12/13 2002掲載

<ドレスデン2002_4: R氏の自宅にて>
 
DD31.jpg
(DD31 丘を登り詰めると、トラム終点「南が丘」)
 トラムの終点は丘の上にあり、R氏の家はそこから3分ほど坂道を下ったところにある。ドイツの
並木はどこでも両側から道路を覆い尽くすほど鬱蒼としているのに、ここの並木は最近植え換え
た若い木が多い。R氏に尋ねると害虫にやられたということであった。並木が小さくなっただけで
日本の通りに少し似てくる。
 

(DD32 R氏宅)
 すぐにR氏の自宅に着いた。古びた外観は変わっていない。壁はくすんだ茶褐色のままで塗
り替えられていない。全てが私が知っている以前のままであるように思われたが、R氏に云わせる
と毎日あちこち改修に追われ、忙しいという。
「例えばこの花壇ですが」と彼は隣家との境界を指し示した。彼の家は南向き斜面にあるので隣
家との間に段差がある。隣家との境界ののり面補強を兼ねて花壇を作っていた。そのような用途
に合わせた面白い格好のブロックが市販されているのを私も初めて知った。だいたいドイツの男
性は旧東ドイツ西ドイツを問わず日曜大工が好きで、家を数年がかりでコツコツ建てる人も珍しく
ないが、R氏の作った花壇もなかなか見事なものだった。
 家は三階建てで、下の娘さんと三人暮らしのR氏一家には十分すぎる広さらしく、一階は人に
貸している。地下室が付いているので、日本の同規模の家より中ははるかに広い。因みにドイツ
では大きな家に一家族だけで住む人はそう多くない。広い庭付きの大きなお屋敷も、たいてい
中は数世帯に別れている。日本にはないタイプの集合住宅である。
 
DD33.jpg
(DD33 R氏宅の庭)
 庭はざっと百坪くらいあろうか、傾斜があり、奥の方は低くなっている。白く大きな芍薬、薄紫
色の西洋おだまき、朱色のケシ、名前を知らない赤や黄色や紫色の花が咲いている。、樹齢
五,六十年はあろうかというような巨木も数本ある。空いたところは芝で覆われているが、雑草は
見られない。最近日本でもブームになったイギリスやニュージーランドのガーデニングのように、
隅々まで手入れが行き届き、花が咲き誇っているわけではない。緑は豊かだが、手入れはやや
控えているような印象を受ける。それは実際R氏の手が十分行き届いてないのかもしれないが、
あるいはドイツ人の好みによるものかもしれない。工業製品や工芸美術では機能美を追求するド
イツ人が、一方ではナイーヴ(素朴)な庭園を好むのはやや意外な気もする。
 
DD34.jpg
(DD34 R氏宅の庭)
 R氏は大きな黒い犬を飼っていた。名前を聞いたが思い出せない。娘はすぐ犬と仲良くなっ
た。家の階段を上り二階の扉を開けるとR夫人が迎えてくれた。久しぶりに会う夫人は白髪にな
っていたが、いかにもドイツの婦人らしい凛とした話しぶりは以前のままだった。手作りのオレン
ジ色のケーキでもてなしてくれた。いつも通されたこのリビングルームは日本風に云うと十六畳く
らいで、知識人の家らしく、周囲の壁には天井近くまでぎっしりと本が並んでいる。私たちがケー
キを食べながら話に花を咲かせている間、大きな黒い犬はR氏の足下におとなしく控えていた。
 
 「上に行ってみませんか?」とR氏に促され、三階に上がった。そこは天井裏の広いワンルー
ムになっていて、看護婦をやっている下の娘さんが使っているそうだ。若い女性の部屋らしく、眩
いような明るさを感じた。付いてきた私の娘は自分の部屋より二倍も広いこの部屋を見て、妬まし
く思ったかもしれない。
 

(DD35 R氏宅から南東方向にザクセンのスイスを望む)
 「ほら、以前行ったのはあそこですよ」と、バルコニーに出てR氏が指さす方向を見ると、遙か
南東の彼方に見覚えのある山の輪郭が見えた。エルベ川の上流で、ザクセンのスイスと称される
景色の良い一帯だ。ここからザクセンのスイスが見えるとは知らなかった。
「あれがケーニッヒシュタイン要塞だろうか?そしてあの向こうがチェコなんだ」私は昔を思い出そ
うと、しばし目を凝らして地平線の方を見やった。あそこに行ったことは娘はあまり覚えてないか
もしれない。
「良い景色でしょう?」
R氏はちょっと得意そうに言った。
「ほんとに!こんな景色の良いところに住んでるなんて、あなたがうらやましいです」と、私は讃辞
を返した。
 

(DD36 R氏宅から南方に見たバスの走る風景。住宅がきれいになった)
 「でも、あのあたりを」と、R氏は1km 位先の丘を指さした。
「プラハに行くアウトバーンが通るのです。このあたりも変わるでしょう。」
アウトバーンが谷を越えて1kmくらい向こうの丘とはいえ近くを通れば視野に入るかもしれず、
騒音も聞こえるかもしれない。家の前を通る交通も増えるかもしれない。だが彼の言葉は、そのよ
うな予測される負の変化を危惧する気持ちから出たものではないようであった。そう言う気持ちが
無いことはなかろうが、彼の口調はそれよりも、郷土ザクセンが社会主義政権下の停滞から脱却
し、東ドイツ40年の遅れを取り戻して変貌してゆく様を、我が子の成長を期待する父親のような
眼差しで見守っているように感じられた。
 
DD37.jpg
(DD37 東ドイツ市民の頃のR氏)
oooooooooooooooooooo
oo  F. v. K.
oo  TEL 0942-43-5452
oo  apfel = apple
oooooooooooooooooooo