5/4 2002掲載

《R氏が案内してくれたドレスデン》のあちこちを
ここで再び写真で紹介します.本文後にもあります

絵画に見る壮麗な聖母教会.釣り鐘型バロック様式


戦争で崩れ落ちた聖母教会.その前でルターが天を睨んでいる.
東ドイツ政府は反戦モニュメントとする積もりだった.今再建が進められている.


ドレスデン・バロックの華,ツヴィンガー宮殿.
戦災を免れた.絵画ギャラリー,マイセン磁器博物館などになっている




イタリアン・バロックの王宮教会


建築家ゴットフリート・ゼンパーの名を冠したゼンパー・オペラ劇場1985年頃再建


東ドイツが心血を注いで再建したオペラ劇場内部


R氏宅の庭


R氏宅の居間にて


R氏と私たち


  明日は西ドイツに帰るという晩,夕食も終えて私たちはこの一週間のことを回顧していた.
 R氏は休みを取ってあちこち案内してくれた.ドレスデン王宮はまだ半分以上廃墟だった.聖
母教会は完全に瓦礫と化したままだった.聖母教会前のルター像だけが宙を睨んでいた.し 
かし新旧二つの絵画ギャラリーやツヴィンガー宮殿,それについ一,二年前に東ドイツ政府
の手で見事に復旧成ったオペラ劇場の話になると,R氏の顔は輝き,声は弾んだ.旧マルク
ト広場に面した聖十字教会も破壊から復旧されていたが,内装はほとんど省略されたままで,
ガランとしていた.しかしR氏はこの聖十字教会の音響効果がいかに優れたものか,この教会
の少年合唱隊がいかにレベルの高いものかを説明した.加えてエルベ川沿いに上ったチェ 
コ国境近くのザクセンのスイスと称される地方の美しい自然.いかにドレスデンが文化の薫り
高い都市か,いかに自分がザクセンを愛しているか,彼はこの一週間の総ざらえをするように,
また私に日本に帰ってもこのドレスデン,ザクセンのことを忘れないでいて欲しいと言うように
淡々と回顧した.
 
  そしてR氏は私に尋ねた.
「ヘア・フナツ,ジー・ジント・ノイトラール.あなたは中立的立場のお方だ.率直に言って欲し 
い.私たちの社会制度と,あちらBRD(西ドイツ)の社会制度と,どちらが優れているとお考
えですか?」
  来るものが来た!と私は思った.ニュートラルはノイトラールになるのかと,ドイツ語の単
語を一つでも多く覚えようと,その点では貪欲だった私はこの時の彼の言葉は,10年以上
経った今でもはっきり覚えている.
 
 私は中立ではない,アメリカを頂点とした西側世界の人間だ.日本と西ドイツとどちらが
優れているかが私の関心だ.私から見れば貴方のお国はまだとても,,.Rさん,それは貴
方にも解っていることではないか.なぜ私にその質問をするのですか?私は心の中で叫んだ.
R氏だってそこははっきり解っているはずだ.半ばとぼけてそのような尋ね方をしたのだろう
が,彼の立場ならそのようにしてでも遠来の客に尋ねずには居れなかったに違いない.自分 
の母国は兄弟国に後れを取った.それはなぜなのか,やっぱり我々の制度は間違っていた 
のか?
 
  西ドイツが良いか東ドイツが優れているか−結論はあまりにも明白に出ている.だが黙
っておく訳には行かない.とにかく何か言わなければいけない.
「R先生,BRD(西ドイツ)は確かに豊かな国になりました.人々は毎年夏になると地中海方
面にバカンスに行きます.でも,決していいことばかりではありません.人手不足のためにか
つては歓迎して招き入れたトルコ人を今は邪魔者扱いして排斥しようとしていますし,概して
金の力にものを言わせて外国人に対して傲慢尊大です.都会では人々はよそよそしく,親切
ではありません.
  しかしドレスデンに来てこちらの人々はみな親切でした.気持ちにゆとりがあるようで,そ
して郷土へ誇りを持っている.お国は今後発展するでしょう.その時に今のこの気持ちを忘れ
ないでいてください...」
 
 言いながら私は情けなかった.いくらなんでももっと相手の心情を察した,もっとましな言
い方があるはずだ.相手の資質を見出す能力,相手の良いところをほめる能力,それが自分
に備わっていたらと,この時ほど口惜しく思ったことはなかった.いや,それは能力ではない.
普段の自己に課す訓練だ.相手の資質を見出し,褒めて嬉しいと思わせ,自信を持たせる
優しさ,,,それが私には備わってなかった.

  じっと私の目を見ながら聞いていたR氏の目が眼鏡の奥でキラリと光り,一瞬目を伏せ
た.ほんの僅かの時間黙考した後R氏は再び顔を上げ,微笑んで落ち着いた声で言った。 
「ダンケ,ヘア・フナツ,ダンケ・シェーン.舩津さん,ありがとう.」
  ゆっくりとした口調は言葉を噛み締めているようでもあり、自分に言い聞かせているよう
でもあった。私は彼の質問をはぐらかしてしまったことに後ろめたさを感じ,後味が悪かった. 
そして表に出てR氏とR夫人に別れの握手をした.家内も子供達もそれぞれ握手をした. 
走り出した車に向かってR夫妻は手を振った.私たちも闇に消えゆく二人に向かって車が角
を曲がるまで懸命に手を振った.こんどR先生に会うのはいつのことだろう.私たちもそろそ 
ろ日本へ帰るし,ホーネッカー(当時の社会主義統一党党首)はベルリンの壁はあと100年 
続くだろうと言っているし,,.私たち親子は眠くなった目をこすりながら,はるばる西ドイツか
ら乗ってきた車で15分の道のりをホテルに戻った.
 
  その時点ではその後の東西ドイツの劇的展開は誰しも予測し得なかった.しかし実際に
は翌1989年ベルリンの壁は崩壊し,1990年ドイツは統一して,私たち一家は1993年再び
ドレスデンの土を踏み,R夫妻と再会することになるのである.
 
《以下にドレスデンおよび近郊の観光スポットを紹介します》

旧マルクト広場で


エルベ川に映えるドレスデンの夜景


ドレスデンを北の真珠,エルベ・フローレンスと言わしめたアウグスト強王


ザクセンのスイス_クーニッヒシュタイン要塞


ザクセンのスイス_見下ろすエルベ川.チェコは近い


狩猟の館 モリッツブルク