ザルツブルクは、ザルツァッハ川(ドナウの支流)とメンヒスベルクという岩山の間の、わずかな平地にできた町です。
昔の人は戦略上こういう窮屈なところを選んだのでしょう。現在の人口は約15万人。
写真中央の真っ直ぐな道が写真(sz02)に見た厩舎通り。メンヒスベルクにへばりつくように建っているのが祝祭劇場。
それに並んで手前方にサウンド・オブ・ミュージックに出てきた岩壁の劇場があります(後述)。
メンヒスベルク裏手にも市街地が広がっており、祝祭劇場横にトンネルがあります。
メンヒスベルクの中は岩をくり抜いた多層の大駐車場になっています。
国外脱出を決行に移した矢先のトラップ一家が郷土音楽祭に出ることとなり、子供達が「お休みなさいの歌(?)」を歌い、
大佐とマリアが「エーデルワイス」を歌ったのがここ。
大佐の歌声が涙で途切れ、マリアが助けるように側から歌い、観客も一緒になって大合唱になったあのシーン、感動しましたね。
ここは元々「岩壁乗馬学校 フェルゼン・ライトシューレ」でした。劇場になった今でもそう呼ばれています。
舞台背景となる岩壁には三層の廊が掘られていますが、これは馬術演技の観客席でした。
大佐一家が歌った当時ここは野外劇場でしたが、第二次世界大戦後開閉式の屋根が着けられました。
私たちが初めてザルツブルクを訪れた時泊まったホテルは、都心から少し離れザルツァッハ川対岸の、写真に見られる
あたりの質素で目立たないホテルでした。5月でしたが、カスタニエンの木陰に設けられたわずか数席のレストランがとても
爽やかだったのを覚えています。
後日そのホテルがその当時ヴィーン・フィルの常任指揮者をしていたカール・ベームの常宿と聞いて嬉しくなりました。
カラヤンだったらきっとあんな質素なホテルに泊まることはないでしょう。
今私たちがいるのはホーエンザルツブルク要塞です。この要塞は何度も実際の戦争をくぐり抜けてきました。
要塞の最上部にあり、中世の面影の残るこの広間は現在は室内楽コンサートに使われています。
この広間の柱には砲撃を受けて破損した痕が今でも残っています。
また要塞の拷問室を見ると(実際には使われることはなかったと、説明がありましたが)鳥肌が立ってきます。そして
見下ろすと綺麗な公園があって、その中に瀟洒な小屋が。
でも小屋の名前は「絞首刑の家」、ゾーォッ。歴史の裏面を幾度となく見てきたこの小屋でしょうが、現在は個人所有だそうです。
正面に見えるのがザルツブルク大聖堂です。今から降りてあそこに行きます。
大聖堂正面(ファサード)。この空間は前の写真に見られるように四方が建物で囲まれており、野外劇場となります。
ザルツブルク音楽祭では毎年ここで劇「江分利満」が上演され、音楽祭の見物の一つだそうです。
大聖堂の中は荘厳なバロック空間。
丸天井(クッペル)の中はこんなふうになっている。絵を統一している明るいワインレッドが印象的です。
ルネサンスの頃からキリスト教の神は白髪白髭の老人の姿に描かれることが一般化したそうです。
ここに描かれているのは神だろうか、恐らく聖人でしょう。天使が肩を揉んでいるようだが。
午後は旧市街を散策します。最初に行くのはなんといっても穀物小路(ゲトライデ・ガッセ)。
今日も観光客で溢れています。つり下げ型の屋号票(適当な日本語がなくて)が面白い。
冬訪れるとこんなふう。右手の黄色い建物がモーツァルトが生まれた家だったと思いますが、
少し離れたところにはモーツァルトが住んでいた家もあります。
ヨーロッパの街を歩くとこのような女神をよく見かけます。
ローマ神話の正義の女神ユスティチア(justice の語源)。左手に持った天秤で人間の所業の善悪を量り、右手の剣で人間を裁きます。
たいてい当時のサッチャー英国首相を思い出させる厳しい顔立ちをしています。
ザルツブルクは馬が多い。馬の絵、馬が泳ぐ噴水、乗馬学校、そして観光も馬車でどうぞ。