7/13 2006掲載

コンチクショウ  2006−4 (梅雨)

 

 

梅雨の合間、家人を起こさぬようにゴルフに出かけた。

一人で行ってもメンバー(知らぬ)同士でいつでもプレー出来る。やって来るのは、概

ね60歳〜70歳前後のご老人で、「家にいてもろくなことない」「家内にあれこれしろ、

と言われる」「連れ合いの顔、見飽きた」と理由もほぼ同じである。

 

       結局は  家追い出されて  ゴルフ場

 

  

 一人遅れてきた男が「朝帰りで、ほとんど寝てない・・、間に合ってよかった」と素振

りを始めたが、同じく中高年キャディ嬢からキッと睨みつけられ、「そんな人は、ここに来

なくていい」と叱られていた。

 

       来てみれば  女房より恐い  高齢キャディ

 

 

 そのキャディが、「3+9で13本ね」と私にいう。日本語としても算数としてもおかし

いので返事をしないでいると、「パターは一本に決まっているから省略するの」と言葉を強

くした。「じゃ、パターを家に忘れてきたときはどう言うんだ!」と言いたかったが機嫌を

損ねるとまずい(スコアに影響する)ので我慢した。

 

       うるさいと  やはりいえない  キャディにも 

 

 

 アウト44で廻り、久しぶりの80代かと期待したが、12番ホールのバンカーの中で

5打叩いて死んだ。茫然自失していると、あの高齢キャディがつっと寄ってきた。「ホント

にダメね」などと言われるかと思ったら、「嫌なこと悪いことは忘れて・・が・ん・ば・れ」

と場違いなほどやさしくいう。思わず涙ぐみそうになりながら次のホールに向かった。

    

       家内にも  あげてみるかな  キャディフィ

頑張ると  思って打てば  ちょろ2回

       どこに行く〜! 自分のボールに  無視された

(結果、100は切れなかった)

 

 

 

 つくば産総研近くのフィリピン・パブに行った。相撲取りみたいな横にワイドなフィリ

ピン女性が、「恐がらないで〜」と横に座った。恐かった。

日本人と結婚し、娘をもうけたが、夫が遊んでばかりいるので離婚した。いろいろあっ

てストレスでこんなに太ってしまった、という。

 再婚を希望しているが、太りすぎて誰も相手にしてくれない。この夏ダイエットし、体

重を半分に減らす。「ワ・タ・シ瘠せればすご〜く美人、モテルネ」と言う。

 私は、一年後に、もし瘠せていれば会おう、と再会を約し電話番号を交換した。

      

一年後   やせた小錦    見てみたい

(ダイエット  できれば美人と  思い込み) 

 

       ど田舎は  国際結婚で    騙しあい

       身の上を  相談されて   金とられ 

 

 

       

ツンツン嬢が、「ダイエットが続かない。応援してください」と健気に言うので、会社の

おやつの時間に「○川さん、そんなに太ってちゃ駄目だよ。僕も我慢するから、君も我慢

しなさい」と言ってあげたら、「ひどい、みんなの前で大きな声で言うことないでしょ!」

と、私の善意と好意は、全く理解してもらえなかった。

 

      セクハラと  思いやりは  紙一重

 

 

 焼肉・とんこつ大好きなグッチ嬢も、豊かな体型をしているようだが、「母親ゆずりの強

い遺伝子のセイなので、私は何を言われても平気です」という。彼女は、プロ野球ロッテ

球団の応援団の人たちと友達だが、彼らがぬいぐるみ脱ぎながら「君も、背中のファスナ

ーおろして、ぬいぐるみ脱げば?」と言われたと、あっははと笑う。

                 コ

       ぬいぐるみ  母から娘へ  プレゼント

              

 

 

 

 沖縄出張のテーマは、「フラミンゴ池の浄化プラント」と「ごみ最終処分場滲出水」であ

った。遊びに行ったのでは決してないが、会議の合間に・・、大戦跡を見て歩いた。「白旗

の少女」が逃げ惑った最後の戦場(平和記念公園近く)を私も歩いた。60年前、11万

の沖縄民間人が亡くなったという。

 

       (沖縄の)空と海   今も哀しく  時、刻む 

 

 

 最後の日、知念の海をドライブした。営業のアイライクドエンカ(三溝)氏が運転し、

設計のドコデモネルスキー(三時)氏が後部座席で寝ていた。私はナビ監視係りだ。

雨の中、知念海洋センターにたどりついたが、センターの建物は見つからず、船着場と

海の家が数件あるだけであった。

 

       日本の端  沖縄の端でも  センターだ

 

 

遊びに行った訳ではないのだが・・、「海の家」で昼食をしている間に雨が上がったので、

水着とシュノーケルをレンタルして、船底がガラス張りのボートでコマカ島(ちっちゃな

無人島)に渡った。

 「この歳になって、海で泳ぐなんて嫌だ!コダマさんは狂ってる」と、ドエンカ氏は最

後まで抵抗していた。私は、三人による公平な挙手の結果の多数決で、コマカ島行きを決

定した。

        出張に  なぜか水着を  携帯し

            (私は海外出張の折必ず携帯する)               

