8/30 2002掲載
ゲルマニア2002>ミュンヘン(2) ヴィッテルスバッハ
今回のミュンヘン案内はヴィッテルスバッハ家の居城、夏の離宮ニンフェンブルク宮と、
本拠ミュンヘンのレジデンツ(屋形)の案内から始めましょう。
離宮と言ってもニンフェンブルクは本拠レジデンツから馬車で僅か30分の距離にあります。
規模ではヴェルサイユはおろか、ヴィーンのシェーンブルンに遙か及びませんが、そのシンメ
トリックな美しさは広く知られています。
中央の本館から左右に翼部が、撮影している私を取り巻くように半円形に伸びています。
翼部は大臣、貴族、侍従、衛兵の宿舎となっています。
内苑
内苑にはギリシア神話に題材を求めた石像が、芝生に沿って等間隔に建っています。
前苑
ヴェルサイユ宮殿を真似て、本館正面から遙か遠くまで伸びる直線を用いた庭園造りがヨーロッパ中に広まりました。
森の中には王が妃のために建てた瀟洒な社交の舘 アマリエンブルク があります。
中央の広間はガラスを多用し、ロココ様式に優雅に飾られています。白壁に金色塗料を用いて模様を描いてゆくのは
ロココの特徴ですが、ここは狩猟の館の性格を有するだけに、天井には蔦や動物、鳥が描かれています。
シャンデリアも鏡の前のテーブルも椅子も見事な装飾ですね。
夏の夕方には暮れてゆく光の中で、よく室内楽のコンサートが開かれます。
その合間人々は庭園に出て散策し、雰囲気を楽しみます。あちこちでシャンパングラスを片手に会話が弾みます。
夏の間コンサートはヨーロッパ中の宮殿や古城、教会で催されます。夕方の自然光は壁のレリーフに淡い影をつけ、
楽器は乾燥した空気の中澄んだ音色を奏でます。それは実に典雅で、本当に古き良き時代の貴族になったようです。
私たちも度々着飾ってゆきました。M.v.K. が着ているのはディルンドゥルといい、本来普段着ですが、これは特別な
夜会用ディルンドゥル。私 F.v.K が着用しているのは南ドイツからスイス、オーストリアにかけて広く愛用されている伝統スーツです。
娘達もハイジのようにディルンドゥルを着て野山を駆け回っていました。
ではミュンヘン都心に戻りましょう。ここがレジデンツ(屋形)。外観はフィレンツェあたりのイタリア・ルネサンス様式を
採用しています。仕掛け時計のある市庁舎から3,4分のところにあります。
レジデンツは250年くらいかけて少しずつ建てられ、20世紀初頭に現在の形になったので、色々な時代の建築様式が
混じっています。数ある部屋の中でほんの一部を紹介します。
これは多分古典主義建築が盛んだった19世紀初め頃に建てられた、ギリシア、ローマの彫刻類を展示するホールで、
彫刻類は二百数十点あるそうです。
普段は見学できますが、立派なホールなので現在はミュンヘンに来た国賓州賓を歓迎する、レセプション会場として用いられています。
ここは中国の間。
中国や日本から送られてきた小瓶がこのようにして部屋の装飾に使われています。所変われば用い方も変わるものですね。
これはレジデンツ内にあるロココ様式の劇場です。設計したフランス人の名を取ってクヴィリエ劇場と呼ばれます。
レジデンツ正面(muc49)右手には国立劇場があります。ドイツには日本のような多目的ホールというのは滅多に無く、
ここはオペラ専用劇場です。
バイエルン州立オペラの本拠地です。国立オペラ劇場がレジデンツに隣接してあるのは、代々の国王が芸術に深い理解を示していたからです。
ここの劇場の特徴は毎晩出し物が違うことです。
幕間のロビーでは人々は立ったままシャンパン・グラスを傾けながら、顔見知りを見つけては言葉を交わします。
決して皆が皆盛装した人ばかりではなく、普段着の若者も多く見られます。レジデンツ周囲の街の様子を見てみましょう。
堂々とした大きな建物が続き、その1階には一流ブランド店が入り、上の階は官公庁や一流企業のオフィスとなっています。
王家の名を付けたヴィッテルスバッハ広場にはマクシミリアンT世(だったかな?)の騎馬像があたりを見下ろしています。
写真の奥がレジデンツ正面です。ということは、娘の背後に見えているのはレジデンツ西側面です。
右手の大きな建造物は「もののふ堂」と言い、フィレンツェの「ますらおのロジア」を真似て造られました。
ここから始まる「ルートヴィヒ通り」起始部を飾るにふさわしいモニュメントです。
これはルートヴィヒ通りの北端から「もののふ堂」を望んだ写真です。
中央部にあるのはローマにあるのを手本にした凱旋門です。
1871年独仏戦争に勝利し、ヴィルヘルムT世がヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位したのを記念して造られました。
凱旋門の先にはミュンヘン大学本部があります。
この地域にあるマンションも画一的でなく、思わず住みたくなるような洒落たマンションがあちこちに見られます。
ミュンヘンは人気のある都市で家賃も高く、ミュンヘンに住む大学生は経済的に大変です。
今度はレジデンツから東にイザール川の方へ行ってみましょう。
これはマクシミリアノイムと言い、マクシミリアンU世がバイエルン王国の才能ある若者にここで英才教育を施すことを目的として、建てられました。
いまはバイエルン州議会議場となっています。19世紀中葉には、このような堂々とした建物が次々に造られました。
少し離れたところに「平和の天使」像が建っています。やはり独仏戦争の勝利を記念して建てられたものだったと記憶しています。
この一帯はイザール川沿いの緑陰に覆われた散策地区です。
歩き疲れたのでこのまま英国庭園まで足を伸ばし、有名なビアガーデン「中国の塔」に行って木陰でビールを飲みましょう。
次回は芸術の都ミュンヘンを紹介します。
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