12/6 2002掲載
v.K.
<2002年のドレスデン_3: R氏との再会>
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約束の時間に10分遅れて娘と私がホテル・ベルヴューに戻ると、R氏はロビーのソファに座っ
て待っていたが、私たちを見ると直ぐさま立ち上がり、笑顔で歩み寄って来た。
「ヘア・フナツ、ほんのちょっとの間だけ、時間を間違えたかと思いましたよ。」
そう言って笑顔で右手を差し出しす彼の動作には活気があった。若い頃から慢性脊椎炎を患っ
ている彼は背骨が前屈していて、以前も立った姿は実際の年令より老けて見えていたが、今年初
め仕事を辞めて年金生活に入ったからでもあろう、髪を五分狩り程度に短く切り、ラフでカジュア
ルな服装をした彼は、さすがに老人の姿であった。だがその眼は以前より生き生きと輝いており、
表情は若々しかった。
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天気がよかったのでアウグスト橋を歩いて旧市街に行った。彼は聖母教会については、その再
建の様子を自分の口から説明したかったのかもしれない。再建は七割がた進み、釣り鐘型のドー
ムが姿を現しつつある。その様子を見上げ、あるいは再建事業の中で発掘された中世以前の遺
跡を見下ろしながら、彼はガイドを務めた。口調は時に熱っぽくなり、その様子から彼をはじめドレ
スデンの人々がランドマーク聖母教会の再建を、期待を込めて待ち望んでいる姿が見て取れた。
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聖母教会から王宮の側を通ってオペラ劇場の方へ歩いていった。劇場は建築家ゴットフリート・ゼ
ンパーの名を取ってゼンパー・オペラと呼ばれる。まだ昼過ぎなので劇場内をガイドに従って見学
しようと思ったが、こちらは凄い人出で一時間待たないと入れないという。まあいい、この次オペラ
を観に来るさと思い直してこの日の見学はやめにした。だがこれが悔いを残すことになると知った
のは、後日この劇場で演じられたウェーバー作「魔弾の射手」をDVDで見たときだった。前奏曲
の背景に劇場内部が紹介されたが、イタリア産大理石をふんだんに使ったその豪華さは息をのむ
ほど見事なものであった。ある人からこんな小話を聞いたことがある。
「南米某国の奥地に入植して町を作った。町の広場にイタリア人はまず教会を造り、日本人は学
校を造った。一方ドイツ人はといえば、劇場を作った。」
ジャングルではない、何もかにもが停滞し、淀んで息が詰まりそうな空気の中で、東ドイツ政府は
小話どおりのことをやったとは、信じ難い思いがした。
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旧マルクト広場を囲む建物はすっかり化粧直しをして垢抜けしていた。広場には中世以来の伝
統を受け継ぐかのように、色々な店が出ていた。果物屋のテントの中は東ドイツ時代うってかわっ
て思いつく限りの果物が山をなして売られていた。これを見れば色々不満はあろうとも統一して良
かったと、誰もが思うだろう。
そろそろトラム(市電)に乗ってR氏の家に行くことにした。ドイツの公共交通機関はどこでもそう
だが、ドレスデンでも都心を中心にして同心円状に運賃区間を設定し、バスや電車は一枚の乗車
券で乗り継げるようになっている。R氏の家は都心からトラム一本で行く比較的交通の便の良いと
ころにあり、運賃区間は一区間内であった。電車は中央駅の側のガードをくぐり、南に向かって坂
道を上っていった。途中大学キャンパスとおぼしきブロックを通り過ぎると住宅街となり、15分ほど
で終点「南が丘」に着いた。
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停留所のすぐ向こうに以前来た時泊まった小ぎれいなペンションがあるはずだが、来てみてびっく
りした。ペンションはフェンスで囲まれ、立入禁止になっている。フェンスの内側は背丈を超す雑
草がぎっしり生い茂っていて、その奥にペンションだった建物は廃墟となって無惨な姿をさらして
いる。背景の樹木も、なにやら暗く沈んだ緑色に見える。以前泊まった時はいかにも壁を塗り替え
たばかりの清潔さがあった。それが今は壁は暗灰色に汚れ、窓にはガラスが無く雨が降り込むが
ままになっている。一瞬息をのむ思いだったが、しかし思い出してみると今回ドレスデンのホテル
探しを依頼した時、旅行社にこのペンションも当たってみるよう頼んでおいた。旅行社の返事はこ
のペンションは既に満室であるという解答だった。とすればあの時の働き者の主人やそのおふくろ
さんは事業に失敗し、全てを失って去っていったわけではないようである。移転したと考えられる。
それによく見るとフェンスに囲まれているのはペンションの部分だけでなく、この一角が広く立入禁
止になっている。もしかするとこれは例の土地所有権紛争に関係したものではなかろうか?
旧東ドイツから西ドイツに脱出した人の土地は東ドイツ政府が接収したという。その土地に別の
人が住んだりそこで仕事をすることはごく普通にあったことらしい。東西ドイツ統一後西から東に戻
ってきた人はかつて自分たちのものであった土地を返してくれるように政府に要求した。必ずしも
東に戻って来ずとも、当然の権利として返還を要求した。訴訟になることも多々あったらしいが、た
いてい元の地主の主張が通ったらしい。この一角はそのような所有権紛争に巻き込まれ、当面何
人も使用できない状態となっているのではなかろうか?あのペンションの所有者一家が東の人間
か西からの帰還者か全く知る術もないが、移転先でペンション経営を続けているとすれば私の気
持ちも安堵する。
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oo F. v. K.
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0942-43-5452
oo apfel = apple
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