7/5 2002掲載
by 時代
飛行機に乗りたくて、先週の土・日、大阪に行きました。予定のない旅でしたので、
久しぶりに京都の大徳寺に出かけました。飛行場から直接京都へ行って、
そのまま北へ下がっていきました。
しかし、私の旅というのは、どうしても御菓子、お漬物、お茶から離れられません。
まずは、御菓子です。
皆さん、おなじみの大徳寺まえのみそ松風の店です、
先月、「松風」を貰ったのですが、やっぱり、ここの「みそ松風」のほうが私は好きです。
横に掛かっているのは、お菓子の木型でしょう。
さて、まずは誰もが見あげる山門や、方丈の前はさっさと通って、
私の知っているところへ、
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黄梅院 |
ここは、入ったことはないけれど、名前を忘れることが出来ないお寺なんです、私たち姉妹には。
なにしろ、ここの和尚さんのお軸が家の中に所狭しと積まれていた時期があったのです。
ふーん、これが立派に改修された塔頭なんだ・・・、
さて、NHKで「利家とまつ」が放送されているので、それにあやかって、「芳春院特別拝観展」が
芳春院で開かれていました。
ここは、昔は誰でも入れたのですが、今は一般に開放されていないのだそうです。
私も、以前ムー和尚に連れられて、皆で拝観したのが最後でしたから、
”久しぶりだから、入ってみるか”というくらいの軽い気持ちで訪ねたのですが、
正解でした。特別展ということで、京都市の歴史ガイドさんがアレンジされており、
訪れる人に詳しく説明していました。
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芳春院玄関 |
玄関前の蹲 |
寺の中は撮影禁止のため、ご説明だけ:
前田利家公、尼僧姿のまつ、そして開山さんの玉室和尚のお軸がかかっていました。
なんとこの軸の肖像画は織物でした。パンフレットにこの肖像画の写真、それぞれありますが、
そんなことは紹介されていません。なんか得した気分。
本堂前の庭は枯山水の庭園、「花岸庭」。
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芳春院の中庭(これは出口にある中窓から覗いて撮ったもの) |
ねー、ムーさん、昔はこのお庭、こんなに白砂がいっぱいのお庭ではなかったですよね?
桔梗がほとんど見当たらなかったよ。
裏に廻ると、京都4閣のひとつ、呑湖閣があります。
金閣寺や銀閣寺は一階に住むことができるように
設計されているのだそうですが、
ここだけは最初から和尚さまの木像や檀家の霊碑を祭るように
造られているのだそうです。(これもガイドさんからの知識)
呑湖閣の名前の由来はご想像通り、
階上から望ぞむ比叡山の向こうに広がっている琵琶湖をも
呑むのだそうな。
(写真はパンフから)
この閣の前に広がる池、”えらいこじんまりしているな、”と昔来たときに思ったのですが、
これもガイドさんが、「後から池を削って書院が造られたのです」との説明に納得。
でなかったら、女性が建立したからこじんまりしているのかしらなんて、セクハラめいた
考えを払拭できなかったことでしょう。
その書院で、お茶を頂いたら、出てきたお菓子が前田家の家紋を押した和三盆だったので、
これもお土産に買いました。
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聚光院 |
三好義嗣が創建したもので、茶室閑隠席は利休が自殺した所と言われていますので、
中に入れなくても覗いてみました。
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高桐院 |
外からは竹藪としか見えない、このお寺、一歩中に入るとご覧のように、
目の覚めるような鋭角の構図。
自然を人の手でもう一度美しいものに変えているという感じです。
さすが茶哲細川三斎公の建立。
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客殿前の庭園 |
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二帖台目の名茶席「松向軒」。 |
壁は黒壁です。
(手前のボケているのは竹の手すりがあったからです)
降りつくばい
加藤清正が朝鮮から持ち帰ったもので、袈裟型の手水鉢です。
「参勤交代の折りには、これを運んでいた」ということが画面にチョコット写っている立て札に書かれいます。
これが置かれている場所は客殿にある茶室近くの庭なのですが、段を降りていき、その一番底に据えられています。
それで降りつくばいというのでしょう。
三斎公の墓所です。墓石が灯篭なのです、その説明は立て札をそっくり撮って来ました。
灯篭の後ろ側、
<ー− ここのところ、笠の先の丸くなっているところが2箇所くらい、欠けているのが分かりますか?
この大徳寺を抜けて、今宮神社のほうへ出る裏口へわまると、
ムー和尚ご推奨のちりめん山椒を売っているお漬物やさんがあります。
哲子さんの家にお呼ばれしていたので、ここでお漬物を買いました。
神社を通って、仏教大学まで歩いたところで、バスに乗り、北山にある表千家の
北山会館に行ってきました。ここでもお茶を頂いて・・・、
本当に食べるか、飲むか、買うかでした。
1000say、お誘い、有難うございました。ちょっと間に合いませんでした。