船に乗ったのでしょう。こうい
うところは水位が上がると度々水没しますが、今はレストランの一部として使わ
れ、テーブルとベンチが見えます。そこからこの橋を見ると、、、

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この橋は500年以上前からあって、その名も「石造(セキゾウ)橋」といいます。

話をパッサウに戻します。パッサウはドナウ川とオーストリアはチロル州の州都
インスブルックから流れてきたイン川が合流するところです。ドイツ、オースト
リア国境の町でもあります。

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ご覧のように小さい町です。向こう側に見えるのがイン川、手前左側に僅かに見
えているのがドナウ川です。旧市街は二本の川に囲まれた三角州にあります。私
たちが訪れたのは4月、といっても九州の4月とは違います、白木蓮のつぼみが
やっと膨らみだした頃でした。中央やや右、三本のネギ坊主様の塔を持つ教会が
大聖堂、聖シュテファン教会です。
この教会の前面ファサードを見てみましょう。

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ゴシックのようにゴツゴツしておらず、ルネサンスのようにのびのびと自由な感
じでもなく、重厚な印象を与えます。左右の塔はそう大きくはないものの、本体
から少し離れて重々しい威厳を感じさせますね。今度は主祭壇のある側、本殿を
裏から見てみると、

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教会のこの部分は元はゴシック様式であったことが解ります。実はこの教会は
1662年の大火災でほとんど焼け落ちたため、イタリア人を招いて再建したのです
が、焼け残ったこの部分だけはバロック風に改築しながら再建しました。建物構
造体の太い柱の間に開いた、かつて美しいステンドグラスが人々を魅了していた
高さ10m程の開口部は改造され、上部の楕円形の窓と下部のほぼ長方形の窓に分
かれています。バロック時代になると教会内部の装飾が華麗になったためステン
ドグラスは撤去されて、窓は室内を明るく見せるため無色のガラスがはめ込まれ
ました。その例はヴィース教会のところで後述します。しかし上端はゴシック特
有の尖型アーチが残っています。側廊の装飾にも尖型アーチが残されています。
色がまだらに暗くべっ甲様なのもゴシック的ですが、これは何世紀にもわたる大
気中の埃と石材の化学変化によるもののようです。建物の左半分には足場が組ん
でありますから、これから石材の洗浄作業が始まるのでしょう。

渡辺章君、ここあたりは元建築屋のあなたの為に書いております。よく読んでく
ださい。

高圧の水を小さなノズルから噴き出させて、それで石材を洗浄するそうです。す
ると写真の塔のように石は見違えるように白くなります。
聞いた話ですが、ドイツの大学では石の研究が発達しているそうです。近年の大
気汚染に起因してケルンの大聖堂を始め、砂岩等の水成岩で出来たドイツの教会
は皆石材の劣化−これを石の死と言うそうです−が進行しているそうで、建物を
崩壊から守るためには欠かせない研究領域です。

しかしなんと言ってもこの教会で一番の見物は世界最大のパイプオルガンです。

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オルガンのことはド素人なので説明の仕様がありませんが、高さは悠に10m以上
あるでしょう。先日西南学院大学のランキンチャペルにあったのは高さ4mくらい
でした。資料によると音栓(Register)215個、パイプは16,000本以上とありま
す。なぜきちんと正確な数ではなく”以上”なのでしょうね?

Eguchi 君、貴兄ならお答え頂けるのではないでしょうか?

ここの前に人が立つと、手すりの上に見えるのは胸と頭だけです。
因みに日本の幼稚園にあるオルガンはハーモニウムといって、ハーモニカの親分
格に分類されています。
ここでパッサウ点景。

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パッサウ旧市街。渡り廊下に絵が描いてある。壁絵とか大気絵とか言って南ドイ
ツ、オーストリア、スイスによく見られます。

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日本と似て、土石流の危険を背後に感じる家もあれば、郊外には大団地もある。

#3 涙を流すキリスト像 ヴィース教会

ロマンティック街道の終端近く、ノイシュヴァンシュタイン城からほど遠くない
ところにあるのがヴィース巡礼教会です。ユネスコ世界遺産に指定されていま
す。1738年、この牧畜以外何もない田舎の小さな百姓家にあったキリスト像が、
突然涙を流しました。地区を管轄する司教は、このことを絶対に口外しないよう
に厳重なかん口令を敷きましたが、噂はあっという間に広がり巡礼者が大挙押し
寄せたため、結局1745年その当時最先端の流行様式で華麗な教会を造ることにな
りました。

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外観はこんな風。あたりはのどかで美しいアルプス前高地の牧草地で、所々にド
イツトウヒやブナの森があります。教会は比較的こぢんまりとしています。少し
離れたところに旅館が二、三軒ありますが、こんな所に泊まっても夜どうしよう
もない田舎です。

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内面は瀟洒な外観が予測させる通り、流麗で優雅なロココ様式です。この建築様
式はルイ15世の治世に盛んになりました。バロックに見られた豪壮さや威圧感は
控えめになり、白い壁に金色の装飾を多用した女性的柔らかさを感じさせる装飾
となっています。パッサウの教会のところで触れたようにバロック、ロココ建築
に於いてはステンドグラスはなく、室内の採光を良くするために窓ガラスはやや
磨りガラス状になった無色です。

教会を建立する発端となった涙を流すキリストの伝説は、たとえばY.O.嬢さん
かYokoさんかどちらかのイタリア旅行記に出てきたワインの銘柄ラクリマ・クリ
スティのように、新世界を含め世界の至る所にあるようです。

(続く)

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_/ Dr. med. Hiko Funatsu, Facharzt fuer Psychiatrie
_/ 周船寺病院, 福岡市西区. TEL:092-806-1172
_/   apfelrot:美しくも赤い林檎
_/ 久留米自宅へCarbon Copyは apfel@ktarn.or.jp  
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