 

 

 色とりどりの魚が私たちを迎えてくれた。特に白と黒のシマシマ囚人服の小魚は、顔の

すぐ近くまで来て、じっとこっちを見ている。逃げない。そのうち手や顔にキスまでされ

て感激した。ドエンカ氏も海面から顔を上げて、「プファーッ、すげ・すげ・すげ〜エ!す

げ、たのし〜い」と喜んでくれた。

帰りのボートを運転している真っ黒なお兄ちゃんに「楽しかったよ」と言うと、「餌付け

してますから」って、「肉食で・・、ソウセージが大好物ですから」って・・、なんだ、惚

れられたわけじゃないんだ・・えっ? 三人は思わず水着の股間を見た。大丈夫だった。

 

      小魚の  キスかと思えば  かじられた

http://www.d1.dion.ne.jp/~ita3/sakana/photos/rokusensuzumedai.html

 

 

 少し沖にでると、カワハギに似た、黄色と黒の流線型の体にサングラスをつけたギャン

グみたいな奴がいて、私の顔と胸に二度突っ込んで来た。三度目で睨みあったが、本気で

怒ってる。

「おまえ、人間が鯨に歯向かうみたいなもんだゾ。それでもやるか!」と威嚇したが、全

然逃げようとしない。しかたがないので、うしろ向いて、お尻の穴のへんを(つつかれな

いよう)手で押さえ・・・退散した。

「縄張りを荒らされた、と思って攻撃する魚もいる」とのことだった。

 

      小魚め  わしを「たこ入道」と  見間違えたか

 

 

 個人的に因縁のある(長くなるので省略)沖縄三越の前で、通りすがりの人々の顔やフ

ァッションをボーっと立って見ていた。

沖縄の女子高生は、超ミニスカートで凄い厚化粧ではあるが、はっきりした二重の黒い

目がクリクリっとして可愛いい。若い頃、中曽根美樹のエキゾチックな瞳に憧れていたっ

け、などと思いに耽っていると、偶然目のあった女子高生が私を睨みつけるような恐い顔

をして、真っ直ぐこっちに来る。海で出会ったカワハギに似ている。

美形だが、厚化粧がきつい顔にしている。「おっさん、どいてよ」と言わんばかりに真っ

直ぐつかつかとやってくる。このままでは胸と胸がぶつかる。私は通行妨害か婦女暴行で

捕まったりするかもしれない・・ぶつかる直前に、仕方がないので私が・・避けた。

 「コンチクショウ!」と後姿を見ていると、強い風が吹きスカートの後ろが二度大きく

めくれ上がった。彼女は抑えようともしない。まぶしい清潔な色だった。

 

       いいとこだ  沖縄の風よ   ありがとう

                   

       いいとこだ  ねずみぐらいの  ゴキブリ走る

 

       いいとこだ  ねこほどでかい  ねずみもいるし

 

       いいとこだ  ウオシュレット故障で  ビデ使う

 

       いいとこだ  わが家より広い  亀甲墓

 

 

 (その他) いとしさに  優しく抱けば  孫落とし

 

       長者番付   なくなり私も   諦めた

 

とし喰えば  筋肉つかず   脂肪つく

 

       七夕や   かなわぬ恋に    戻りたい

      

       今日もまた  アルチューハイマで  記憶なし(てっちゃん)

      

       脳のしわ   消えてぜ〜んぶ  顔につく(飛笑さん)

 

 

(みいちゃんコーナー)

 
梅雨時は   晴耕雨読  漫画本

 

にわか雨  傘を隠して  入れてって!

 

サッカーの  四年に一度  ファンとなり

 

罵詈雑言  たまには殺す  日記帳

 

暗号で  書いた日記が  解読不能

 

好きですと 日ごとに替わる  イニシャルが

 

好きですと  言ったばかりに  この不幸

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪出張のおり、大学の時の友人(シュンセイ氏)に逢おうとメール送った、が返事が

来なかった。しばらくして、半年前の今年1月20日に大動脈瘤で亡くなっていたことが

判明した。

当日いつものように出勤し、同僚と昼食を終え、「おいしかったね」と言った直後に倒れ、

そのまま息を引き取ったとのこと。苦しんだ様子は無く、棺の中の顔もずっと微笑んだま

まであった、と奥さんが話してくれたそうだ。あいつらしいね・・。

苦労を自分で買って、それでもいつも笑っているタフな男だった。織田裕二に似てたよ

ね、ずっと昔のやせてた頃・・だけどね。

戦友が一人亡くなったって感じがしてとても淋しい。早すぎる死であるが、笑って死ね

たのなら、きっといい生き方だったんだ。

「コンチクショウ」にも登場しているが、自分の生きた証にもなる、といつも楽しみに

してくれていた。「本」にして長く残して欲しいとも言っていた。

 

      めし喰って  笑って死んでいったって  本当かい

 

(死ぬときは  笑って死ねと  父もいい)

 

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