手打ち庵夫婦の「ロマンティック街道とスイスアルプス紀行」

2)ハイデルベルグ

 

ライン川クルーズを終え、ザンクト・ゴアから1時間ほどで、ハイデルベルグにきました。
ハイデルベルグは皆さんがよくご存知のとおり、
14世紀末にドイツ最古のハイデルベルグ
大学が設立されており、その後ゲーテやショパン、シューマンなど多くの芸術家が訪れて
幾多の作品を生み出してきた街です。とくにマイヤー・フェルターの「アルト・ハイデル
ベルグ」は有名な小説ですね。私も学生時代に読んだこの本を再度読み返してみました。

 

この日は日曜日で、観光客以外にも地元の行楽客で、目抜き通りはこのように一杯の人です。

 


昼近いとあって、レストランのテラスは既に満席です。

 


ここは、
Yokoさんがお泊りになられたツム・リッターです。正式にはツム・リッター・ザ
ンクト・ゲオルグというそうで、
1592年の建設です。ちょうど豊臣秀吉全盛の頃ですね。
幸いにして戦火を逃れ歴史的建造物として現在も往時の姿そのままです。

我々もここで昼食をとりました。

 


まずは、ドイツワインで乾杯 

私はジョッキでビール


そして、メーンディッシュはなんとジャガイモと鱒の姿焼きです。こんな取り合わせ日本
ではお目にかかれません。

 


食後市内散策です。目抜き通りのハウプト通りです。道の両側はレストラン、カフェ、みや
げ物屋が軒を連ねています。

 


ここは、学生牢です。行いの悪い学生は何日間かここに放り込まれたというわけ。しかし、
学生はここに入れられることによってかえって箔がついたとか

 


シューマンが住んでいたという家がありました。

 


そして、ドイツの町にはどこにもあるマルクト広場、 ギリシャ神話の像が建っていますが、
誰の像か知りません。どなたかご存知の方教えてください。

 


街角にある馬の駅舎を示す看板です。

 


マルクト広場に面して、市庁舎の横にはゴシック様式の聖霊教会ハイリガイスト・キルヒェ
があります。  

 


内部はこのように自然光を取り入れ大変明るくなっています。 

 


そして、入り口近くにある右手前のステンドグラスには人類初の核被爆である広島を忘れない
ようにと原爆被災の日付が記してありました。日本人の観光客は是非見落とさないようにしま
しょう。

 


こちらは、バロック様式のイエズ・イーテン教会  

 


マルクト広場をネッカー川に向かうと、カール・テオドール橋があります。

 


橋の袂にはカール・テオドール選帝侯の像が建っています。 

 


そして、ここから見えるハイデルベルグ城です。 

 


ハイデルベルグ城に上がっていくと、まず、エリザベート門があります。この門はフリードリ
ッヒ王がホームシックにかかったイギリスから嫁いできた妻のエリザベートを慰めるために造
ったもので、ここを潜ると幸せな結婚生活ができるといわれています。出雲大社みたいなもの
ですね。   

 


魔女が噛んだという歯型が残る城門の金具です  

 


城館と30年戦争で破壊された防御塔  

 


木立の中から城館を見ます   

 


これは、フリードリッヒ城館です。
14世紀末のゴシック様式建築 

 


そして、こちらはその横に建つ、1559年建築のルネッサンス様式建物で、オットハンリッヒ城
館です。

 


フリードリッヒ城館の中を通り、ネッカー川に面したテラスに出ると、そこからは美しいハイ
デルベルグの町が見渡せます。 カール・テオドール橋


そして、マルクト広場にある市庁舎と聖霊教会  

 

監視塔の窓から覗きます。 

 


この樽は、18世紀後半に作られた世界最大のワイン樽、なんと22万リッターのワインが入り、
樽の上には宴会が出来る舞台があります。 私のカメラではとても全体を撮影することができ
ません。超広角カメラが必要です。  

 


この像は、大樽の番人「ペルケオ」、
113リッターのワインを飲んだといいます。

 


このあたりでドイツ第
1日目のライン川クルーズとハイデルベルグ観光は終わり、今宵の宿ロー
テンブルグに向かいます。

ローテンブルグへの道中もこのような古城をあちこちで見ることができます。 

 


それにしても、
4月にドレスデンやデュッセルドルフを訪れた時にも思ったことですが、ドイツ
は日本のような一極集中ではなく、どこへいっても適当な都会と美しい田舎を見ることができる
国だと思いました。第
2次世界大戦で同じように徹底的に破壊された国ですが、その後の復興に
対する国民の考え方の違いを目の当たりにした思いです。

 

では、ローテンブルグ編へ続く・・・