2/25 2004掲載
アクエリアスの航海 〜松島〜 by Haruさん
松島は加唐島の西にある周囲が4キロメートル足らずの小さな小さな島である。
この島には約90人々が暮らしていて、殆どが海士(あま。素潜りでアワビ、サザエを採る人。海女の男性版)
をするか魚釣りの人を釣り場まで船で運ぶ瀬渡しで生計を立てている。
島の周囲は急峻な断崖に囲まれていて砂浜などの平坦な海岸はまったくなく、岩場に荒い波が打ち寄せるので
島の子どもたちでさえ夏の海水浴は狭い漁港の中で我慢するくらいである。
また、島は二つの山で成り立っていて平地らしい平地がなく田んぼはもちろん畑さえほとんどない。
商店は一軒もない。人口が約90人では商店も成り立たないだろう。
松島。左にある小さな島が小松島
波戸岬から見た風景
松島は波戸岬からはすぐ近くに見える。向かって左(西側)が松島、右の島は加唐島。
なんにもない島にもかかわらず松島には、ひところ、よく通った。
この島には不思議な安らぎがあった。
転勤者である小学校の教師を除いて、島の人は全員クリスチャンである。
港の正面に白い教会がある。
島の歴史では、もともとこの島は無人島であったが江戸時代、安政年間(1854〜1859)に加唐島の宗貞八が
島を譲り受け、娘ウメ(当時15歳)とともに移住したのが始まりらしい。
やがてウメは長じて島の近辺までイカ釣りに来ていた長崎・黒島の福蔵(トマス)を養子に迎えた。
黒島は平戸の南にある島で隠れキリシタンの島として有名であり福蔵もキリシタンであった。
福蔵は黒島から仲間の夫婦を呼び寄せて開墾を進め、また、黒島からの移住民は全員キリシタンだったので松
島はキリシタンの島となった。
1587年,秀吉によるキリシタン禁教令以来、桃山時代から江戸時代初期にかけて幾多のキリシタン弾圧と迫害
があり、また江戸時代を通して隠れキリシタンが発覚した歴史があるが、明治政府樹立の前後にも大規模な弾圧
があったことは、案外、知られていない。
250年にも及ぶ長い潜伏のあと隠れキリシタンが世に出たのは1865年3月17日のこと。
日本が開国後、外国人のみが入ることを許される教会として1864年に建立された大浦天主堂(現・長崎市)の
フランス人神父のもとを長崎・浦上在住の杉本ゆりという女性が訪れて、
「サンタ・マリアのご像はどこ?」と
キリシタンであることを名乗り出たときからである。
しかし、このとき、幕府はキリシタン禁教令を解いてはいなかった。
1639年、最終的な鎖国令が出て、その後、宣教師の密入国が続いたころまでは激しい弾圧と迫害があったが、
その後の平穏な江戸時代には隠れキリシタンが発覚しても幕府に従順なそぶりをして比較的、穏便に処理される
ことも多かったらしい。
しかし、幕末になり開国後は隠れキリシタンにとっては長い間待ち続けた教会が出現し、異国の神父から教えを
受けるようになってからは棄教することをかたくなに拒んだ。
長崎奉行所は、このとき現れた長崎の浦上、黒崎、黒島などのキリシタンを激しく弾圧して多くの人々が殉教した。
諸外国からの批判の高まりでキリシタン禁令が解かれたのは1873年(明治6年)のことで、それ以来、ローマ法王
庁も西海の島々に残っているかもしれない隠れキリシタンを発掘するために教会の建立と神父の派遣を積極的に行った。
これが西海の地に聖堂が多く残っている理由である。
年代からみると福蔵が黒島から移住したのは、この頃の事のようである。
中央部に白い建物が見えるであろうか?松島教会である。
港近くにある小松島(無人島)
こんなかわいい島があると心がなごむ。
松島教会。イタリア人神父の奔走で1981年に建立された。民家はこの写真に見える範囲がほとんどすべてである。
港近くにも平地がないのが分かる。
松島案内図
民家は急峻な坂道に沿って建っている。教会の尖塔がすこし見える。
小学校のグランドが例外的な平地である。
子どもたちのメッセージ
島の北側。周囲はこんな断崖。奥に見えるのは加唐島
この島に着くと、“ほっ”とするものがあった。
子どもたちは表情も言葉使いも伸びやかで、見知らぬ我々にもきちんと挨拶をしてすれ違っていく。
我々は、よく“日本の原点に来たようだね。”と話し合ったものだ。
僕が初めてこの島を訪れたとき、教会は海辺にあるこの新しい教会ではなくて昭和初期に建てられた古い教会が島中央部
の山間部にあった。
建物の見た目は教会というよりも昔の校舎風の木造で、建材も粗末なものが使用されており薄い緑の塗装が施されていた。
しかし、近寄ってよくよく見てみると内側の板壁や床板は古びているとはいえ、木目が出るまでにピカピカに磨き込まれ
ていて信者の皆さんが慈しんで大切にしているのが感じられた。
ある秋の夕暮れ、僕はその古い教会まで散歩に出かけると、教会の前の狭い畑で一組の老夫婦が黙々と作業をしていた。
その夫婦はふと畑仕事をやめ、手に持ったクワを置きその場にたたずんで一心に祈りを始めた。
秋の夕陽のなか、森の木々も古びた教会も祈る老夫婦も赤く染まっていた。
静寂のなかで、遠くから見つめている僕にすら彼らの思いと安らぎが伝わってきたものだった。
山間部の狭い平地。このどこかに古い教会があった。今となってはどこだったか見当もつかない。
いま、山あいの土地を訪ねても古い教会は取り壊されて草が覆い、その場所がどこだったのか分からない。
しかし、あの日、僕は確かに見たのだ、秋の空を真っ赤に染めた夕陽と静かな安らぎを。