6/21 2006掲載
私は、この間の土曜日に車のトランクに重いものを積もうとしてぎっくり腰
になってしまい、現在リハビリ中。
ところで、少し古くなりましたがが、ゴールデンウィークに倉敷旅行をしました
ので、そのときのレポートを送ります。
手打ち庵
倉敷と造船所を訪ねて
ゴールデンウィークの真っ只中、金沢の4組の友人夫妻、それに今回倉敷で造船所を案内していただく、(株)サノヤス・ヒシノ明昌の高田さんご夫妻、我々夫婦の合計6組の熟年夫婦で2泊3日の倉敷の旅をして参りました。高田さんは以前にらんらんさん、さすサラさん、たるみ先生夫妻、はなママさん等と「風の盆と能登の旅」をした時にお世話になった金沢の澁谷さんの高校・大学時代のご友人です。
このレポート、既に1ヶ月以上も経ってしまい、旬ではありませんが、珍しい経験をしましたので、是非皆さんにもご紹介したいと思い、筆(現代はマウスとキーボードでしょうか)をとりました。
渋滞予想がピークの5月3日、なんでこんな日を選んだのか責任者に文句のひとつも言いたくなるような、民族大移動の最中に、午前6時に金沢を出発したメンバーが途中道を間違えながら、奈良の我が家に到着したのは9時過ぎでした。一服した後、総勢10名で奈良を出発、一路倉敷へ向かいます。倉敷を案内してくださる高田さん夫婦は西宮から別途、倉敷シーサイドホテルへ直行です。
この日、通常のルートである名神から中国道は宝塚トンネルを先頭におよそ40kmの渋滞、吹田ICのはるか手前、大山崎ICや近畿自動車道の東大阪あたりまで渋滞です。そこで、知恵を働かせて、奈良から第2阪奈から阪神高速で大阪市内を抜けて空港線に入り、中国豊中ICから中国道へと考えたのですが、誰しも考えることは同じ、こちらも結構な渋滞でありました。ようやく昼過ぎに宝塚ICの手前まで到着し、そこで昼食、そして中国道と山陽道を結ぶ播但連絡道路の豊富SAで撮った一行の写真です。
播州平野を見下ろす丘に立つパンジーの塔
そして、事故通行止めの影響が残る山陽道での渋滞に苦労しながら、この旅の宿である倉敷シーサイドホテルに到着です。なんと金沢からは12時間の旅でした。ここはサノヤス・ヒシノ明昌の水島造船所の横手に立つホテルで、サノヤス・ヒシノ明昌の経営です。したがって、ホテルの庭からはこのようにサノヤス・ヒシノ明昌の造船所の巨大なクレーンが目の前に見えます。
長旅の疲れを風呂で流して、いよいよ宴会の始まりです。
ドンちゃん騒ぎをしたあと、翌朝、明ければ今回の旅の主目的、サノヤス・ヒシノ明昌、水島造船所の見学です。
案内して下さる高田さんは以前ここの所長をしておられ、現在は専務さん。したがって、巨大なタンカーが素材の鉄板から作られていく全ての工程を微にいり細に入り、見せてくださいました。まず材料の鉄鋼板です。この造船所で主に作られる船はタンカーや貨物船で、パナマ運河を航行できる最大の船という意味の「パナマックス」約7万5千トンが中心で、その船には約8千トンの鉄鋼板が使用されるそうです。
ちなみにこの鉄板の厚さは15mmから20mm位ですが、かの戦艦大和の最も厚い装甲の鉄板は400mmということです。
これは鉄板を吊り下げる磁石のクレーン、200トンの荷重に耐えるとのこと。
組みあがった船底の一部。
現在の船つくりは、このように、かなりの大きさまでドックの中ではなく、所謂地上で組み立てられます。
そして、2千トンのクレーンで吊り上げられ、ドックに運ばれ、溶接されてこのように船の形にくみ上げられます。
これから、いよいよドックの底に入っていきます。ちなみにこの船は11万5千トンのタンカー。
これが、ドックの底。船の横腹は意外に一番下まで、ほぼ垂直です。
そして、艫の部分、ここまで来るとかなり曲線ははっきりしています。
舵とスクリュー、大きさが良くわかりますね。
真後ろから
前はこのようになっています。まるで、巨大なふぐの顔です。
造船所見学も終わり、次に向かったのは、瀬戸大橋の橋脚。
そして、鷲羽山、ここからは、瀬戸大橋の全貌を見ることが出来ます。四国まで繋がる眺めをパノラマ写真でご覧ください。
次は児島にある塩田王の野崎家旧宅です。
江戸時代、塩田の開発で財をなした野崎家の屋敷にはいくつもの倉がこのように残っており、往時の財力がうかがわれます。
児島を後にして、次は倉敷です。倉敷美観地区はさすがにすごい人出。大原美術館の前はこのように人、人、人です。
この橋は今橋といって、大正15年、昭和天皇の行啓(当時摂政)の折、馬車が通れないということで、急遽架け替えられたとのことです。
したがって、欄干はこのように菊のご紋入り。
倉敷の美観地区は青いブレザーを着たガイドさんに案内していただきました。このガイドさんはボランティアの方です。無料で案内していただけます。倉敷にお出かけのときは是非頼まれたら良いでしょう。ただボーッと見て回るよりずっと楽しむことができます。
ゴールデンウィークとあって、こんなキャンペーンお嬢さんも。
倉敷美観地区は柳の緑と水の青、それに白壁のコントラストが印象的です。
もちろん、大原美術館も見ました。「カレーの市民」の前で。
歩きつかれて、アイビースクエアに来ると、歌手のカノンさんのコンサートが開かれていました。とても透きとおったいい声です。
火灯し頃、約束の居酒屋に集合です。ここは、喧騒の中心から少し離れた一角。周りは昔懐かしい、しもた屋風の町並みです。
さて、この晩もここ「新粋」で大いに飲んで、瀬戸内の魚を楽しんだ翌日、明けて「こどもの日」、倉敷に別れを告げ、瀬戸大橋を渡り、一路四国へ参りました。
やってきたところは、源平合戦でおなじみの屋島です。屋島から見る高松市外。
そして、頂上にある屋島寺の山門。
ところで、ここ屋島にある源平合戦の古戦場はなんと「壇ノ浦」と言うのです。関門海峡だけが「壇ノ浦」と思っていたのですが・・・ したがって、あちらは「赤間関壇ノ浦」ということです。
屋島から、最近「バルトの楽園」という映画で有名になった第1次世界大戦の時のドイツ軍捕虜を収容した坂東俘虜収容所の跡に建つ、徳島県立ドイツ記念館に寄り、鳴門大橋にやってまいりました。向こうは淡路島です。
渦潮観光船。しかし、あまり大きな渦は見られませんでした。
そして、いよいよ、旅の最後、鳴門大橋を渡り、淡路島へ。
淡路島から明石大橋を渡り、垂水で我々は車を降り、金沢組と別れ、家路へ着いたのでした。
この旅も、手打ち庵=晴れ男のジンクスは崩れず、3日間、抜けるような青空の快晴でした。
(完)