5/7 2008掲載

初夏の奈良散策

 

快晴のゴールデンウィークの一日、今年も春日大社の藤を見てきました。

朝、7時前駐車場のゲートが開くと同時に、春日大社にやってまいりました。 

そして、目指すは境内にある、銘木「砂ずりの藤」。今年も見事に咲き誇っています。

 

房の長さは1m以上、昔は地面まで届くように咲いていたということで、「砂ずりの藤」

といいますが、さすがにそこまではいきません。しかし、依然としてその長さには圧倒されます。

 

朱塗りの回廊とのコントラストが見事です。 

 

この時間帯、見物客はまばらです。この藤は樹齢八百年とのこと。源平の時代です。

 

青空をバックに。 

 

樹齢八百年の幹。 

 

肩の辺りまで垂れ下がっているのがわかります。 

 

今日はこれだけではありません。これから春日大社の森を抜け、柳生街道へ。 

 

途中、桜の花びらを散らした池を見て、 

 

このあたりの鹿は、東大寺の門前の鹿と違って、世間ずれしていません。 

 

ここから、柳生街道 滝坂の道。 柳生十兵衛や荒木又右衛門も通った道です。 

 

周囲は世界遺産の春日山原生林。新緑が眼にしみる。  

 

しばらく登ると、道端に転がる石には「寝仏」。少し判りにくいが、石の下半分に仏様が刻まれています。  

会津八一の歌が状況をよく表しています。 

 

またしばらく登ると、夕日観音そして朝日観音が・・・ 将に朝日観音のお顔に朝日が当たってハレーション気味。

この仏様、実は観音様ではなく、弥勒仏。1265年作の銘があるとのこと。

 

この滝坂道はほとんどが石畳。江戸中期、奈良奉行によって敷かれたということです。 

 

滝坂道を上り詰めるとちょっとした広場になっており、そこには首切り地蔵があります。

この首は荒木又右衛門が試し斬りをしたという伝説が・・・  

 

ここから、さらに柳生街道を登ると、そこは地獄谷。 ここには奈良時代後期の作といわれる石窟仏があります。

未だに色彩が残っています。 

 

ターザンのまね?  

 

地獄谷から谷を挟んで反対側にあるのが、春日山石窟仏。 こちらは少し新しく平安末期に作られたということ。

 

往復10kmの柳生街道を歩き、戻ってきたところは高畑町です。ここには志賀直哉旧居があります。

 

昭和4年から13年まで志賀直哉が住んだところ。 中はこのようになっています。

この部屋は文人や芸術家達が集まったサロン。 

 

近くの蕎麦屋で少し早めの昼食。 蕎麦はいまいちでしたが、汁はまあまあ

 

車を置いていた春日大社に戻ると、境内はこんなに大勢の人です。やっぱり早めの行動が一番。 

 

家に帰ると、ちび達は枕をならべて昼寝です。 

 

新緑の奈良ミニツアーでした。

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