3/2 2006掲載

〜早春の丹後半島を訪ねて〜その2

 

伊根町から小1時間、丹後半島の先端を回って到着したのは今宵の宿、「カサデファンタひさみ」
という7室しかない小さな宿。「カサデファンタ」というのはイタリー語で「幻想的な宿」という
意味だそうで、部屋は全てオーシャンビュー。このように美しい海に面しています。

早速、温泉でさっぱりして、待望の間人蟹を待ちます。

さあー、どんな蟹がでてくるやら、期待して待つ さすサラさんとらんらんさん。

ここで、「間人」と書いてなぜ、「たいざ」と呼ぶか?調べてみました。

 

6世紀末、聖徳太子の聖母、間人皇后(はしうどこうごう)が蘇我氏と物部氏の争いを逃れて
「大浜の里」と呼ばれていたこの地に滞在し、のち「退座」して斑鳩に帰られたことにちなみ
「間人」と書いて「たいざ」と呼ぶようになったといわれています。>

 

さて、いよいよ、蟹です。まずは刺身。蟹そのものの甘みがなんともいえません。

これは、セコガニと呼ばれる松葉蟹のメス。オレンジ色の子が美味しいのです。

そして、蟹のグラタン。

あまり蟹ばかりでは飽きるので、鮑や甘エビなどの日本海の海の幸を箸休めに。

これは、ブリの煮物

ここまでは、云わば前菜、アペタイザーであります。

メインディッシュその1は焼ガニ。緑のタグは間人蟹の証明で、船の名前が書いてあるのだ。

炭火の上で焼くと香ばしい香りが部屋中に漂います。

身が白く、プクンとなったところでかぶりつく。幸せそうならんらんさん。

焼蟹をたっぷり食べたところで、腹いっぱいですが、お次はしゃぶしゃぶと蟹すき。

特製の出汁の中で、しゃぶしゃぶとやって、

身が花が咲いたようになったら、かぶりつくのです。

あー食った食った。もう入らんという表情のお二人さん。

しかし、それでも雑炊は別。これが旨いのです。

鱈腹飲んで食べて、さすがにこの夜は、バタン、グーでした。

 

よく朝、目が覚めると、空は快晴、海は穏やか。部屋のデッキで記念撮影です。



 

昨夜、あれだけ食べたのに不思議と朝食もたっぷり食べられる。
山陰名物の笹がれいや烏賊の刺身に食欲をそそられます。

宿を後に、向かった先は、久美浜にある花の寺「如意寺」です。

ここには十一面観音があるのですが、秘仏とかで残念ながら拝観は叶いません。

城崎の温泉寺もそうですが、なぜかこのあたりのお寺の十一面観音はほとんど秘仏なのです。

十一面観音は拝めなくとも、この寺、なかなかの風光明媚なところにあり、景色がすばらしい。
山門を通して見る久美浜湾。

今は山茶花が美しかった。いや山茶花ではなくお二人さんもなかなかのものですぞ。

こちらは、来年の年賀状用の写真集め。

 

如意寺でしばらく散策を楽しんだあと、山陰第一の名湯、城崎へ向かいました。この時期、
川のほとりの柳の緑はありませんが、早春の柔らかな日差しがありました。

と、そこへ、博多から電話。「誰からだ?」「章ちゃんだ」「今何処?」「城崎にて・・・」

ちょっとすまして

 

実は、らんらんさん、一昨年の10月、餘部鉄橋ツアーの折、この城崎で「麦藁細工」の箱を
注文していたのです。なんとその店のご主人から今年の正月年賀状が来て「今から作成にとり
かかります」とあったのを、早とちりして、「漸く一年半目に出来上がったか」と思い、受け
取るつもりで、この「かみや民芸店」を訪ねたのです。

この店のご主人は麦藁細工の名人の一人のようで、注文してもこのように1年以上も待たねばならないのです。
おまけに最近はシーボルトが帰国の際ヨーロッパに持ち出した作品の復刻版を作っていたとかで、らんらんさ
んは一年半も待たされました。

しかし、そのお陰で、今回新たに注文したりんりんさんと我家の分は直ぐに取り掛かってくださるそうで、
なんだからんらんさんに悪いですなー。

 

麦藁細工のあとは、温泉です。今回は最近新装された、「御所の湯」に入りました。
少し熱いくらいのお湯で、体が芯から暖まります。

温泉から出てきたさすサラさん。手前の玉突きは関係ありません。

風呂上りはやっぱり、これ! ソフトクリームです。ここのは旨い!


城崎はポストもこれが似合います。

 

城崎の次は、なんといっても皿蕎麦を食べねばと出石にやってきました。

出石のシンボル、辰鼓楼の下で

辰鼓楼をバックに

そして入った蕎麦屋は今年も近江屋又兵衛こと「近又」

蕎麦が来るまで、日誌に記帳しています。もちろん「修猷館」と書いておきました。

自然薯で繋いだ蕎麦です。今回は5人で60皿。一人50皿食べれば永久無料とか。

 

こんなこともしながら、出石の町でちょっぴり遊んで、


出石城に別れを告げ、夕方には大阪へ帰ってきました。

天候にも恵まれ、中身一杯の充実した丹後半島めぐりでした。

またの旅を楽しみに新大阪で別れ、それぞれ帰途に着きました。

 

TopPage